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呑むべきか呑まざるべきか──飲酒のタブーと宗教 [酒]

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呑むべきか呑まざるべきか
──飲酒のタブーと宗教
(神社新報、1995年9月11日)
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タリを持つ男.jpeg
 酒は日本では「御酒(みき)」と尊称されるほど重きをおかれる存在で、神社の祭式では稲米の次に神々に供せられる重要な神饌(しんせん)である。ところが世界にはこれとはまったく逆に酒をきらい、飲酒をきびしく禁忌する宗教もある。ヒンドゥーや仏教、イスラムがその代表で、酒を媒介にして非日常的な境地で神々との交流をはかる日本の神道とはきわだった相違がある。

 とはいっても、それぞれかつてはタブーではなかった時代があったり、なかば公然と飲酒がまかり通る現実があったり、単純な常識は通用しない。

 宗教にとって、飲酒のタブーとはいったい何だろう。


イスラム
▢酒を禁忌する戒律と
▢平然と呑むムスリム

 たとえばイスラムだが、根本文献として聖典『クルアーン(コーラン)』についで重要な位置づけがされる預言者ムハンマドの伝承録『ハディース』には、「禁を犯せばむち打ちの刑に処せられる」と明記されている。

 ところが、ムスリム(イスラム教徒)人口の多さではインドネシア、パキスタンに次いで「世界第三のイスラム国家」バングラデシュの農村を取材したときのことである。「酒を飲むのとイスラムの信仰とは何の関係もない」と、ムスリムであるはずの男が平然といってのけたのには、耳を疑った。

 デンギャカタ村は同国南東部コックスバザール県のマングローブ地帯のそばにある。今年70歳になるという村長の自宅の裏側は湿地で、ウム(ニッパヤシ)の畑になっている。じつはこれが「タリ」(ヤシ酒)のいわば「酒造工場」なのである。
ヤシ畑.jpeg
 タリの作り方はいたって簡単だ。直径30センチほどもあるボール状の集合果の首根っこをチョンと切ると糖分をふくんだ乳白色の花序液が噴き出してくる。一昼夜、竹筒に集めて一晩、寝かせると、自然に発酵して酒になる。

 アルコール度は低い。酸味と、少ししびれるような刺激がある。

「男は10歳を過ぎると呑む。毎晩呑む。女もときどき呑む」。そういって男はニヤリと笑った。

 なんの造作もなくヤシ酒が作られるのだとすれば、アラブの民がイスラム以前、すなわち「ジャーヒリーヤ時代」に酒の文化を持っていたとしても不思議はないし、実際、イスラム時代になっても当初は酒を禁じてはいなかったようだ。

『クルアーン』には「ナツメヤシやブドウの果実を実らせて、あなた方はそれから強い飲み物(サカル=酒)や、よい食料を得る。本当にその中には、理解ある民へのひとつの印がある」と書かれ、死後の世界の楽園には「飲む者に快い(美)酒の川」がある、と説明されている。

 しかし、622年にメディナへ聖遷(ヒジュラ)したのちも飲酒におぼれ、信仰を忘れる者があとを絶たなかったため、「禁酒の啓示」がくだる。

「あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の業である。これを避けなさい」

 啓示にしたがって捨てられた酒がメディナの町を川のように流れた、と伝えられている。

『ハディース』は「酒は心を乱す飲み物である」「人を酔わせるものはすべて禁じられている」と記し、ブドウ、穀類、ナツメヤシなどを原料とするあらゆる酒類のほか、タバコや麻薬を厳禁している。

 ところがである。実際には古来、酒を愛したムスリムは少なくなかったようで、酒を礼賛する詩が数多く詠まれている。

私の飲酒を責める人よ、私は君の歓心を買うことはしない。
君は無知ゆえに君に逆らう者を責めている。
非難してもよいが、酒の名を呼ばないでくれ。   
その美しい名が君の口でけがれるから。
 
もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねてきた七十の齢(よわい)の盃(つき)を
いまこの瞬間(とき)でなくいつの日に楽しみ得よう?

 前者は8~9世紀を生きたアッパース朝期最大の詩人アブー・ヌワースの飲酒詩で、後者は11~12世紀にかけて、科学者として一時代を画したペルシャのオマル・ハイヤームの四行詩である。
 
 15世紀に今日の形にまとめられたといわれる『千夜一夜物語』には、歴代のカリフ(教主)が佳人や美少年をはべらせて、朝から酒宴を催していたようすがうかがわれるし、歴代のトルコ皇帝36人中3分の2がアル中だった、ともいわれる。
 
 現在でも「神を忘れたり、礼拝を怠るほど呑んではいけない、というのがアッラーの教えだ」と強弁しながら、酒をたしなむイマーム(導師)もいるらしい。それどころか、国内で堂々とビールを生産するアラブの国もあるようだ。


ヒンドゥー
▢神酒ソーマを神々に
▢捧げたヴェーダ時代

 インドの民族宗教であるヒンドゥーもまた飲酒を喜ばない。
ティルネリ寺.jpeg
 南インド・ケララ州ワイナッドの自然保護地区にほど近い山中に、3000年前の創建と伝えられ、最高神ビシュヌをまつる古刹がある。名前はティルネリ寺。インドの友人たちに案内されて参詣したのだが、緑豊かな風景といい、信仰形態といい、日本の神道と酷似しているのには、驚いた。
 
 石段を20段ほどのぼると、古びた石造りの社殿がある。瓦葺きの屋根は石の桝組(ますぐみ)が支えている。後方にそびえる「聖なるブラマギリ山」には「神々が宿っている」と白髪混じりの寺院の管理人は説明した。はるかなる頂は白雲に隠れて見えない。白いドティを腰に巻いただけの楽人たちが太鼓を鳴らしながら、社殿の周りをめぐる。2拍子のリズムは日本の祭囃子に似ている。
 
 靴を脱ぎ、上半身裸になって、社殿に足を踏み入れた。暗がりで灯明が揺れ、内陣にビシュヌ神の神像がおぼろげに見える。参拝がすむと、木の葉に盛られた、米とギーで作ったニーパヤサム(お下がり)をいただく。
 
 社殿の裏手にはラジブ・ガンディーも潔斎(けっさい)に訪れたという禊ぎ場があった。聖なる山を水源とするパパナシニの水で心身を清めるのだが、木立に包まれた清流にはインド的というより、日本的な懐かしささえ感じられた。
 
 帰ろうとするボクたちの耳に、お寺に併設されるレストハウスの建設工事現場で働く男女のかけ声が飛び込んできた。「ハイレサ、ハイレサ」。まるで博多祇園そのままではないか。
 
 神社の鳥居に似た門が建てられているヒンドゥー寺院もある。屋根には波形があしらわれ、正面の柱には象鼻(ぞうはな)ならぬ象面神ガネーシャが刻まれている。同じ自然宗教である日本の神道との共通点の多さには瞠目(どうもく)せざるを得ないのだが、最大の違いのひとつは酒である。ヒンドゥーの宗教儀礼には酒は登場しない。
ブラマギリ山.jpeg
 祭司をつかさどるバラモンは飲酒を嫌う。国学院大学の山崎元一教授(歴史学)によると、バラモンは飲酒を不浄とみなして禁じているだけでなく、酒売りから飲食物を受け取ってはならないということが「律法経(ダルマ・スートラ)」に定められているという。
 
 ところが、『アーパスタンバ』などの「律法経」が成立するのは紀元前6世紀以後で、それ以前のヴェーダ時代には、ソーマ草の絞り汁を発酵させた「神酒ソーマ」を祭火に投じて神々にささげ、残りを祭官たちが呑むという「ソーマ祭」が祭式の中心だったという。ソーマは「世界最古の酒」ともいわれるが、アルコール飲料というより、むしろ「幻覚剤」に近いものだったらしい。
 
 紀元前1000年ごろに編纂された『リグ・ヴェーダ』の第9巻は、ソーマの賛歌で埋めつくされている。
 
 もっとも甘美にしてもっとも陶酔をもよおす奔流によりて清まれソーマよ、インドラの飲まんがために搾られて。
 
 羅刹(らせつ)を殺し、万民に知らるる彼は、金属(かね)もて調えられたる母胎に向かい、木にて座につけり。
 
 飲酒が、バラモン殺害などと並んで、5つの「大罪(マハーバータカ)」に数えられるようになるのは、紀元前後に『マヌ法典』が編纂されてかららしい。
 
 けれどもいまでも酒がヒンドゥーの儀礼に登場することもある。

 ケララ州カンヌールのヴァラパタナム川のほとりに、シュリ・ムッタッパン寺という名刹が鎮座している。「シヴァ神の化身」と信じられているらしい。参道には、日本の神社やお寺と同じように、みやげ物屋がひしめき合っていた。境内では赤ん坊の「お食い初め」の儀式なども行われ、多くの巡礼者で早朝からたいへんなにぎわいだった。
 
 社殿では派手派手しいボディーペインティングを施して神に扮したふたりの男が、参拝者たちにひとりずつ託宣を述べたあと、音楽に合わせて殿内中央の祠(ほこら)をめぐる儀礼が行われる。このときもうひとりの半裸の男が小さな金属製の水差しで「トディ」(ヤシ酒)を何度も飲み干す。
 
 バングラでは「タリ」、インドでは「トディ」、スリランカでは「トリ」。このヤシ酒を蒸留したのが日本の焼酎の元祖となるアラックで、ケララ州をふくむインド南西部のマラバル海岸はじつはそのメッカだという。
 
 宗教儀礼に酒が登場するくらいだから、当然、「呑ん兵衛」はいる。公然と呑むのははばかられるが、街道沿いにバーもあれば、町はずれには酒屋もある。インド国産のビールやウイスキー、ブランデーまであったのには驚いた。


仏教
▢「不許葷酒入山門」の戒と
▢酒好きで知られた良寛さん

 インド世界で生まれた仏教は、在家の「五戒」、出家の「十戒」の第五に「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」を位置づけ、飲酒を禁じている。「小乗律」の根拠とされる『四分律(しぶんりつ)』は、「顔色悪」「力少」「眼視不悪」など、飲酒の「十悪」を列記している。
ヒンドゥー祭り.jpeg
 ところが禅宗では、「不許葷酒入山門(葷酒[くんしゅ]、山門に入るを許さず)」の石柱を建てながら、酒を「般若湯(はんにゃとう)」の隠語でよび、ひそかに用いてきた。謡曲「木賊(とくさ)」に次のような一節がある。

 飲酒(おんじゅ)は仏の戒めなれども、彼(か)の廬山の恵遠(えおん)禅師、虎渓を去らぬ禁足にだに、陶淵明が謀(はかりごと)にて飲酒を破りしぞかし。

「謀(はかりごと)」どころか、中世の寺院では名だたる「僧坊酒」が公然とつくられていた。河内長野・天野山金剛寺の「天野酒」、奈良・菩提山正暦寺の「奈良酒」、湖東・釈迦山百済寺の「百済寺樽」、大和・談山寺いまの談山神社の「多武峰(とうのみね)酒」、越前・白山豊原寺の「越州豊原」などが「美酒言語ニ絶ス」などと激賞されていたらしい。

 他方では、江戸後期の禅僧良寛さんは無類の酒好きであったことが知られている。

夜もすがら爪木たきつつ円居して濁れる酒を飲むが楽しさ
 
袖裏の毬子 両三個
 
無能にして飽酔す 太平の春

 良寛が単なる破戒僧ではなかったことはいうまでもない。上座部仏教は戒律中心の宗教だが、大乗仏教には末法の世では「戒律はかえって有害だ」とする教えさえある。「末法無戒」。それかあらぬか、いま鎌倉五山にも曹洞宗大本山にも「不許葷酒……」の標注は見あたらない。人間にとって、宗教にとって、戒律とはなんなのか。

 遠くヨーロッパ世界において、かのドイツの宗教改革者マルティン・ルターは、ワインと女性と音楽をこよなく愛したと伝えられる。

 さて、呑むべきか、呑まざるべきか。


追伸 この記事は「神社新報」平成7年9月11日号に掲載された拙文「呑むべきか呑まざるべきか──飲酒のタブーと宗教」に若干の修正を加えたものです。

 文化の異なる海外での取材は、自分が正しいと思いこんできた常識というものを、「目から鱗が落ちる」というほどに、ものの見事に根底から破壊してくれる痛快さがあります。その小気味良さはもちろんこのような短い記事で語り尽くせるものでもありません。おいおいまたこのホームページでご紹介したいと考えます。

 このときの取材では、現地で活躍するNGO、財団法人オイスカの方々、とくにバングラデシュとインド・ケララ州のオイスカマンに、たいへんお世話になりました。あらためてお礼を申し上げます。

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