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神社を復興する──大連神社を守り抜いた神職「水野久直」 [神社人]

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神社を復興する
──大連神社を守り抜いた神職「水野久直」
(「神社新報」平成8年5月13日号から)
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 下関・赤間神宮の社殿の裏手に、大連神社が鎮座している。

 なぜここに旧満州・大連市の総氏神が鎮まっているのか。そこには死を賭して御霊代を守り抜いた1人の神職の物語が秘められている。

 大連神社が鎮祭されたのは、明治40(1907)年のことである。昭和の造営で境内は3万坪に拡張し、新社殿が竣工したのもつかの間、創建40年目で敗戦の結末を迎える(『明治天皇御尊像奉遷記』など)。

 主任神職(社司)の水野久直は、御神霊と明治天皇御尊像を断じて守護する、と心に決めたという。奇しくも創建の年に生をうけた水野は、神社を守り抜くことが自分の使命と固く信じていた。

 怒濤のごとく進駐するソ連軍、町では略奪も始まった。神社にも兵士がやってきた。しかし雅楽を聴かせると喜び、日曜ごとに演奏会を開くことになる。

 評判は司令部にまで届いた。危機を救った舞楽装束はのちに伊勢の神宮に納められ、神宮の窮乏を救う。

 ソ連軍との友好関係は長くは続かない。職員のたび重なる連行、留置ののち、接収の申し入れをうけて、水野は奉遷を決意する。

 前代未聞の引き渡しが日ソ間で調印されたのは、22年3月のことだった。

 水野は白衣に紫の袴、数貫目におよぶ御霊代の唐櫃を背負い、錦御旗を手に神社を出発した。職員には、

「引き揚げではない。御遷宮である」と訓示した。

 最大の危機は、大連収容所での荷物検査だった。思召しで奉献された御神宝の明治天皇御尊像が取り上げられでもしたら、神職として生きて帰ることはできない。水野は死をも覚悟した。

 気迫が通じたのか、司令官たちは胸に手を当てて御尊像に最敬礼し、立ち去った。危機が去って、水野は御尊像にひざまずいた。涙が頬をぬらした。

 御尊像はいま明治神宮に奉納されている。

 乗船は2日後である。装束姿で御霊代を背負う水野らを、ソ連軍将兵は礼を尽くして見送った。

 職員たちは甲板で大連神社をはるかに眺めつつ、最後の奏楽を奉納した。君が代の演奏は引揚者を巻き込んで、涙の大合唱となった。

 夕日を浴びる南山がこみ上げる涙で曇った。聖寿万歳が高らかに三唱された。

 帰還後、水野は、空襲で灰燼に帰した赤間神宮の復興に関わった。

「無一物で帰還したのだから、無一物の神社の再建に尽くしたい」

 水野は心に誓い、文字通り夜も寝ずに尽力した。

 宮司に就任したのは23年である。24年に赤間神宮が復興されたのち、大連神社再建に着手し、全国的な募金が始まった。

 目標は100万円。だが3年間で集まったのは、わずか27万円。敗戦の痛手から立ち直っていないうえに、いわば「満州の亡霊」の再建を人々が快く思わなかっただろうことは想像に難くない。

 それでも造営事業は進んだ。29年10月、福岡・筥崎宮に仮奉安されていた大連神社の御霊代は水野が捧持し、雨のなかを奉遷し、引揚者たちの支援で竣功した1間四方の仮殿に遷座した。

 敗戦から9年、内地奉遷から7年、御霊代を命がけで守り抜いた敗戦後の混乱の日々が、水野の脳裏を駆け巡ったことだろう。

「そのとき、その瞬間が、一日一刻が、私にとって命がけの神明奉仕だった」

 支えとなったのは、師と仰ぐ頭山満の教えだった。神主には社会的権威も地位もない。自覚すべきなのは、「装束の尊さ」であり、装束こそが日本精神の表現にほかならない(『魂は消えじ』)。

 頭山の教えは水野にとって、実感でもあったろう。幾多の危機を救ったのは、まさに装束だった。

 戦後の神社復興のために尽力したのは、むろん水野だけではない。

 夫人と2人、海水を煮詰めた塩を売って、神社の財政危機を乗り切った神職もいる。地元の排斥運動に阻まれながら、四散した社有地を取り戻し、荒廃した一の宮の再興を気負わずに実現した宮司もいる。

 内に秘めた信仰が民族の精神史の断絶を救ったことは間違いない。

 敗戦から50年、日本は国の滅亡どころか、世界的な経済大国に変貌した。可能にしたのは、東西冷戦構造と日米安保体制であろう。だが、冷戦の終結とともに、いま日本社会のほころびが日々、暴露されている。文明の終焉を予感させるほど、目を覆うばかりだ。

「民族が滅びるのは、他者の殺戮によるのではなく、自滅するのだ」

 ユダヤ人指導者ナフム・ゴールドマンの言葉を、私たちはかみしめる必要があるだろう。

 大連神社は来春(平成9年春)、鎮座90年、内地奉遷50年を迎える。

「最近は幼少期を満州で過ごした人たちの参拝が多い」といわれる。喜ばしいことだが、半世紀の移り変わりを御祭神はどのように見ておられるのだろう。

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