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最北の神社に奉仕する──バングラ訪問が転機 [神社人]

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最北の神社に奉仕する──バングラ訪問が転機
(「神社新報」平成8年7月15日号)
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「これを見てくださいよ」

 渡井民元宮司が拝殿横の重い扉を開けると、漆の香りとともに、大御輿が3基、姿を現した。

 1基は大正4年の作、もう1基は昭和24年。傷んでいた両方を修理したうえに、さらに1基が昨年(平成7年)、新調された。

 昨年7月の霊祭では、担ぎ手のかけ声が元気よく町にこだましたという。

 日本最北端・稚内市の北門神社。創建は天明5(1785)年、厳島神社に次いで、市内では2番目に古い。

 境内横から坂道を上り詰めた稚内公園には、昭和史のドラマが詰まっている。

「氷雪の門」は樺太で亡くなった人々の慰霊碑。過酷な自然に耐えて築き上げた郷土と肉親と財産を失い、ひたすら祈る女性の姿だという。

「9人の乙女の像」は、敗戦後の8月20日、ソ連軍の攻撃を受け、窓越しに砲弾が炸裂するなか、自決した真岡郵便局の電話交換手たちの慰霊碑だ。

 昭和43年、この地を訪れた昭和天皇は、乙女の像の前で深く頭を垂れ、冥福を祈られたという。

樺太に命を捨てしたをやめの心を思へばむねせまりくる

 戦後、樺太はソ連領サハリンとなり、稚内は日本最北の都市となった。人口4万6千人を抱えながら、本務の宮司が不在だったこの町に渡井氏が赴任したのは、一昨年(平成6年)9月のことである。

 渡井氏は東京・渋谷の生まれ。国学院大学卒業後、25年間、北海道神宮に奉職した。転機のきっかけは「バングラ訪問」という。

 神社新報社内に事務局を置いて、御大典記念事業の1つとして展開された「アジアに米を」救援事業で、平成6年2月、中野尹亮・北海道神宮宮司の代理として、現地視察旅行に参加した。

「どんなところでも生活できるんだと思いましたよ」

 貧しい国で中年の域をはるかに越えた日本人のボランティアが、現地の青年たちに農業を指導していた。自然環境も文化も異なる国で、どっかりと腰を据え、自分のためではなく、人のために、たくましく生きている姿に、強く勇気づけられたらしい。

 帰国後、北門神社が宮司を必要としていることを知った渡井氏は、「自分が行こう」と考えた。中野宮司は驚いた様子だったが、「1人でやってみたい」との志に共鳴してくれたという。

 初仕事は神輿の修理と新調だった。

「今度の宮司はちょっと違うぞ」

 神社から疎遠になりかけていた、とくに若い氏子たちは好感をもって迎えてくれた。

「神社の原点は祭りです。魂を揺さぶるような祭りで、エネルギーを町中に広げていければと思っているんですよ」

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