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稲の早晩性の不思議──月の夜長に天下の秋を知る [稲作]

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稲の早晩性の不思議──月の夜長に天下の秋を知る
(「神社新報」平成8年10月14日)
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 東北・北海道の水稲の作付面積は71・8万ヘクタールで全国の33・8パーセント、収穫は200・4万トンで全国の25・7パーセントを占める(平成5年度、農水省「作物統計」)。米作適地とはいえない日本列島の、しかも北国の地が日本第一の穀倉地帯となっているのは驚きだ。

 その背景には稲作にかける祖先たちの強い執念もあろうが、忘れてならないのは早生(わせ)品種の出現である。関東以南の稲を東北で植えると、出穂しても秋冷に阻まれて満足には稔らない。一定の生育期間がたてば稔るという早生の稲が生まれなければ、東北地方で稲作が本格化することはなかっただろう。

「海上の道」を伝わってきた熱帯ジャポニカと中国・長江に起源する温帯ジャポニカが日本列島で自然交雑し、早稲種が生まれたとする説もあるが、そもそも稲の早晩性はなぜ起こるのか、究明していくと、意外や、日本人の信仰の世界が垣間見えてくる。


▢ 日本に伝来した晩生の稲
▢ 北の品種ほど早生になる


 稲は夏が過ぎ、昼の長さが短くなると花芽を付ける。これを短日植物と呼ぶが、それほど単純ではない。

 たとえば、フィリピン・ルソン島では年中、田植えが可能で、ときが来れば稔る。穀倉地帯が広がるマニラ北部は雨季と乾季が明確に分かれるが、平均気温は年間を通じて25〜8度とあまり変わらない。日照時間の年較差も小さく、二期作ばかりか三期作も行われる。

 フィリピンをはじめ、東南アジアで栽培される「ミラクル・ライス」は、同国の国際稲研究所(IRRI)が開発した品種で、感光性が弱い。基本栄養生長性も短いから、一定の生育期間が過ぎれば開花する。

 この稲はインディカだが、もともと東南アジア島嶼地域では短日性の弱い熱帯ジャポニカが広く栽培されてきた。

 面白いことに、熱帯ジャポニカを日本で栽培すると、晩生(おくて)になる。短日性が弱いと早生になるはずだが、熱帯ジャポニカは基本栄養生長性が長いため、短日条件に置かれると晩生になってしまうのだ。つねに短日条件にある熱帯の稲ならではの特性のようだ。

 種子島・宝満神社の赤米は熱帯ジャポニカの一種と見られている。御田植祭は5月上旬、収穫は9月初旬だが、

「今年(平成8年)は色づくのが遅れて10月初旬になった」

 と神社では語っている。

 7月下旬に収穫される早期米とは違って、やはり晩生らしい。

 もちろん稲の品種は晩生ばかりではない。晩生だけだったら、東北・北海道が今日、日本の穀倉地帯になることなど、あり得なかっただろう。

 青森・田舎館村の垂柳(たれやなぎ)遺跡は2000年前の稲作遺跡だが、寒冷地での稲作を可能ならしめたのは、早生の出現である。

 宮崎県で「日本一早いコシヒカリ」の収穫が始まった、というニュースが伝えられたのは7月下旬。同県の海岸部は早場米地帯で、3月下旬になると「コシヒカリ」や「ヒノヒカリ」が植えられるのだが、山間部では「ユメヒカリ」や「かりの舞」など晩生の品種が栽培される。田植えは6月初旬〜中旬、刈り入れは10月初旬から中旬となる。

 同じ宮崎県内でもこれだけのズレがある。台風襲来の前に収穫を終わらせたいと、30年前(昭和40年代)、早期米の栽培が始まったそうだ。

 しかし在来品種の場合では、南から北へ緯度が高くなるに従って、晩生から早生、極早生(ごくわせ)になる傾向が見られる。

 たとえば、静岡大学の佐藤洋一郎先生の実験によれば、静岡・三島では、東北北部の在来品種が7月上旬〜下旬に開花したのに対して、九州・四国の品種は8月末〜9月上旬に開花した。つまり、九州の晩生品種と東北北部の早生では、開花に約60日間の隔たりがある。

 また、九州の晩生を青森の弘前で栽培すると、10品種のうち、6品種は9月末までに開花しなかったという(佐藤『稲の来た道』)。


▢ 熱帯型と温帯型の2系統の
▢ 稲の交雑で早生が生まれた


 以前、取材でお世話になった東北農業試験場の横尾政雄さんから、丁寧な手紙をいただいた。

 稲には12対の染色体があり、6番目の染色体に花芽形成をつかさどる、早生・中生(なかて)・晩生の3種類の重要な遺伝子が乗っているという。横尾さんはLm座と命名したが、Se—1座と呼ぶ人もいるそうだ。

 晩生遺伝子は日長がかなり短くならないと感応しない。一方、早生遺伝子は日長に感応せず、温度が十分に確保されれば、一定の生長を経て、花芽を形成する。

 早生遺伝子を持つ東北の稲は不感光品種と呼ばれる。北海道の極早生品種はさらにほかの染色体上の遺伝子も関与しているという。

 稲の早晩性は短日性だけでは説明しきれない。早生の発生の謎もそこに隠されているらしい。

 熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの晩生同士の自然交雑によって早生が生まれた、とする画期的な説を提起したのは、佐藤先生である。

 温帯ジャポニカは、基本栄養生長性は短いが、短日性がある。熱帯ジャポニカは、短日性を失っているが、基本栄養生長性が長い。

 短日性と基本栄養生長性は異なる遺伝子に支配され、短日性が強く、基本栄養生長性が短いのがそれぞれ遺伝的には優性らしい。

 両者が交雑して、基本栄養生長性が短く、短日性の弱い品種が生まれる。これが早生品種の出現である。

 アジアの辺境に位置し、アジアでもっとも遅く稲作が始まったとされる日本列島だが、この島国で温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカが運命的に出会い、北国でも栽培が可能な早生品種が生まれ、津々浦々にまたたく間に稲作が展開していった。

 ここに人間業ではない不思議な因縁を感じるのは記者だけではあるまい。

 佐藤先生は東北の早生品種はもともと西南暖地で生まれたと推測する。東北の早生と西南暖地の早生は兄弟関係にあるからである。なるほど急速に稲作が北進したはずである。

 佐藤先生はまた、考古学者に根強い支持がある朝鮮半島からの稲の伝来説に疑問を投げかける。晩生から早生は派生するが、その逆は起きにくいからだ。

 朝鮮半島北部の冬は厳しく、早生でなければ栽培できないから、朝鮮半島経由で九州に伝来したとすれば、朝鮮半島で早生に変化した稲が、九州でふたたび晩生に戻ったとしなければ説明がつかない。

 しかしその可能性は低いという(前掲書)。


▢ 日長の変化を感じる仕組み
▢ 夜の闇を忘れた現代人たち


 稲が日照時間の変化を読み取り、秋の訪れを知るのは、じつは日長ではなく、逆に夜の時間を計っているらしい。

「一定の時間以上の暗が続くと、稲の身体のなかに穂を作る物質が蓄積し、葉を作っていた生長点に花芽すなわち穂を作り出す」(横尾『米のはなしⅡ』)

 これを花成物質というそうだが、詳しいことはまだ解明されていないという。

 晩生、中生、早生と、日本列島には夜の感じ方が異なる多様な稲が栽培されている。

「夜を感じない稲よりも、夜に敏感な稲の方が、何となく愛着が湧きます」(前掲書)

 と横尾さんは書いているが、短日性がなく、夜を感じない早生品種というのは不夜城のごとき都会に棲息し、夜の闇を忘れてしまった現代人に似ているかも知れない。

 4年前(平成4年)、バングラデシュ南東部コックスバザールの村を訪ねた。電気も水道もない。むろんテレビも電話もない。現代文明とは無縁の僻村だが、星空の美しさには感動した。

 オレンジ色の巨大な太陽が沈み、夜のとばりが降りると、360度、遮るもののない満天の星が前進を包み込む。自分が宇宙のなかに吸い込まれていくような錯覚さえ覚える。数秒おきに流れ星が、手が届きそうなところを飛び交う。やがて太陽にも負けない巨大な満月が姿を現す。

 まさに神々の造形、芸術である。都会では味わえない最高の贅沢に身体が震えた。

 仏教国のスリランカでは、太陰暦が用いられ、満月の日が重視される。学校も役所も休みになり、とくに5月の満月の日は仏陀の生誕、成道(じょうどう)、涅槃(ねはん)を記念するウエサック祭で沸き立つ。

 聖山スリー・パーダの登拝も、12〜5月の満月の晩が最良とされ、翌朝、御来光を仰ぐという(『もっと知りたいスリランカ』など)。

 昨年(平成7年)5月末、古都アヌラーダプラ近くの村の寺を訪ねたのは、ちょうど満月の晩で、数十人の年輩の男女が白衣に身を包んで寺に集まり、地べたに座り込んで、法話に耳を傾けていた。


▽ 月読命を祀る式内社


 記紀神話に登場する月読命は、伊邪那伎(いざなぎ)命から生まれた3貴子の第二神で、別名、月神(つきのかみ)、夜を治める神とされる。農耕神でもある。

 遠く長崎・壱岐島、芦辺町国分に式内社、月読神社が鎮まっている。

『日本書紀』には、顕宗天皇3年2月、阿閇臣事代(あへのおみことしろ)が任那に使し、壱岐を通過した際、月読が神憑りし、託宣したとある。

「わが祖(みおや)、高皇産霊(たかみむすび)、預(そ)いて天地(あめつち)を鎔(あ)い造(いた)せる功(いさお)有(ま)します。民地(かきところ)をもて、わが月神に奉(つかまつ)れ。もし請いのままに、われに献(たてまつ)らば、福(さいわい)慶(よろこび)あらん」

 式内社の月読神社は同町箱崎の箱崎八幡宮に比定されるともいう(『式内社調査報告第24巻』)。

 顕宗紀は続けて、事代が京に帰り、山城国葛野(かどの)郡の歌荒樔(木偏に巣の旧体)田(うたあらすだ)を奉り、壱岐の県王の先祖がお祀りして伝えたと記す。

 京都・西京区、松尾大社の山麓には葛野坐(かどのにます)月読神社が鎮座し、壱岐県王の先祖・押見宿禰(おしみのすくね)を祖とする氏族が祭祀を司ってきた(『日本の神々5』)。

 このほか月読をまつる式内社が伊勢・度会郡、山城・綴喜郡、丹波・桑田郡などに鎮座する。

 神宮には内宮、外宮の別宮月読宮、月夜見宮がそれぞれ鎮まっている。

 3年前(平成5年)、在京各紙の記者たちと神宮の月次祭を拝観する機会があった。浄闇のなか松明を先頭に、浄衣の神職がザッザッと玉砂利を踏みしめながら参進してくる。

 月夜ではなかったが、人工的なものを排した、深い闇と静寂の持つ神秘は心を打つものがあった。現代人が忘れかけている、月読命が統治する「夜の食国(おすくに)」の神々しさである。


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