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阪神・淡路大震災から2年──津名郡支部長の闘い [神社人]

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阪神・淡路大震災から2年
──津名郡支部長の闘い
(「神社新報」平成9年1月13日号)
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 伊弉諾神宮(兵庫・淡路島)の本名孝至禰宜が津名郡支部長に就任したのは、阪神・淡路大震災直後の一昨年(平成7年)2月1日である。以来、多忙の日々が続いている。

 自衛隊のほか、神青協、天理教などによる、「人生観が変わる」ほどの献身的な協力で、瓦礫の後片付けが一段落したあと、支部長としての初仕事は、被災の実態調査だった。

 四国地区神青協の神職と手分けして、鎮座地を回り、2日がかりで現地調査した。

 郡内189社のうち、3分の1が被災し、20社が深刻な被害を受けた。被害総額は数十億円。

 いちばん心が痛んだのは、「所在が分からない神社が2社あった」ことだ。祭りは絶え、神職や氏子にも確認できない。

 神社本庁などからの義捐金の配分にも苦労した。本務、兼務、所管兼務に分類し、本殿、拝殿などそれぞれに基準点をつけ、被害を数値化する。不公平や間違いがあってはならない。何度も計算し直し、徹夜の作業が続いたらしい。

 希望が見えてきたのは、冬が去り、春の息吹が芽生えたころという。

「これなら復興できる」

 氏子の住宅建設の槌音が本格化したのは翌春だった。

「これからはお宮の復興が競争になる。そうなると早いですよ」

 いま切実に願うのは、常設の特別融資制度だ。

 大震災直後、神社本庁は特例貸付規定を設けて、被災神社を助成したが、「氏子が壊滅的被害を受けた地域では神社復興を考えるゆとりがなく、制度が十分に活かせなかった。助成が必要なのはむしろこれからだ」というのである。

 心配なのは、北淡町で大歳神社など5社が大がかりな震災復興土地区画整理の対象になっていることだ。

 町は車社会への対応と防災都市づくりのために幅15メートルの幹線道路建設が必要だとし、1割の土地の提供、移転などを求めている。

 支部では安易な社有地変更を危惧し、一昨年(平成7年)6月、「神社の保全と尊厳護持」のための請願書を提出した。

 区画整理は紆余曲折の末に昨年(8年)11月上旬に県知事の認可が下り、具体化されることになった。根強い住民の反対で先行きはまだまだ不透明だが、「町も柔軟になった。まったく協力しないわけにはいかない」。

 昨年11月末、困った事態が持ち上がった。

 昨夏、兵庫県は文化財と歴史的建造物の復旧に対し、「復興基金」による最高500万円の補助を決め、8月に申請を受けた。ところが県神社庁にも知らされず、半年間も蚊帳の外に置かれていたことが判明したのだ。

 県や町に照会して、担当者が慌てて説明に来るという始末で、その後、12月の2次申請に向けた作業に着手したが、「はなはだ遺憾」と唇をかむ。

 必要な情報が与えられず、行政の無能ぶりが暴露されたのが大震災だったが、官僚たちは懲りずに同じ轍を踏んでいる。

 震災以来、夫人と愛犬とのプレハブ暮らしが続く。自宅は全壊だった。

「アパートを借りるぐらいはできますよ。でも、まだ仮住まいの氏子がいるのに申し訳が立たない。お宮と氏子は運命共同体。神職は神様と氏子の両方に奉仕しなくてはならない。最後の1人が復興するまで続けますよ」

 闘いは当分、続きそうだ。

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