SSブログ

森と共存する日本の稲作 ──アニミズムの可能性 [稲作]

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
森と共存する日本の稲作
──アニミズムの可能性
(「神社新報」平成9年4月14日号)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 日本の水田稲作は3000年前、中国大陸から伝来したといわれます。大地を耕して食糧を生産する「農業革命」です。けれどもそれは深い森に包まれた日本列島に初めての大規模な自然破壊をもたらしました。

 しかし興味深いのは、破壊はそれほど大きなものとはならなかったことでした。ヨーロッパでは麦作と牧畜の展開によって大森林が消滅し、ヒース(低灌木)が広がる荒野と化しましたが、日本はそうではありません。

 森林が破壊されなかった理由は何でしょうか。樹木の新芽を食べ、破壊の元凶となる家畜を放棄したからだ、という見方もあります。水田稲作をもたらした渡来系弥生人は大陸から家畜を連れてきたが、渡来後は蛋白源を魚に求めた。そのため森と共存する農耕社会、つまり「森の文明」を作り上げることができた、というのですが、それなら、なぜ彼らは家畜を捨てたのでしょう。

 むしろ森という風土で生まれた多神教的世界観が山紫水明を守ったのではないでしょうか。つまり、自然の神霊を信じるアニミズムの力です。かつてアニミズムといえば、「未開の宗教」のレッテルを貼られてきたのですが、環境問題が人類の共通課題となった今日、再評価が求められているということなのでしょう。

 日本最初の歴史書である「日本書紀」をひもとくと、木神・植林神であるイタケルノミコト(五十猛神)のくだりがあります。父神のスサノオノミコトとともに、木の種を持って新羅(しらぎ)国に天降られるのですが、面白いことに、韓地(からくに)では植えずに種を持ち帰り、大八洲(おおやしま)に植え、すべて青山にしてしまわれた、というのです。

 このためイタケルノミコトと命名され、有功(いさおし)の神とされて、いまは紀伊国においでになる、と書かれてあります。「木の国」(紀国)の一宮・伊太祁曽(いたきそ)神社です。〈http://www.nextftp.com/itakiso-jinja/


▢ 大八洲を青山にした日本の神と
▢ 森林を破壊したヨーロッパ文明


 朝鮮半島が乾燥した岩山であるのとは対照的に、縄文時代の日本列島は99パーセントまでが照葉樹林と呼ばれる深い森に覆われていたといいます。森の豊かな恵みは縄文人に稲作を必要とさせなかったともいわれます。ところが、3000年前、地球の寒冷化で状況が変わります。

 中国大陸では戦乱の時代を迎え、多くの稲作民が難民として日本列島に殺到しました。他方、縄文文化はやはり寒冷化によって危機に瀕していました。森や海から豊かな食糧を得ることが困難になり、深刻な飢餓がもたらされます。危機に直面し、縄文人は稲作を受け入れた、と国際日本文化研究センターの安田喜憲先生は説明しています(季刊「考古学」1996年8月)。

 水田農耕は瞬く間に北部日本にまで展開しました。原野を切り開き、整地をし、川から水を引く。稲作の始まりは日本列島の生態系に大きな変革をもたらさずにはおきませんでした。

 ところが、です。生態学者の宮脇昭先生によると、深刻な自然破壊には至らなかったのでした。この2000年のあいだに開発された水田は国土の1割にも満たず、7割は以前、森に包まれています。それは私たちの祖先が自然への畏怖の念によって、弱い自然を守り、共存を図ってきたからだ、と先生は解説しています(『緑の証言』など)。

 今日、地球の自然は疲弊しています。大気汚染、熱帯林の破壊、海洋汚染、オゾン・ホール、そして温暖化など、地球環境の悪化を耳にしない日はありません。

 なぜこうなってしまったのでしょう。原因は近代ヨーロッパ文明の繁栄と関わりがある、と安田先生は指摘します(『講座文明と環境9』)。大自然と闘い、征服してきたのがヨーロッパ人の歴史でした。

 安田先生は『ギルガメシュ叙事詩』に着目します。1872年に古代アッシリアの遺跡で発見された粘土板には、くさび形文字で人類最古の神話が書きつづられていました。そのうちの「第五の書板」は、シュメール王ギルガメシュが聖なる香柏(レバノンスギ)の森に遠征し、親友と太陽神の助けを借りながら、森の守り神フンババを殺害し、香柏を伐採する場面です。

 安田先生が指摘するように、5000年前に書かれたこのメソポタミアの神話はイタケルノミコトの神話とはまったく対照的に、森の神を怪物とし、逆に森の破壊者を英雄と称えます。「都市文明の誕生は森の王殺しと軌を一にしている」のです。やがて自然への畏敬を失った人間によって、メソポタミアの森は消滅し、同時に最古の文明は崩壊するのでした。

 エーゲ海に栄えたミケーネ文明も愚かにも同じ運命をたどります。紺碧のエーゲ海と青い空、白い岩山に建つ白亜の神殿は人々の旅情をかき立てます。しかし、絶景はけして自然の芸術ではありません。石灰岩の岩山は最初から不毛のはげ山だったのではないというのです。

 安田先生によると、ペロポネソス半島には5000年前、ナラやマツの森が繁茂していました。ところが、ミケーネ文明の発展期に当たる3600年前ごろになると、船や建築材、燃料として木材が乱伐され、麦作や牧畜で硬葉樹の森は消滅しました。豊かな森を食いつぶし、地中海の文明は崩壊、痩せた土地と無生命の海だけが残ったのです。


▢ 自然支配を命じた唯一神
▢ 破壊の先頭に立つ宣教師


 どうしてこのような愚かしい森林破壊が繰り返されたのでしょうか。

 安田先生は一神教の成立と伝播が森を破壊し、消滅させた、と考えます。

 一神教はエジプトのナイル川流域で生まれました。5000年前、寒冷化と乾燥化で人々は大河のほとりに集中し、流民を奴隷とする古代エジプト文明が成立します。森林の消滅と砂漠化で大地の神など多神教の神々が脱落し、一神教が生まれます。3200年前の寒冷期、ちょうどモーセの出エジプトのころのようです。

 唯一絶対神のもとで人間を世界の中心に位置づけ、自然を征服し支配する思想はユダヤ・キリスト教に受け継がれます。『旧約聖書』には、神が天地創造のあと最初の男女を創造し、こう祝福したとあります。

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」

 ヨーロッパが自然破壊の文明に席巻されるのは「12世紀のルネッサンス」のころからといいます。温暖な気候と農業技術の進歩で、ブナやナラで覆われたアルプス以北の大森林地帯は急速に開墾され、消滅していきました。

 森林破壊の先頭に立ったのは宣教師だといいます。彼らは森に住むケルト人やゲルマン人の伝統的なアニミズムの神々を排斥し、聖なる森を切り開き、聖木を切り倒しました。邪教の巣窟である森の闇に光を与え、異教徒を野蛮な儀式から解放することが正義と信じて、疑うことはありませんでした。

 自然征服の文明は、15世紀の地理上の発見によって、ヨーロッパから全世界へと広がっていきます。侵略の先兵となったのはやはりキリスト教の宣教師です。

 北アメリカでは、ヨーロッパ人による開拓で、インディアンによる野火などとは比較にならないほど、森林が破壊されました。入植から300年間でじつに8割の森林が北アメリカ大陸から消滅したと安田先生は指摘します。

 砂漠に成立した一神教が森の文明を侵略し、緑の大地を砂漠化したのです。ヨーロッパ文明は物質的には豊かながら、無機質的、無生命の近代都市を築き、砂のような大衆と都市の病理を生んだのです。

 近年は環境問題に熱心なキリスト者を見かけることがあります。たとえば、学習院大学の飯坂良明教授(故人)はこう書いています。

「惑星地球は、今や危機的状況に立ち至っている。……手をつけても無駄だといわれる前に、壊滅的危機に至る趨勢を止めるために、私たちは必要な手を打つことを求められている」(『未来への軌跡』)

 飯坂教授は、環境の危機が生じた原因は

「人間が自分たちのために勝手に自然を支配し、人口は幾何級数的に増大してしまった」ことにあり、

「私たち宗教者は悔い改めや懺悔の気持ちをもって、私たち自身に重大な問いかけをする必要がある」

 と指摘するのですが、森の聖霊を否定し、森を破壊してきたキリスト教の歴史について言及が見当たらないのはどうしたことでしょうか。


▢ アニミズム・ルネッサンス
▢ 鎮守の森にご関心の陛下


 環境問題解決の処方箋は西ヨーロッパの一神教的世界観からは見いだせないのでしょう。安田先生が指摘するように、むしろキリスト教が未開・野蛮の宗教として否定したアニミズムにこそ可能性が見いだせるかも知れません。

 とはいえ、ヨーロッパのキリスト教信仰のなかにも、じつはアニミズムは生きています。

 早稲田大学の植田重雄教授によると、キリストの誕生を祝うクリスマスは元来は古代ローマの冬至の祭りだといいます。古い暦では12月25日は冬至に当たります。日がもっとも短くなり、ふたたび光が増すこの日を太陽神ミトラが誕生する日として祝ったのです。古代インドで生まれたミトラの信仰は西に伝播し、ローマの国教となる勢いだったようです。

 原始キリスト教の時代にはキリストの生誕を祝う日はありませんでした。ミトラ信仰との宗教抗争のなかで,祭日を奪ったのです。冬至は「世の光」であるキリストの誕生日に最適で、381年、クリスマスは第2公会議で公認されたといいます。

 キリスト教はヨーロッパ世界に浸透していく過程で、ゲルマンやケルトの農耕儀礼と習合します。クリスマスツリーが現れるのは300年前です。古代ローマでは季節の変わり目に月桂樹の枝を戸口に飾りましたが、ゲルマンには巨木の下で祈り踊る成就信仰がありました。それらはやがて聖書の生命の木の観念やキリスト磔刑(はりつけ)の木の十字架と結びつきます(『ヨーロッパの祭と伝承』)。

 けれども、これは異教の習俗を換骨奪胎して取り込んだのだという見方もあります。キリスト教以前のゲルマン社会では木を切った者は命で償い、立木の皮をはいだ者はへそをえぐり出される重罰に処せられました。しかし、キリスト教は逆に、樹木崇拝を大罪とし、聖樹を切り倒したあとに教会を建てました。

 ハーバード大学のS・ハンチントン教授は、21世紀は「西欧対非西欧」の「文明の衝突」の時代になると予測しました。しかし安田先生は対立の発想それ自体が一神教的であり、「衝突」よりも「融合」が求められる、と批判します。

 とすると、欧米人はみずからのアニミズム信仰を呼び覚ますべきなのではないでしょうか。安田先生は私たちの祖先が培ってきた森の文明の伝統に人類の未来を救済するカギがあるとし、

「アニミズム・ルネッサンス」

 と名付けています。宗教の原点であるアニミズムの大切さを思い起こすときではないか、というのです(『蛇と十字架』)。

 同様の意見は神道人のなかからも聞こえてきます。戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は、神道がアニミズムであることは明らかであり、

「日本の神道こそは,最高のアニミズム」

 であることを誇り、アニミズムの信に戻るべきだと主張しています(『神国の民の心』)。

 けれども、残念なことには、日本の森はまた病んでいます。

 日本列島は自然の照葉樹がいまや0・1パーセントにも満たないようです。明治以来、近代思想や近代科学の導入で、日本人の心は自然から離れています。もはや私たちの自然観は観念に流れています。「山川草木に霊を感じる」人は東京では5人に1人しかいない、という調査もあるようです。

 宮脇先生は、あるとき学生たちと自然の照葉樹林を足を棒にしながら探し歩いたといいます。毎日、探しても見当たらない自然林は、猫の額ほどのところにこんもりと茂っていました。果たせるかな、タブの林の中には小さな祠(ほこら)がありました。

 森の文明を守ってきたアニミズムが衰退し、逆に小さな村の鎮守が自然の森の最後の砦になってしまっているという現実です。

 さて、それなら日本の森の文明をどう回復していくのか。

 宮脇先生は、日本の自然のシンボルである鎮守の森の保護に、今上陛下が深い関心を寄せていることを指摘しています(『鎮守の森と生態学(エコロジー)』)。思えば、天皇が、つまり国の統治者がみずから稲作をし、さらに植林し、森を育てている、そのような国は日本以外にはないでしょう。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。