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靖国の祈りを絶やさないために──「愛媛県玉串料訴訟」違憲判決に思う [靖国問題]

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靖国の祈りを絶やさないために
──「愛媛県玉串料訴訟」違憲判決に思う
(日本学協会「日本」平成9年6月号)
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 愛媛県玉串料訴訟の上告審で、最高裁大法廷は(平成9年)4月2日、県が靖国神社の例大祭などに公費を支出したことは違憲である、との判決を下した。
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「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀に関わり合いを持ったということが明らかである」との多数意見はきわめて単純明快で、専門家の判断を仰ぐ必要も感じさせないほどである。

 この違憲判決を期に、いわゆる国家護持はいうにおよばず、国際的慣習として当然認められるべき首相や閣僚など公的機関(公人)の表敬も、自粛の方向に向かうのであろうか。それは国家としての責務を放棄することにならないか?

 判決の問題点を検証する。


▢1 靖国神社は「特定の宗教団体」か?

 判決では、靖国神社が「特定の宗教団体」との「烙印」を押されたことが注目されるが、この認識は妥当なのか?

 同社は創建以来、近代国家としての日本が経験した戦役に斃れた幾多の国民を祀る国家的な神社として、朝野の崇敬を集めてきた。

 しかし敗戦後、「神道指令」で国家との関係を絶たれ、宗教法人令の改正で、半ば強制的に「宗教法人」に移行させられた経緯がある。GHQは同社を「軍国的神社」として敵視し、爆破計画さえあったという。神社にとっては、存続こそが焦眉の急だったのである。

 日本の国家が戦没者の慰霊の責務を放棄し、民間に押しつけてから、50年という年月が過ぎた。国家的慰霊施設としての靖国神社はもはや遠い過去になったのか?

「靖国闘争」の指導的立場にあるキリスト者(プロテスタント)はこう語っている。

「国の慰霊施設としては千鳥ヶ淵があるではないか。国の立場で戦没者を慰霊したいのなら、千鳥ヶ淵にお詣りすればいい。どこの教団でも慰霊施設はある。なぜ靖国神社だけ特別扱いしなくてはならないのか?」。

 特定の宗教団体である靖国神社に国家が関わるべきではないし、関わる必要もない、という論理である。

 日本の国家は、必ずしも戦没者の慰霊を放棄してはいない。しかし近代以降の戦没者を追悼する国家的施設は靖国神社以外にはない。

 昭和34年に竣工した千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、単なる「無名戦没者の墓」ではない。厚生省の閣議報告(同年3月13日)によれば、竣工式に引き続いて執行された追悼式は、「収納遺骨によって象徴される支那事変以降の戦没者に対して」のものと位置づけられた。

 他方、毎年、終戦記念日には政府主催の全国戦没者追悼式が武道館で挙行され、両陛下も御臨席になり、お言葉を述べられる。けれども、この政府主催の追悼式でさえ、戦没者の範囲は「支那事変以降の戦争による死没者」(昭和38年5月18日閣議決定)に限られている。つまり、明治以来の全戦没者を対象とする慰霊施設は靖国神社以外にはない。

 今回の判決は、千鳥ヶ淵墓苑や全国戦没者追悼式が対象としていない、今次大戦以前の戦没者を国が見捨てることにならないだろうか? 国家としては、まさか明治のむかしはあずかり知らぬというわけにはいかないだろう。

 先のキリスト者は、「国の慰霊施設として千鳥ヶ淵墓苑では不十分だというなら、立派な施設を新たに建設すればいいではないか」ともいう。しかし、たとい国が明治以来の全戦没者を対象とする慰霊施設を新たに建設したとしても、屋上屋を架するだけで問題解決にはなるまい。

 各地にさまざまな慰霊施設があるなかで、靖国神社が創建以来、百数十年間、国家的な慰霊施設として中心的な機能を果たしてきた歴史はけっして無視されるべきではなかろう。靖国神社は国自身によって創建されたという事実を、国は忘れるべきではない。敗戦と占領で日本の政体は一変したとしても、戦前と戦後の歴史の連続性に完全に目をつぶることはできない。

 むしろこの50年、国に代わって、民間人の手で戦没者の慰霊が絶えることなく、続けられてきたことを、国はしかと肝に銘ずるべきであろう。


▢2 「政教分離」のご都合主義

 靖国問題の核心はいうまでもなく、靖国神社が「宗教法人」であり、現行憲法が厳格な「政教分離」を定めていることにある。しかし、こと靖国神社に関しては厳しい政教分離主義が主張されながら、ほかのケースでは意外にも寛容な政教関係の実態が認められることがある。

 要するに、ダブル・スタンダードである。

 たとえば、関東大震災の遭難死者の遺骨を納める目的で昭和5年に建てられ、戦後は空襲による殉難者の遺骨も納骨されて、合わせて16万3000柱の遺骨が安置される、東京・横網の東京都慰霊堂では、完全な仏式による慰霊法要が執行されている。

 今年(平成9年)3月10日の「春季慰霊大法要」(主催=財団法人東京都慰霊協会、協賛=東京都、東京都宗教連盟ほか)では、天台宗関東総本山・東叡山寛永寺(東京・台東区)の住職が導師を務める読経が行われた。そのあと、都知事や都議会議長らが追悼の辞を述べ、御臨席になった高円宮殿下・同妃殿下が焼香された。

 祭壇には昭和天皇・皇太后陛下からそれぞれ下賜された花瓶や香炉、首相や両院議長の献花もある。祭壇の奥には「震災遭難者霊位」「戦災殉難者霊位」と墨書された、大きな位牌(霊碑)が見える。

 震災や空襲の犠牲者を弔うことは大切である。全日本仏教会、東京都神社庁、東京都教派神道連合会が協賛者としてともに名を連ね、宗派を超えて追悼の儀礼が営まれていることも好ましい。けれども、仏教的儀式に国や東京都が関与しているのは明らかではないか?

 それでも「憲法違反」とことさらに騒ぎ立てられないのは、慰霊堂の所有は東京都だが、管理は財団法人東京都慰霊協会に委託されていて、宗教団体ではないから、というような理由だけなのか? 靖国神社が首相の参拝さえ批判されるのとは対照的だ。最高裁の判断が形式的なご都合主義のように見えてくる。

 ほかにもある。ミッションスクールに対する「私学助成」はどうなのか? 憲法(89条)は教育団体への公金支出を明確に禁じているが、実際には私立学校法(59条)によって、制度として認められているのはどういうわけだろう。

 明治以来、欧米系のキリスト教主義学校は日本伝道開拓の核となってきた。もちろん表向きは学校法人だが、母体は宗教法人であり、聖職者が代表を務めるケースは少なくないのではないか。関西において、キリスト教女子教育でもっとも古い歴史を持つ学校は、「寄附行為」に「基督の教えに基づき女子に教育を施すをもって目的とする」と、はっきり謳っているのではないか。

 私学助成の金額が神社の玉串料とは桁違いであることはいうまでもない。私学助成の制度が特定の宗教団体に特権を与え、宗教教育に手を貸していることにならないか。キリスト教団体の教育に対する貢献は認められなければならないが、教育関係法規の規制を受けている以上は「公の支配に属している」との理由で、助成は合憲とする法理論は、やはり形式論のそしりを免れないのではないだろうか?


▢3 破綻した「政教分離」思想

 憲法が掲げる「政教分離」思想そのものがもはや破綻しているのではないか。判事たちは国家による戦没者の慰霊を阻んでいる現行憲法の限界をこそ問うべきではなかったか?

「政教分離」は17世紀のジョン・ロックの思想に源流があり、その根底にはキリスト教思想があるといわれる。新約聖書の「マタイによる福音書」に、納税問答のくだりがある。

 ファリサイ人が、ローマの追従者であるヘロデ党とともにイエスを試みようとして近づき、ローマ皇帝に人頭税を納めるべきかどうかと問いただす。意図を見抜いたイエスは、カエサルの肖像が刻まれた銀貨を示し、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と答え、立ち去る。

 聖と俗、天上の権威と地上の権力とは異なるとするキリスト教の二元的世界観はここに由来するのだろう。ロックは、政治は地上の世俗世界の支配であり、他方、宗教は天上の世界の支配を扱うものとして区別し、国家と教会との分離によって、中世の宗教戦争を克服しようとした。

 戦後唯一の神道思想家である葦津珍彦によると、ロックは徹底した「宗教の自由」を力説した。しかし、国家への無条件の忠誠という市民道徳を当然のこととして、これに反するものには厳しい制約を主張し、イスラムや無神論の宗教的自由を認めなかった。

 ところが今日では、ロックの古典は反キリスト教思想や無神論思想の自由のために援用されている。それどころか、アメリカではキリスト教に基づく公教育を違憲とする判断の基準ともなっている。

「ジョン・ロック流の政教分離の制度思想は、その根底から破綻してしまったと断ぜざるを得ない」と葦津は書いている(『宗教法人法とその税制』)。

 夏の戦没者追悼式は宗教儀式を伴わない「無宗教」の形式で行われている。式には聖職者による儀礼はない。読経もなければ、祝詞の奏上もない。焼香も玉串奉奠もない。代わりに、天皇陛下のお言葉と首相の式辞、黙祷と菊の献花があるばかりである。政府はこれをもって「無宗教」としているようだが、妥当だろうか?

 そもそも死守を弔うのに宗教性が否定されるはずはない。死者の霊を慰めることは「宗教」そのものであろう。「国はいかなる宗教的活動をしてはならない」という憲法(20条3項)の条文自体に無理があるのではないか?

 政府は既成の宗教儀礼を採用しないことで宗教性を排除しようとしているが、結果としては、民族が歴史的に形成してきた宗教儀礼を権力的に否定したうえに、「無宗教」という新たな宗教儀式を生み出し、政府自身が布教しているように見える。

 それは戦前、官僚が神道の形式を真似て、「国家神道」なる無宗教の疑似宗教を創出したのと似ている。官僚たちは、表向きは戦前を否定しているようで、じつのところ踏襲しているのである。


▢4 法廷闘争の不毛

 過去の靖国訴訟は、ほとんどすべてキリスト者、とくにプロテスタントの異議申し立てによって進められてきた。「靖国闘争」はすなわち、司法を舞台とした「宗教戦争」の側面を持っている。

 キリスト者たちはなぜ、宗教問題を法廷で争う道を選んだのであろうか? 政治と宗教の分離問題を政治権力の一翼である司法にゆだねるというのは矛盾だが、なぜあえてその矛盾を冒したのだろう。私はキリストの磔刑を思わずにはいられない。イエスの十字架刑は総督ポンテオ・ピラトによる世俗の裁判で決定されている。

 最近、キリスト者のなかには、宗教問題を裁判で争ってきたことを反省する声があると聞くが、同感である。キリスト者たちは世俗の権威によらない、宗教者に相応しい方法を見いだすべきではなかったか?

 宗教者が法廷で裁判の勝敗を争うことそれ自体、宗教の堕落でなくしてなんだろうか? キリストの権威は、総督の前に立たされたときに失われていたのと同様に、キリスト者は法廷にみずから立つことで、もはや宗教者ではなくなって、といえないか?

 判決の日、最高裁の正門は物々しい警戒ぶりだった。開廷からおよそ5分後、1台のマイクロバスが正門を通り過ぎ、去って行った。バスには原告団の僧侶やキリスト者のにこやかな表情があった。彼らはなぜ、宗派を超えた最高の追悼式を国に殉じた戦没者に捧げることを、宗教者して考えようとしないのだろうか?

 戦没者の慰霊は戦争を盲目的に肯定することでも、讃美することでもないはずだ。過去の戦争に対する評価は人によってさまざまであろうが、慰霊・鎮魂と歴史認識とはまったく別ではないのか?

 キリスト者たちによる「靖国闘争」は時代遅れとも思える「政教分離」の呪縛に惑わされ、国家がもっとも大切にすべきものを見失わせてしまった。いうまでもない、戦没者を慰霊する国家の責任である。


▢5 「人を裁くな」

 キリスト者は、戦前の国家神道が自分たちの信仰を脅かしたと認識し、その苦い経験から、「国家神道の亡霊」が目を覚まし、シンボルとしての靖国神社が再び国家と結びつくことに、大きな不安を抱いているようだ。

 前述のキリスト者は、「風邪を引いて肺炎を起こした人は誰でも、これに懲りて、必要以上の予防措置をとる」と語っているが、文字通り、羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くのたぐいといわねばならない。そもそも国家神道理解に大きなギャップがありそうだ。

 国家神道は、戦前の政府官僚が創り出した疑似宗教で、神道人のなかには猛烈な反対があった。たとえば、朝鮮神宮に朝鮮民族の祖神を祀らず、天照大神を祀ることに抵抗したのは、在野の神道人である。

 戦時中、東条内閣は皇祖天照大神以前の神々の存在を否定し、天照大神信仰に統一する神道論を正統として、神道思想家今泉定助の神道書などを発禁としたが、このとき神道の伝統を侵すものとして激しく反対したのも神道人である。

 GHQは、日本の「軍国主義」の温床だとして、靖国神社を敵視した。しかし数年の占領期間中に、彼らは自分たちの認識の間違いに気づいたらしい。

 戦時中、国家意識を宣揚させ、「侵略戦争」を煽ったのは、無為無力とも映った国家神道神社の神職ではなく、在野の民族主義者であった。占領軍は、「国家神道」への敵視が幻影に過ぎなかったことに気づきながらも、自分たちがドン・キホーテであったことを認めず、口をつぐんだまま帰国した(葦津珍彦『国家神道とは何だったのか』)。

 靖国神社のみならず、神道の信仰には古来、国家の祭りと民衆の祈りという二面性が認められる。たとえば、皇祖神を祀る伊勢の神宮は私人の参拝を認めない私幣禁断の神社だが、江戸期には「お蔭参り」という群参が爆発的に発生したことはよく知られている。

 天皇が勅使を差遣し、奉幣なさる勅祭社はむろん朝廷の崇敬の篤い社だが、同じお宮に対して、民衆レベルでは土着的な、多様な信仰が別個に認められる。国家の祭りと民衆のそれぞれの祈りが独立でありつつ、1つにつながっているところに、日本民族が古来、培ってきた神道信仰の本質があろう。

「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」(旧約聖書「出エジプト記」)とする一神教とは異なる、多神教としての神道の信仰の幅広さと寛容さが確保されてきたのであろう。

 先のキリスト者は、戦前は国家・宗教・道徳が天皇の一身において統合される「天皇教」が諸宗教に優先する普遍的宗教として国民に強制され、そのための心理的暴力的装置として「教育勅語」「靖国神社」などが完備され、「天皇教」を拒否するものは反逆罪に問われ、「非国民」とされたと主張する。

 戦時中、官憲がキリスト者たちに不法を働いた事実がなかったわけではないが、その経緯と原因はあらためて精査されなければならないと思う。

 ただ、キリスト者たちは戦前の「弾圧」を過渡に強調しすぎていることを指摘しないわけにはいかない。たぶん「迫害」の体験が、キリストの受難・復活の信仰と二重写しになっているのだろう。「迫害」を強調することがキリストへの信仰の証となっているのではあるまいか。

 もしそうだとすれば、批判の矛先を靖国神社に向けるべきではない。「主は愛する者を鞭打たれる」(新約聖書「ヘブライ人への手紙」)からだ。試練を与えたもうのは「主なる神」なのだ。

 そして公正を期すなら、キリスト教自身がヨーロッパ全土に浸透する過程で、あるいはアメリカ大陸やオーストラリアで、日本の国家神道とは比べものにならないほど、過酷に異教徒を迫害した歴史を忘れるべきではない。タスマニア・アボリジニはキリスト教徒の入植からたった70年で、絶滅したではないか。アメリカでは戦時中、日系の神社仏閣が迫害を受けることはなかっただろうか?

 キリストは語っている。

「人を裁くな。自分が裁かれないためである」
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
「七の七十倍までも赦しなさい」(新約聖書「マタイによる福音書」)

 先のキリスト者は、唯一神を信仰する「信仰の純粋性」を強調するが、異なる信仰を持つ者を排撃することが「純粋性」であってはならない。

 キリストは、律法や戒律にこだわり、人間の愛を見失った律法学者やファリサイ人ともっとも激しく敵対したが、日本のキリスト者たちは、「信仰の純粋性」に執着するあまり、世俗的な法廷闘争を展開し、天上の神以上に、地上の憲法に忠実な「律法学者」を創り出すという本末転倒を演じてしまったのではないか?

なによりも、静謐な慰霊と祈りの祭場を、宗教闘争の修羅場に変えてしまった罪は重い。


▢6 「宗教法人」取り消しの英断を

 判決の日、国会では、超党派による「靖国神社に参拝する国会議員の会」が結成された。保・保連合への布石といわれる。靖国神社への参拝はけっこうなことだが、なぜ政治家たちは懲りもせずに神社を政治利用するのだろうか。不敬とは思わないのか?

 昨年(平成8年)7月に橋本首相が首相としてほぼ10年ぶりに靖国神社参拝を果たしたときもそうだった戦没者に対して国家の代表者として礼を尽くすのは当然であろうが、参拝する政治家たちは、なぜ神前でかしこまないのだろう。まるで政治的示威行動のように、なぜ集団で参拝しなければならないのか?

 橋本首相は、「従兄があそこに帰ってくるといって出撃した」「誕生日という私的な日を選んだ」と、ことさらに個人的な参拝であることを強調した。

 しかし、靖国神社に祀られた戦没者は個人的に死んでいったわけではないし、個人として祀られたわけではない。日本国民であるがゆえに、国家が始めた戦争に徴用され、あるいは志願し、武運つたなくかけがえのない命を国に捧げた「赤誠」はけっして個人的ではあり得ない。一国の首相が参拝するのに、どうして個人的であり得ようか?

 為政者が政策を誤れば、戦時であれ、平時であれ、多くの無辜の民が命を失うこともある。阪神大震災では、行政の無能ゆえに、数千人の犠牲者を招いたではないか?

 いかに有能な政治家であれ、高級官僚であれ、人間であるかぎり、「全知全能」ではない。為政者たちは靖国神社の清浄な聖域で、そのことを心に刻むべきではないか? 権謀術数に明け暮れる永田町の汚れを祓い、真摯に祈り、神の加護を求めるのが、ほんとうの靖国参拝のあり方であろう。今日、日本の政治には「聖なる感覚」が欠けている。

 さて、靖国神社はどうあるべきなのか。1つのエピソードを紹介したい。

 以前、あるテレビ番組で、「ミッちゃん」という日本名で呼ばれていた、「元従軍慰安婦」だという韓国人女性が、こんな話をしていた。ミッちゃんには、明良(あきら)という名の、相思相愛の戦闘機乗りがいたという。甘い日々は長くは続かない。とうとう別れのときがやってきた。出撃である。

「ミッちゃん、行ってまいります」

 直立して敬礼する青年は、それっきり帰ってはこなかった。右の二の腕に入れ墨で彫られた日本兵の名前がシワに埋もれている。

「ワタシ、靖国神社に行きたいよ」

 老いたミッちゃんの言葉を、靖国闘争に明け暮れてきた宗教者たち、権力の汚辱にまみれた政治家たちは、どう受け止めるだろう。

 靖国神社はどうあるべきなのか?

 近代以降、国のために殉じた国民を、国家自身が創建した靖国神社で、国家自身の手で慰霊することがもっとも相応しいと信じるなら、しかもその障碍となっている憲法の改正が難しいという認識に立てば、靖国神社は涙を飲んで、「宗教法人」からの離脱を決断せざるを得ないだろう。

 靖国神社の前身・東京招魂社は、明治2年6月に創建された。「別格官幣社靖国神社」に列格改称されるのは、10年後の同12年6月。

 その理由は、「国家神道の重要な一支柱として、その地歩を確立する」(村上重良『慰霊と招魂』)というような大仰なものではなく、「永世不朽ノ大社」とは名ばかりで、「永世祭資料1万石」の下付も国庫窮乏で名目だけという窮状を打開するためだったともいわれる。招魂社当時は神官の設置さえなかったという(阪本是丸『国家神道形成過程の研究』)。

 戦後いち早く「国家護持」実現に取り組んできた葦津珍彦は、宗教法人の取り消し、法人格の変更を神社当局に勧めたことがあるという(「中外日報」昭和55年5月6〜15日)。

 苦渋の選択ではあろうが、靖国神社は英断をもって、もう一度、明治初年の原点に立ち返ることを、あらためて検討すべきではなかろうか?

 戦後50年を経て、靖国神社は大きな岐路に立たされている。これまで神社を物心両面から支えてきた遺族会や戦友会は、会員の高齢化や死去のために、続々と解散している。これからいったい誰が靖国の祭神を守るのか?

 時代の荒波が襲おうとも、靖国の祈りを絶やさせてはならない。

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