SSブログ

産土神(うぶすながみ)について考える──国際化とサラリーマン化と民族宗教 [神社神道]

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
産土神(うぶすながみ)について考える
──国際化とサラリーマン化と民族宗教
(「神社新報」平成9年6月9日号)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「私、カップ麺、持ってきたワ」
「私はインスタントの味噌汁」──。

 タイのバンコク空港の入国審査で、旅慣れているらしい年配の日本人女性が談笑している。

 海外旅行の旅先で、外国の食文化にどっぷり浸かり切るのは難しい。どうしても日本食が恋しくなる。だから、旅行用品店では、お湯をかけるだけで食べられるというご飯やおにぎり、お惣菜が売られている。

 海外赴任者にお茶や味噌など、日本の食材を定期的に宅配する業者さえある。インドのボンベイ(ムンバイ)で再会した商社マンの、自宅の冷蔵庫には生卵や納豆、海苔もあった。

 海外に出かける人の数が年間1500万人を超え、ヒト、モノ、カネの国際的移動がどんどん増大しているのに、私たちの舌は完全には世界化できないでいる。

 いや、そうではない。私たちの胃袋には、知らぬ間に、「世界」が詰まっている。日本は世界最大の食料輸入国なのだ。

 生まれた土地の恵みだけを命の糧としていた時代は、遠い過去となった。となると、村々の風土に根ざした神道の産土信仰は、もはや幻影に過ぎないのだろうか?


□年間1500万人が海外へ
□世界で最大の食料輸入国

 日本は今日、世界最大の食料輸入国である。昭和59年に旧ソ連を抜いて第1位に躍り上がってから、毎年、輸入ばかりが増え続けている。輸入額では、世界の8・1%を日本が占める。その結果、食糧自給率(供給熱量自給率、平成6年)は46%、穀物自給率では30%となる(『農業白書』など)。

 穀物自給率が低いのは、飼料穀物の大半が輸入だからで、これを100%にしようとすると、耕地拡大のために日本列島があと2つ必要になるという。輸入なしでは私たちの食卓は成り立たなくなっている。

 魚介類もまた同様で、日本は世界1位の輸入国である。国内の総供給量1320万トンのうち36%、1兆7000億円(平成4年)が輸入だ。金額では鉄鉱石や石炭を上回る。

 韓国のマグロや赤貝、アメリカのカニ、サケ・マス、ニュージーランドのタイ、オーストラリアの伊勢エビ──うっかり「江戸前の寿司」を信じ込むわけにはいかない。世界の漁獲生産量約1億トンの1割以上が日本人の胃袋に消える(加倉井弘『これでいいのか日本人の食卓』)。

 米はどうか?

 大凶作に見舞われた平成5年の翌年は豊作で、自給率は120%に跳ね上がった。けれども農業機械を動かす石油や生産に欠かせない化学肥料の原料は輸入だし、完全自給とはいいがたい。私たちはまさに地球を食べているのだ。

 古人は、生まれた土地の恵みと水と空気で命をつなぎ、やがて土に還っていった。そこに農耕社会に即応した産土神的信仰が培われたのであろう。評論家の筑波常治氏はこう書いている。

──日本人が主食とする米、つまり稲の特徴は、連作障害がないことである。小麦もジャガイモも、同じ畑で栽培すると翌年には病害が発生する。ところが、稲は毎年、連作できる。水田開発は畑の開墾よりはるかに手間がかかるが、これは大きな利点だ。
 その結果、稲作民は定住性を高め、土地への強い愛着が生まれ、猛烈な郷土愛を育んだ。ヨーロッパのナショナリズムが民族の人種意識と結びついているのとは違って、日本人の愛国心は土地と結びついている。日本人にとって、国家とはすなわち国土なのだ。

 筑波氏はそれぞれを、「民族ナショナリズム」「国土ナショナリズム」と名付けている(『米食・肉食の文明』)。

 しかしすでに農耕社会の段階は終わり、商品経済の浸透によって、私たちの生命はいまや地域を飛び出し、さらに国境を越えて、世界に依存している。その土地ならではの味覚は感動さえ覚えるが、農家がスーパーで野菜を買うような時代である。大地を耕し、その恵みをありがたく頂くという宗教的感覚は衰退している。

 國學院大學の井上順孝先生は、コンピュータの急激な普及や人的交流の拡大など、国境を越えて進行しているグローバル化(世界化)が、民族文化に挑戦することになるのは明らかだと指摘し、世界的な宗教状況が再編成に向かうこと、果ては「無国籍型宗教」の出現すら予見している(『グローバル化と民族文化』)。

 地域の風土に根ざした産土信仰の前提がすでに崩壊しているのではないか?


□稲作民の定住性を喪失
□「遊牧民」化した勤労者

 もうひとつ、産土信仰の消長に影響を与えずにはおかないものとして、都市化とサラリーマン化があげられる。『労働白書』によると、日本の人口1億2520万人(平成7年)のうち、就業者数は6457万人、雇用者は5263万人。国民の半数近くは「宮仕え」なのである。

 サラリーマンに付きものなのが転勤である。転勤による移動は1人平均2・75回、高学歴者ほど転勤が多い。年齢では30代が4割を占めるが、40〜50代になると、単身赴任が増える。海外赴任を含めて、その数は30〜40万人、年々、増加傾向にあるという(伊藤達也『生活の中の人口学』)。

 たとえば、長野・諏訪大社の澁川謙一宮司は、「諏訪は中小企業までが海外進出して、単身赴任する人がけっこう多い」と語る。諏訪は精密機械の企業城下町だが、円高時代に生産拠点が海外にシフトした影響は、祭りのあり方に及んでいるという。

 日本女子大学の大友篤先生によると、一生を同じ土地で過ごす日本人は4人に1人もおらず、ますます少数派になりつつある(『日本の人口移動』)。産土信仰の前提である農耕民族の定住性が失われている。そのうえ通勤通学は人口増を上回る勢いで増大し、移動区間は拡大している。

 平成2年の通勤者の数は4990万人。30年前の2倍以上に及ぶ。このうち他市区町村への通勤は23・6%に上る。大阪や東京では住んでいる人口の半分に当たる人間が通勤通学で毎日、流入するというからすさまじい(『現代日本の人口問題』)。

 東京は都心が過疎化する一方で、千代田区では夜間人口の2637倍、中央区では1107倍に昼間の人口が膨れ上がる(大友前掲書)。いわゆる「埼玉都民」「千葉都民」などが流入するからだ。寝るだけの居住地に郷土意識が芽生えるだろうか。多くのサラリーマンにとって、マイホームは「仮の宿」でしかない。

 農民が9割を占めていた江戸時代から、明治、大正、昭和を経て、社会構造は一変した。日本人は恒常的な移動を繰り返す、いわば「遊牧民」と化している。

 さらに、都市化は日本の風土そのものを変えてしまった。もう故人となってしまった東京・川の手のある神職は、こう語っていたという。

──いまとは違って、墨東は閑静な片田舎で、せせらぎが流れ、ネコヤナギが芽吹き、ヨシキリがさえずっていた。同じ区内でも、自然は多様で、湿地もあれば、砂地もある。生産される農作物も異なる。土が人間の命を育み、村人の気質を作り上げる。
「それが産土なんだよ。土をバカにしてはならない」

 ところが戦後、都市化の波が田園を蹂躙し、道路はアスファルトに覆われ、雑木林は田畑は生命感のないコンクリート・ジャングルに置き換えられた。多様な風土が多様な人間の気質と信仰を生むのだとしたら、画一的な都市空間が住民とその信仰に何をもたらすかは明らかであろう。

 神道学者の小野祖教先生が、
「国民の半数は郷土を持たない随時転勤移住する浮き草性市民となり、世代的に、親子の職業関係がつながらず、居住もつながらず、親族、隣保、郷土の意識が薄れると……今後、氏神はいかなるものに変質するか分からない。神社神道史上の大きな課題を含む過渡的時代に当面している」(『神道の基礎知識と基礎問題』)
 と指摘し、警鐘を鳴らしたのは30年も前だが、事態は深刻化するばかりだ。


□神道信仰に重大な変化か
□地域共同体再生のために

 一方で、時代や社会がいかに変わろうとも、神道や神社、祭りが変わることはないとする楽観的な見方もある。確かに日本人が日本人であるかぎり、神道それ自体が廃れることはなかろう。だが、個々の神社はどうなるか?

 滋賀の山奥で、「男が3人しかおらん。祭りはこれからどうなるじゃろ」という長老の嘆息を私は聞いている。阪神大震災後、淡路島の、ある支部長は、昭和27年には鎮まっていた神社が2社、所在が確認できなかったと嘆いている。過疎化の影響で、神職不在の神社が増えている。伝統的祭祀ばかりか、神社自体の維持管理が困難になっているケースもある。

 その一方で、都心のビルの谷間にある産土神もまた大きな危機に見舞われている。

 前掲の井上先生は、都市化によって、「キリスト教の場合は信徒の増加を見、神社神道の場合は神社信仰が脱地域化し、地域の鎮守から広域の崇敬社への変化」をたどったと分析する。新しい住民に氏子意識は希薄で、地元の祭礼から離脱する傾向がある。初詣には著名な神社にお詣りし、新宗教に吸収されたり、宗教的無関心層となっている(『現代日本の宗教社会学』)。

 神社の祭りには共同体の一体化をもたらす機能があるといわれるが、伝統行事から疎外された新住民と古い氏子との分裂傾向も指摘されている(芹川博通『都市化時代の宗教』)。

 國學院大學の石井研士先生によると、昭和30年代、戦後の経済復興で神社財政は全国的に上向いた。社殿再建が進められ、神前結婚も増えた。しかし戦後の社会変動があまりに急激だったため、背後で進行する時代のうねりに対応できなかった。共通理解が得られるようになったのは、最近のことだ、と語っている。

 大正12年の関東大震災のあと、神宮奉斎会の会長今泉定助にとって、灰燼に帰した日比谷大神宮の復興が当面の任務であった。だが、今泉は、「目に見える神殿の建設よりも、日本国民の精神の再建の緊急なことを痛感」した。そのため今泉は、敬神護国団を創建し、神宮大麻の普及などに尽力した。その結果、バラックの民家にも神棚が設けられるようになったという(『今泉定助先生研究全集1』)。

 その歴史の教訓は、戦後の焼け跡で活かされたであろうか? 大都市に流入した住民が団地に神社を勧請した例はあることはあるが、次の世代に信仰が引き継がれているものなのかどうか。追跡調査はないらしい。

 郊外に建設されたニュータウンはいま、人口流出と急激な高齢化を指摘されている。次の世代はどうやら大都市圏を放浪し続けている。産土信仰の行方は、各神社の個別的な問題ではない。多様な産土神がそれぞれの存立基盤を失っていくとすれば、神道の多様性はやせ細っていかざるを得ないからだ。

 國學院大學・上田賢治先生の「神道がその多神信仰の性格を失うとき、もはや神道ではなくなる」(『神道神学論考』)との指摘は時代への警鐘でもあろう。世界化や都市化の進展は神道信仰に、すなわち日本人の民族宗教に、重大な変更を与えるのではないか?

 都市の膨張や通勤地獄は社会病理や家庭崩壊の原因ともなっている。さまざまな教化の試みのほかに、産土神と氏子との関係を回復し、地域共同体を再生するために、職住接近や労働時間短縮の推進など、地域づくり、国づくりの政策提言を神道人が積極的に進めることはできないだろうか?

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。