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系譜が異なる2つの稲作起源神話──大気津比売殺害と斎庭の稲穂の神勅 [稲作]

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系譜が異なる2つの稲作起源神話
──大気津比売殺害と斎庭の稲穂の神勅
(「神社新報」平成10年11月16日号から)
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 日本人が主食とするだけでなく、神々への第一の捧げ物とされる米、つまり稲は帰化植物である。日本列島からは野生の稲が発見されていないから、そう断言できる。

 稲はどこからやって来たのか、稲作はどのように伝わってきたのか、を探ることは、同時に日本人のルーツを突き詰めることでもある。

 ここでは神話学の成果をもとに、考えることにする。

『古事記』『日本書紀』には、2つの稲作起源神話が描かれている。

 1つは天照大神が保食(うけもち)神から五穀の種子を得たとする神話であり、もう1つは天孫降臨に際して大神が稲穂をお授けになった斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅である。

 先月中旬、伊勢の神宮では1年でもっとも重要な神嘗祭が斎行され、今月下旬には宮中神嘉殿で皇室第一の重儀といわれる新嘗祭が親祭になる。

 いずれも神話の時代に連なる稲の祭りだが、元宮内省掌典の八束清貫氏は、神嘗祭の淵源は、保食神の神話で、その起源は倭姫(やまとひめ)命の巡幸に始まるとし、他方、新嘗祭は遠く天照大神の時代に起源し、大神が保食神から得られた稲穂を天孫降臨に際して瓊瓊杵(ににぎ)尊に授けられたことにそれぞれ由来する、というふうに書いている(『祭日祝日謹話』)。

 祭りの神話的由来がそれぞれ異なるようにも読める書きぶりだが、じつのところ、2つの神話は系譜が異なるらしい。東京大学教授・大林太良氏(民族学)の研究を中心に考えてみたい。


▢『記』と『紀』で内容が異なる
▢死体化生神話と稲穂の神勅

 まず記紀神話を読み直してみよう。

『古事記』では、高天原を追放された須佐之男(すさのお)命が出雲国の肥河(ひのかわ)の川上に下られる途中、食物を大気津比売(おおげつひめ)神に乞う。

 神は鼻や口や尻からさまざまなご馳走を出して奉った。命は汚いと思い、殺害する。

 すると死体の頭部に蚕、両目に稲穂、両耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生(な)った。

 神産巣日御祖(かみむすびのみおや)命はこれを五穀の種とした、と記述されている。

「死体化生型神話」と呼ばれるこの物語は、興味深いことに、『日本書紀』の本文にはない。記載があるのは、国生み神話のあとの日神、月神、素戔鳴(すさのお)尊出生のくだりの一書である。

 一書の二では、簡単に、伊弉冉(いざなみ)尊が生んだ火神軻遇突智(かぐつち)が土神埴山(はにやま)姫を娶り、そこで生まれた稚産霊(わくむすび)の頭部に蚕と桑が、臍(ほぞ)に五穀が生った、と記している。

 詳しいのは一書の十一だが、『記』では須佐之男命による大気津比売神の殺害だったのが、ここでは月夜見(つくよみ)尊による保食神の殺害に変わっている。

「葦原中国に保食神がいるから見てきなさい」と天照大神から命じられた月夜見尊が降りてみると、保食神の口から米の飯や魚などが出てくる。尊は憤然となって殺害する。大神は非常に怒り、大神と月夜見尊とは昼と夜に分かれて住まわれるようになる。

 死体の頭部から牛馬が、額に粟、眉に蚕、目に稗(ひえ)、腹に稲、陰部に麦と大豆、小豆が生じる。大神は「民が生きていくのに必要な食物だ」と喜ばれ、粟、稗、麦、豆を畑の種とし、稲を水田の種とされた。

『記』と『紀』では、神話全体のなかに占める物語の位置づけや殺害される神がおられる場所、稲が生じる死体の部位、種を採用される神がそれぞれ異なるのが注目される。

 死を生の前提に置く観念や、農耕の開始が宇宙の秩序設定と関連して語られていることも見逃せない。

 もう1つの稲作起源神話は三大神勅の1つ、斎庭の稲穂の神勅で、『紀』の天孫降臨の場面に登場するのだが、本文にはない。

 一書の二によれば、天照大神は天忍穂耳(あまのおしほみみ)尊の降臨に際して、手に宝鏡(たからのかがみ)を持ち、これを尊に授けられて「同床共殿して斎鏡(いわいのかがみ)とせよ」と語られる。いわゆる宝鏡奉斎の神勅である。

 そして大神は「わが高天原にある斎庭の穂をわが子に与えよ」と斎庭の稲穂の神勅を勅される。

 高皇産霊(たかみむすび)尊の娘万幡(よろづばた)姫を天忍穂耳尊にめあわせ、尊が降臨される途中、大空で生誕されたのが天孫瓊瓊杵尊で、天忍穂耳尊の代理として降臨された、と記されている。

 天照大神お一人で瓊瓊杵尊を降臨させたとするのは『紀』の一書一のみで、『記』と『紀』の一書の二は大神と高皇産霊尊(高木神)が、『紀』本文および一書四、六では高皇産霊尊お一人が降臨を指令している。

 天孫降臨神話全体のなかで、意外にも天照大神の影は薄い。

 このため、高天原神話の主神は高皇産霊尊であり、高皇産霊尊の神話と天照大神の神話とは本来、系統が異なる、ともいわれる。


▢焼畑農耕文化複合とともに
▢伝来した大気津比売型神話

 大林太良氏によると、女神の死体から作物が出現するという神話は、きわめて広い地域に分布するという(『稲作の神話』『東アジアの王権神話』など)。

 そのなかで日本の大気津比売型神話は粟など雑穀を栽培する焼畑耕作の文化に属し、その源郷は東南アジアの大陸北部から華南にかけてで、縄文末期に中国・江南から西日本地域に伝えられた、と推理されている。
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 根拠のひとつは大気津比売の神名で、『記』の国生みの条には「粟(阿波)の国は大宜都比売という」と記されている。大気津比売は粟の女神であった。

 また、『紀』の一書の十一に、月夜見尊による保食神殺害として描かれているのは、この神話が太陽と稲作を中核とする古典神話体系の片隅に生き残った古い月と粟の神話の断片であることを示す、と解釈されている。

 一書の二では、火の起源神話と農耕起源神話が密接に結びついている。火神の軻遇突智から農耕神の稚産霊が生まれ、さらに五穀が化生するのは、焼畑農耕の有力な手がかりといわれる。

 実際、作物起源神話に登場する、保食神の死体に化生する作物は稲を除けば、すべて焼畑の作物である。

 今日、大気津比売型神話は民間伝承には見出すことができない。もしこの神話が水稲の起源神話だったなら、いまなお伝えられる稲作の伝説や儀礼に痕跡が多く残っているはずだが、そうでないのは水稲栽培に圧迫された焼畑穀物と結びついているからだろう、と大林氏は推測している。

 記紀では水稲の起源説話と焼畑作物の起源説話が同居しているが、焼畑が水稲耕作に圧倒されるのに従って、水稲起源神話が盛んになり、大気津比売型神話は凋落していくと理解される。

 海外では、大気津比売型神話は中国南部から東南アジア北部の焼畑農耕地域に点々と分布している。

 中国の古典『山海経(せんがいきょう)』には、いまの四川省成都のあたりに都広の野があり、そこに中国の農耕神后稷の墓がある、そこには膏菽(豆)、膏稲、膏黍、膏稷(粟)という美味しい作物があり、百穀が自生している、と書かれている。

 大林氏は、この物語は后稷の死体から作物が発生したとする大気津比売型神話が崩れた痕跡と考えている。

 面白いのは、朝鮮地域からは大気津比売型神話の手がかりがほとんど見つかっていないらしいことだ。


▢天孫降臨神話に結合する
▢内陸アジアと東南アジア

 もうひとつの稲作起源神話で興味深いのは、天孫降臨とともに語られていることである。前述の保食神から得られた作物が葦原中国に起源するのに対して、この物語では高天原から稲がもたらされる。

 天神が子や孫を地上の統治者として山上に天降らせるという神話は朝鮮半島から内陸アジアに分布する。

 たとえば、13世紀の『三国遺事』に描かれた古朝鮮の檀君(だんくん)神話では、天神が子神に三種の宝器を持たせ、風師、雨師、雲師という三職能神を随伴させて、山上の檀という木の傍らに降臨させ、朝鮮を開いた、と伝えられている。

 天孫降臨神話ときわめてよく似ている。

 また、高皇産霊尊の別名は高木神であり、檀君の名が木と関連することも類似する。

 瓊瓊杵尊が降臨された地が『紀』の一書六では日向の高千穂の「添(そほり)」と呼ばれたとあるのは、朝鮮語の「都」の意味の「蘇伐」または「折夫里(ソウル)」と通じ、高千穂の「槵日(くしひ)」(『紀』の本文および一書二、四)あるいは「槵触峯(くしふるのみね)」(一書の一)という地名は六加羅(駕羅)の首露神話で始祖王首露が天降る聖峯「亀旨(クイムリ)」と同じという。

 もうひとつ、『紀』本文は瓊瓊杵尊は真床追衾に包まれて天降ったと記されているが、駕羅の首露神話では首露は金の卵に入って降り、衾のうえに置かれたとある。

 新羅の初代王赫居世(かくきょせい)や金氏の始祖閼智(あち)も嬰児の形で天降る。

 朝鮮だけではない。ブリヤート・モンゴル族のゲセル神話では、至高神デルグエン・サガンの子カン・チュルマス神を下すとき、カン・チュルマス神は老齢を理由に固辞し、末子で4歳のゲセル・ポグドゥが6種の所望品を手にして代わりに天降る。

 これまた記紀神話と似ている。

 息子が建国の旅に出る門出に母神が穂を授けるという神話も、朝鮮にある。

『旧三国史』に記される高句麗の朱蒙神話では、扶余を去る朱蒙に母が五穀の種を与えるのだが、別れの悲しみのあまり、朱蒙はこのうち麦を忘れる。

 大樹の陰で休んでいると2羽の鳩が飛んでくる。母が麦を届けてくれたのだと思い、朱蒙は鳩を射落とし、喉から麦を取り出す。その後、朱蒙は高句麗を建国する。

 天忍穂耳尊が母である天照大神から稲穂を授けられるのと似ている。

 驚いたことには、遠くギリシア神話とも類似する。

 ギリシアの大母神デメテルは、聖婚によって穀物の豊かな稔りをもたらす神子ブルトスを生み、また寵愛する神子トリプレトモスに麦の穂を与えて、天から地上に広めさせた。

 インド・ヨーロッパ語族の神話がアルタイ語族を媒介として、朝鮮半島経由で日本に渡来した可能性があると大林氏はいう。

 ギリシア神話と天孫降臨神話をつなぐ環として朝鮮の朱蒙神話が存在するというのだ。

 ただ、母神が授けるのは朱蒙神話やデメテル神話では麦であって、稲ではない。

 天照大神から稲穂が授けられるとする要素は、高皇産霊尊を中心とする天孫降臨神話と元来は無関係で、東南アジアの稲作文化に連なる、と大林氏はいう。

 倭姫命が御巡幸の折、鶴がくわえていた霊稲を大神に奉ったのが神嘗祭の始まりともいわれる(『倭姫命世紀』)が、こうした鳥が稲穂をもたらしたとする「穂落神」の伝承は、焼畑農耕、粟栽培と結びつき、東南アジアで比較的よく保存されている。

 朝鮮半島から内陸アジアに連なるアルタイ系遊牧民文化に属する高皇産霊尊の天降り神話と東南アジアに連なる天照大神の稲の神話が接触融合して、天孫神話ができあがった、と大林氏は推理する。


▽ 朝鮮文化の亜流ではない

 記紀の編纂には百済系、新羅系の渡来人が関わっていたといわれるが、だからといって記紀神話は朝鮮文化の亜流ではない。

 記紀は創世神話から農耕の起源、王朝の創立まで神話が体系化されているが、中国や朝鮮には神話を体系化した古典はない。

『三国史記』『三国遺事』に描かれた朝鮮の神話は、あくまで王朝起源神話に過ぎない。

 記紀には系統の異なる神話の統合が図られ、壮大な神話体系が形成されている。

 それはなぜか。

 哲学者の上山春平氏は、記紀神話は古代日本の律令的君主制の由来を説く国家哲学と理解している(『天皇制の深層』)が、わが祖先たちは古代国家の建設に当たって神々の壮大なドラマを作り上げ、多元社会の宗教的統合を追求したのかも知れない。

 あらためて思いを致すべきなのは、万世一系の天皇の祭りが南北アジアどころか、遠くヨーロッパに連なる起源と系譜のうえに続いてきたということだろう。

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