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お米の食べ方教えます──現代の「食と農」に異議を唱えるイセヒカリ [米]

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お米の食べ方教えます
──現代の「食と農」に異議を唱えるイセヒカリ
(「神社新報」平成10年12月14日)
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 先月(11月)下旬、宮中神嘉殿で皇室第1の重儀である新嘗祭(にいなめさい)が親祭になった。

 興味深いのは、供進される御酒(みき)に白酒(しろき)と黒酒(くろき)の2種があるように、御饌(みけ)にも御飯(おんいい)と御粥(おんかゆ)の2種があることだ。御飯は米と粟をそれぞれ蒸した強飯、御粥は炊いた煮飯である。

 昭和天皇に長くお仕えした元宮内庁掌典によると、11月上旬、陛下は賢所で各県から献上された米と粟の新穀をたっぷり時間をかけてご覧になる。

 御飯と御粥の調理は祭典当日の早朝、賢所の御饌殿で畳半畳ほどの大きな火鉢に炭で火をおこし、蒸籠(せいろ)で蒸し、あるいは釜で炊く。

 神事の御作法は秘儀中の秘儀であるから、安易に語ることははばかれるが、御飯は米、粟いずれも窪手(くぼて)に盛り御飯筥(おものばこ)に納められるのに対して、御粥は窪器(くぼつき)に盛って土堝(どかい)に納められる。

 お直会されるのは、御飯だけらしい。

 御粥が記録に表れるのは12世紀からで、歴史は比較的新しいようだ(川出清彦『祭祀概説』など)。

 そこで、今回はお米の調理法について、考えてみたい。


▢平安中期、煮飯が主流に
▢重湯を捨てる「湯取り法」

 食物史家の篠田統先生によると、古代人はお米をもっぱら甑(こしき)で蒸して食べていた(篠田『米の文化史』)。

 というのも、素焼きの土器では組織が粗くて柔らかいため、水を入れて沸騰させると胎土が崩れ、ドロドロに溶けてしまうのだ。これでは煮炊きはできない。

 宮廷や大寺院で鉄鍋や鉄釜が姿を見せるようになるのは奈良時代だが、一般に今風の煮飯が主流になるのは平安中期からで、これは釉薬のかかった陶鍋や陶釜が普及したことによる。それ以前は足踏みの唐臼がまた輸入されておらず、精白の技術が十分ではなかったこともあって、ボロボロの強飯を食べていた。

(斎藤註。この記事を書いてからずいぶん後になって、篠田先生の誤りについて、食物史研究者から指摘を受けました。素焼きの土器でも十分調理が可能だったことを実験で確認した研究者もいるそうです)

 滋賀県犬上郡の多賀大社の授与品に、有名な「お多賀杓子」がある。

 養老年間というから8世紀初頭、元正天皇がご病気になり、食事もなされない。同社に祈願されたとき、祠官らが斎火で強飯を炊き、神山のシデ(シは木偏に夫、デは木偏に多)の木で杓子をつくり、これに強飯を添えて奉ったところ、たちまち快復された、というのがその由来である(『多賀神社史』)。

 元正天皇に奉られたのが、煮飯ではなくて強飯であったとするのは注目される。

 その後、硬くて男性的な強飯に対して、「姫飯(ひめいい)」と呼ばれる、柔らかい煮飯が普及して、院政期には「飯(いい)」といえば煮飯を指すようになる。

「病草子」や「餓鬼草子」など、平安末期の絵巻にお椀に高盛りしたご飯が描かれているのは、煮飯らしい。硬めに煮た堅粥(かたがゆ)、つまりいまのご飯を「飯(いい)」と呼ぶようになるのは、さらに時代が下るという。

 新嘗祭の神饌の御飯(おんいい)が強飯で、御粥(おんかゆ)が煮飯なのは、平安貴族の遺風を伝えているということになる。

 記者は数年前まで東インドのバングラデシュという国に通っていたが、日本と同じようにお米を主食とするこの国では、お米を調理するのに、炊くというより煮ていた。

 驚いたのは、たっぷりの水で煮て、煮上がると、ザルにあけてしまうことである。

 ある孤児院を訪ねたとき、調理場ではちょうど炊事の最中で、目前で余分のお湯が捨てられていた。滞日20年になる友人のバングラ人が

「ネバネバの重湯を捨ててはいけない。栄養価が下がる」

 と口髭をたくわえた、屈強な調理人の男に注意するのだが、男はまったくの上の空であった。

 日本は米の粘りを出すように、適量の水で煮込み、水分がなくなるまで加熱して蒸し込んでしまう「炊き干し法」という調理法だが、パサパサ感のあるインディカ米が食されるインド世界では、大量の水で煮て、重湯は余計なものとして捨てられる。「湯取り法」と呼ばれる。

 日本人には「もったいない」ことだが、バングラ人にはこれが「当たり前」なのである。文化が異なるのである。

 インディカ米にもモチ米があるし、珍しい赤米のモチ米料理を食べさせてもらったこともあるが、ふだん食べるトルカリ(カレー料理)はたいていインディカ米のウルチ米に限られる。

 粘りがあって、腹持ちがいいジャポニカ米は、「肉体労働者の食べる米」という偏見があって、とくにお金持ちは食べたがらないと聞いた。援助米として入ってくるカリフォルニア産のジャポニカは横流しされ、市場でバングラ産米より安値で売られるという。


▢インドの粉食、タイの麺
▢インドネシアの「二度飯」

 南インドのケララ州を旅したときには、いろいろなお米の食べ方を見た。インド料理というと、カレー料理しか思い浮かばない記者には、目から鱗が落ちる思いであった。

 とくに粉にひいて利用する粉食メニューの豊かさには舌を巻いた。

 民家で食べたドサやイッデリは美味しかった。パンケーキのようなもので、朝食の定番という。記者が稲作文化に興味があることを知って、わざわざ作ってくれたのだ。

 丘陵地域にあるシュリ・マハビシュヌル寺という3000年前のヒンドゥー寺院の門前で店を開く食堂では、プトゥを食べた。

 薄暗い厨房をのぞいたら、上半身裸の男が、米粉をココナッツミルクで練った材料を筒状の容器に入れ、竈で蒸しているところだった。

 やはりカレーといっしょに手で食べる。

 ケララでは家庭でも粉食がふつうに行われているようで、街道筋のバザールでも持ち運びできる自動製粉器が売られていた。

 そのあと、記者は北部タイに飛んだ。

 以前、この連載で「東アジアのモチ文化」をとり上げたが、タイ北部はモチ米を焼き畑耕作する「モチ稲栽培圏」に属していることで知られる。

 ラオスとの国境に近いチェンライ県のある村に、一泊した。

 翌朝、友人の母親が庭先で七輪のような竈を使って、一晩水につけたモチ米を蒸していた。昔ながらの朝の風景らしい。

 手で食べるのだが、香りが豊かで、粘りがあり、ほっぺたが落ちるほど美味しかった。

 幸か不幸か、最近は経済の発展とともに、電気釜が普及し、同時にウルチ米が好まれるようになり、逆にモチ米は生産も消費も激減していると聞いた。

 現金収入の増えた勤労世帯では、手間のかかるモチ米の強飯より、簡便な電気釜を選ぶのは当然なのだろう。タイではウルチ米の方が高くて高級感がある。モチ米は「貧乏人の食べ物」というイメージがあるのかも知れない。

 タイにもいろんなお米料理があった。

 北部第1の都市で、バンコクに次ぐ観光都市・古都チェンマイでもっとも有名なワット・プラタート・ドイ・ステープという古刹を訪ねた。

 境内は市街地を一望できる山頂にある。その参道で、拳よりも大きい、モチ米のちまきが売られていた。

 街道沿いのみやげ物屋で竹飯も食べた。竹筒にモチ米と小豆、ココナッツミルクを入れ、火中で蒸し焼きにするという。

 材料はインドのプトゥと同じだが、違うのはモチ米を粒のまま調理することと、竹筒を使うこと、それから蒸し焼きにすることだ。インドでは金属製の容器を使っていたが、もしかして以前は竹製だったかも知れない。

 タイにあって、インドで見かけなかったものは、米麺である

 チェンマイの南隣ランプーン県にある名刹ワット・パラパートタックパーの広い境内の茶店で食べたクイティウ(かけそば)は素朴な味がした。

 インドネシアのジャワ島中部で驚いたのは、お米を調理するのに、ゆでるのと蒸すのとを併用することだ。

 前の晩に釜ゆでし、米の芯が残っている状態で火を止め、余分な水気と重湯を捨てる。翌朝、アルミの蒸籠に移し換えて蒸し上げる。「二度飯」ととも呼ばれる。

 きわめてパサパサしたご飯になるのだが、

「面倒じゃないか?」

 と知人に聞いたら、

「水分があるとすぐに悪くなる。こうすると長持ちする、とここの人はいうんですよ」

 と答えた。赤道直下の熱帯の国ならではの智恵かも知れない。

 実際に調理法を見たかったが、残念ながら「男子禁制」の調理場に立ち入ることが許されなかった。

 インドネシアは世界最大のイスラム国家で、首都ジャカルタには「東南アジア最大」のモスク(イスラム教の礼拝堂)もある。イスラムでは男女の世界がはっきりと区別されている。

 同じイスラムの国でも、バングラではしばしば男が家庭で料理を作るのだが、インドネシアは「男子厨房に入らず」のお国柄らしい。


▢伊勢の神宮神田で生まれた
▢イセヒカリの正しい調理法

 平成の御代替わりに時を合わせたかのように、神宮神田で「イセヒカリ」という新種のお米が誕生したのはご承知のとおりだが、「御神米」とも呼ばれるイセヒカリの「正しい食べ方」はご存じだろうか?

「米の炊き方に、正しいも正しくないもあるか?」

 といぶかる読者もおられるだろうが、じつは安直に炊飯器で炊いてはいけないのである。

 神田で生まれた神聖なお米だけに不思議な話題に事欠かないイセヒカリだが、数年前の秋、あるお宮で開かれた試食会では、意外にも年配者から

「硬くて食べられない」

 という苦言が呈された。稲の研究に半生を捧げてきた農業試験場のOBたちが

「コシヒカリをしのぐ」

 と太鼓判を押すお米なのに、どうしたことか?

 原因は炊き方にあった。

 新米は少なめの水加減で炊くのが常識だが、イセヒカリはもともと水分含量が少ないという性質を持つため、炊くときにはかなり多めの吸水が求められる。できれば一晩、水につけると

「抜群の味を発揮する」

 と稲の専門家は語る。さっとといで、すぐに炊飯器で炊いたとすれば、御神米が本来の味を現さなかったのは当然である。

 今春(平成10年春)には、ある試験場で食味検査が行われた。複数のパネラーによる試食の結果、なんと

「味ではコシヒカリにはとてもおよばない」

 という評価が下された。

「粘りがなく、硬く、光沢に乏しい」

 というのだ。
イセヒカリの食味値岩瀬平.jpeg
 イセヒカリが世に出るのに貢献してきた“育ての親”が俄然、色めき立ったのはいうまでもない。というのも、試験に用いられたサンプルというのが、食味系による別の分析では最高点を付けたお墨付きの米だったからである。

「お伊勢さんのお米を一粒でもいいから分けてほしい」

 といって種籾を乞い、

「神様にお仕えするつもりで育て上げた」

 という農家は秋祭りに氏子一同で食し、その味に驚嘆している。米どころのコシヒカリを食べ慣れた消費者も

「香り、艶、腰がある。神々しいお米」

 と絶賛する。それなのになぜ

「不味い」

 というのか?

 機械がおかしいのか、人間の舌が麻痺しているのか?

 原因は、同一条件で比較する食味試験の方法にあったらしい。

 いま人気のお米は忙しい現代人の生活スタイルに合わせて、手軽に炊いて簡単に食べられることが前提になっている。

 食味試験も人気の軟質米に沿った調理法で一律に比較されるらしい。炊飯器という機械を基準にして、「味」が決められているのだ。

 しかし、イセヒカリは現代の食と農に異議を唱えている。楽に作れる米、手間がかからない画一的な食べ方に対して、である。

 当然、食味試験では持ち前の味を示してはくれなかった。

 育ての親の1人、山口県農業試験場の元場長・岩瀬平氏は語る。

「私も経験があることですが、安易に“科学的”なメスを入れようとすると嫌われるのです。一筋縄ではいかない、恐ろしい米です」

 天候不順に見舞われた今年(平成10年)は「平成の大凶作」以来5年ぶりの不作であった。けれどもコシヒカリの水田が台風で軒並み倒れても、イセヒカリだけは

「王者のごとく直立して、不気味なほどだった」

 とある栽培農家は笑いながら話した。

 ある県では今秋、イセヒカリが店頭売りされるようになった。10キロ5200円。問題は炊き方である。


追伸 右上の表は山口県農業試験場の元場長・岩瀬平氏がまとめたものです。

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