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衰亡の淵に立つ「伝統宗教」──信仰世界に歴史的地殻変動 [神社神道]

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衰亡の淵に立つ「伝統宗教」──信仰世界に歴史的地殻変動
(「選択」平成11年7月号)
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その数18万を超えるといわれる宗教法人が激減している。直接の原因は平成7年末の宗教法人法改正である。

従来は宗教法人を「いじらない」「いじられない」状況下で、いったん法人格を取得すれば、何をやってもかまわない、というような実態があったが、役員名簿や財産目録などの提出を義務づける法改正で「休眠法人」が洗い出され、清算・解散が行われるようになった。きっかけはいうまでもなく「オウム事件」である。

といっても、文化庁の統計を見る限りでは、大きな変化は見られない。「宗教年鑑」に記載される神職や僧侶の数、氏子や信者数は各団体の自己申告に基づいていて、正確な実態をかならずしも反映していないからだ。

また、神職が常住しない小さな神社が1宗教法人と数えられる一方で、公称世帯数812万の巨大な会員を擁する創価学会が1法人にすぎず、カトリック中央協議会は全国に813の教会がありながら包括する法人はゼロというのでは、宗教法人数で教派・教団の教勢を判断することは不可能だ。

けれども、水面下では日本の宗教史上、空前絶後ともいうべき大きな地殻変動が確実に進んでいる。神社神道や既成仏教などの伝統宗教は、よって立つ信仰基盤を失いつつある。民族宗教にとっては、紛れもなく「末法の時代」の到来である。


▽1 都市化と過疎化

戦後の社会変動で、つねに指摘されるのは、都市化と過疎化である。
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都市化は伝統宗教のあり方を変えずにはおかなかった。核家族化、洋間が中心の家屋、都市型のライフスタイルに神棚や仏壇の存在は遠い。新しく引っ越してきた住民は、氏神様がどこかも分からない。マイホームは寝に帰るだけの「仮の宿」にすぎず、土地と結びついた氏神信仰は成立しがたい。

かつての雑木林や田畑は生命感のないコンクリート・ジャングルに置き換えられ、道路は一様にアスファルトに覆われている。一神教はエジプトのナイル川のほとりで生まれたといわれるが、四季折々の花鳥風月の多様性を否定したところに、砂漠のような乾いた現代都市の風景がある。多様な風土に基礎づけられた多神教的信仰世界の前提が崩れている。

宗教学者の井上順孝氏(国学院大学日本文化研究所教授)は、都市化によって「キリスト教の場合は信徒の増加を見、神社神道の場合は神社信仰が脱地域化し、地域の鎮守から広域の崇敬社への変化」をたどったと分析する。新たに転入した住民に氏子意識は希薄で、地元の祭礼への積極的参加は見られない。新宗教に吸収されたり、宗教的な無関心層となる傾向があるという(『現代日本の宗教社会学』)。

神社の初詣に関していえば、全国的に見て、一握りの著名神社に集中する傾向があり、参拝者が200人にも満たない神社が6割を超える、という報告もある(石井研二『戦後の社会変動と神社神道』)が、かといってキリスト教も、「司祭のなり手がいない」という切実な声が聞かれるほどで、カトリック、プロテスタントともに教勢は伸びていない。

他方、過疎化も深刻である。そもそも中山間地域では2000もの集落が消滅の危機にあるという。千数百年の歴史を持つ滋賀県のある山村で、長老たちが「男が3人しかおらん。祭りはどうなるじゃろ」と嘆くのを筆者は聞いたことがあるが、地域の氏子や檀家が激減し、祭りどころか神社や寺院の維持、集落そのものが風前の灯となっているのは決してここだけではない。


▽2 サラリーマン社会化とグローバル化

大きな要素なのに、案外、等閑視されているのがサラリーマン社会化である。

国民の半数近くは勤労者であり、サラリーマンに付き物なのが転勤で、回数は一人平均2.75回。高学歴者ほど多い。また、一生を同じ土地で暮らす人は4人に一人もおらず、ますます少数派になりつつある(伊藤達也『生活の中の人口学』、大友篤『日本の人口移動』)。

人口の9割までが農民だった江戸時代とは似ても似つかない。現代の日本人は恒常的に移動を繰り返す、いわば遊牧民と化している。伝統的信仰の前提となる稲作民の定住性はもはや過去のものなのだ。

さらにもうひとつ、国際化ないし世界化の波がある。
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海外に出かける人の数が年間1500万人を超え、ヒト、モノ、カネの国際的移動がどんどん増大している。他方、日本は世界最大の食料輸入国で、日本人の胃袋には世界が詰まっている。地球を食べているような日本人に、生まれた土地の恵みで命をつなぎ、土に還るというような古典的信仰は実感を失っている。

それどころか、「伝統」の意味さえ変わってしまった、と井上氏は指摘する。帰国子女や転勤族の子弟は、「伝統」といわれても、キョトンとするだけだという。海外では創価学会や手かざしで知られる真光系の教団がしばしば「日本を代表する宗教」と理解されている。積極的な海外進出の結果である。

井上氏はグローバル化が民族文化に挑戦することになるのは明らかだとし、世界的な宗教状況が再編成に向かうこと、さらには「無国籍宗教」、あるいはルーツを単純に規定できない「ハイパー・トラディショナル」な宗教運動の出現すら予測している(『グローバル化と民族文化』など)。


▽3 郷土を持たない浮き草性市民

「神々の黄昏(たそがれ)」をいち早く、30年も前に予言したのは、神道学者の小野祖教氏(国学院大学教授、故人)である。

「国民の半数は郷土を持たない随時、転勤転住する浮き草性市民となり、世代的に、親子の職業関係がつながらず、居住もつながらず、親族、隣保、郷土の意識が薄れると……今後、氏神はいかなるものに変質するか分からない。神社神道史上の大きな課題を含む過渡的時代に当面している」(『神道の基礎知識と基礎問題』)

小野氏の指摘は深刻の度合いを深めている。しかし、檀家に支えられる仏教も同様だが、有効な対策はまったくといっていいほど講じられてこなかった。

ここにいたって、さすがに仏教指導者たちは真剣に受け止めるようになった。オウム・ショックで宗教全般への信頼が失墜し、葬儀のあり方や高額の戒名への懐疑が一挙にふくらんだ。これは「従来には見られない現象で、寺院の財源をおびやかしている」。

教理や教義ではなく、財政問題で尻に火がついたというのが「末法の世」たる所以(ゆえん)であろうか。

神社神道も事情は同じで、伊勢神宮から頒布される神宮大麻(神札)の減体に危機感を募らせる。目標は「一千万家庭奉斎」だが、平成10年度は約873万体、3年連続で減少しているという。大麻頒布は神道信仰の中心であると同時に、神社収入の重要な要素だけに看過できない。一方では、毎月数件の神社の吸収合併が報告されている。

たとえば「初詣」である。警察省の発表では、平成11年は不況を反映して過去最高の8811万人だが、井上氏によれば、「いまは二人に一人」という。古くは生命の甦りを祝う厳粛な日であった正月の過ごし方も一変し、海外旅行やスキー、ホテルでのんびり過ごすという人も多い。


▽4 「神道」が死語になる

井上氏は、「団塊の世代は『反宗教』だが、それなりに親から宗教教育を受けた。問題は次の世代だ。オカルトは受け入れるが、伝統的感覚の希薄な『無宗教第二世代』が社会の中軸になったとき、どうなるのか」と問いかける。
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そして「あくまで予想しうる選択肢のひとつ」と断ったうえで、伝統宗教の構造的な激変を予見する。「敗戦後、占領軍の外圧によって伝統宗教と新宗教は肩を並べるようになった。今度は伝統宗教がワン・オブ・ゼムになる」

井上氏はさらに、「神道」が死語になりつつある。民族的宗教伝統のシンボルである神社が「風景としての神社」に変わりつつある──とも語る。

祖先祭祀、稲作、そして天皇──。数千年守られてきた日本の精神文明の屋台骨が大きく揺らいでいる現代だが、文明の終焉を警告する憂国慨世の宗教的指導者はいっこうに現れてこない。


追伸 この記事は雑誌「選択」(選択出版)平成11年7月号に掲載された拙文「衰亡の淵に立つ『伝統宗教』-信仰世界に歴史的地殻変動」に若干の修正を加えたものです。

4枚の写真は木地師(きじし)の根元地といわれ、惟喬(これたか)親王伝説が伝わることで知られる滋賀県の湖東地方で撮影したものですが、記事の内容とは直接的には無関係です。
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この記事は台湾の出版社法鼓文化が発行する「人生雑誌」2000年8月号に翻訳・転載されました。


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