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祈りの大地 第3回 森と共存する日本の稲作 [日本の稲作]

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祈りの大地 第3回 森と共存する日本の稲作
(「農業経営者」43号、平成11年8月)
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平成10(1998)年の夏は異常気象が世界を覆い、日本列島や朝鮮半島、中国大陸などでは記録的な豪雨で大洪水が発生、大きな被害がもたらされた。
イセヒカリ田植え.gif
とくに中国の長江(揚子江)流域では、被災面積が2000ヘクタールを超え、2億4000万人が被害を受けた。想像を絶するような未曾有の水害だが、中国の大洪水は昨年ばかりではない。1980年代以降、被災面積が1000万ヘクタールを超える大水害は毎年のように起きているらしい。

恒常的な水害の背景には、自然破壊があることは間違いない。中国政府は、1998年の記録的な洪水には「人災」的側面がある、と認めている。上流の森林伐採などで保水能力が低下し、表土の流失現象が起きていると指摘される。

たとえば四川省では、新中国成立以来、広大な森林が半減してしまったといわれる。とくに1978年に「改革・開放経済」に移行して以来というもの、経済が驚異的な発展を遂げた一方で、信じられないほど大規模な自然破壊が深刻化したのである。

ひるがえって日本の場合はどうか。


▽稲作が自然破壊をもたらしたけれど

日本の水田稲作は3000年前に中国大陸から伝来した、といわれる。大地を耕し、食糧を生産する「農業革命」の導入は、深い緑に覆われていた日本列島にはじめて大規模な自然破壊を招いた。原野を切り開き、整地をし、川から水を引く。水田稲作の始まりは、生態系を激変させずにはおかなかった。

ところが、水田稲作を携えてやってきた渡来人による自然破壊は深刻なほどには進まなかった。結果として、この2000~3000年の間に開発された水田面積は国土の1割にも満たず、今日なお国土の7割までが森林に包まれている。

なぜだろう。
吉野森男さん.gif
ふつうはボクたちの祖先が自然への畏怖という強い感性を持ち、それが自然を守り、自然との共存を図らせたと説明されているが、単純すぎないか。

渡来系弥生人は当初はたしかに間違いなく自然を破壊した。しかしその後、彼らは自然を破壊する稲作ではなくて、森と共存する新しい稲作を選択したのである。稲作のあり方が変わったのだ。いや、変えざるを得なかったという方が正しいのかも知れない。

その背後に何があったのか。その謎を解くことがたぶん重要なのだろうが、それは、「渡来人はなぜ、どのような状況で、日本列島にやってきたのか」という理由と深く関係しているようにボクは思う。

ある考古学者は、3000年前、地球は寒冷化し、北方民族が南下した。中国大陸は戦乱の時代を迎え、多くの稲作民が「難民」となって日本列島など周辺地域に殺到する。他方、日本列島にする縄文人も寒冷化によって危機に瀕していた。銛や海から豊かな食糧を得ることが困難になり、深刻な飢餓が発生する。危機に直面した縄文人は渡来人が携えてきた水田耕作を受け入れた--と説明する。

縄文人と渡来系弥生人とでは顔つきも体つきも違うが、面白いことに、両者の混血同化によって「本土日本人」が成立した、と人類学者は理解する。以前、ある記事で、日本の稲が熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカとの自然交雑によって成立したという最新の学説を書いたことがあるが、日本稲と同様に、現代日本人も同化によって成立したというのである。


▽縄文と弥生の同化がもたらしたものの今

おそらくこの縄文と弥生の同化こそが、森と共存する日本の稲作文化の成立を促したのではないかとボクは思う。米倉の形をした神殿が深い森の中に建つという神社の形態は、もっとも典型的に縄文の自然崇拝と渡来人の稲作信仰の一体化を表していると見ることができる。

けれども、こうしたことを書くこと自体が、もうはるか昔の、実感のない、絵空事であるように感じるのは、ボクだけだろうか。

7年前の夏、鹿児島県の屋久島を訪れた。

翌年、「世界遺産」に登録された島は古来、御獄信仰が盛んで、春と秋の二回、集落ごとに「岳参り」という信仰登山が行われる。島を主宰する「嶽の神」に背いては島には住めない。山の杉は神のもので、古くは必要なときに、そのつどおうかがいを立て、木材を頂戴したという。こうした信仰が樹齢何千年という、うっそうとした屋久杉の森を守ってきたのだ。

しかしいまや縄文の自然崇拝も弥生の稲作信仰もはるかに遠い。飽食に慣らされた現代人には、自然の恵みをありがたく頂戴するという感覚そのものが失われている。

都会だけではない。日本でもっとも早い早場米がとれる屋久島は、ボクが訪れたとき、収穫の真っ最中であったが、島の人たちは「一年、一年、山が荒れていく」と深いため息をついていた。
縄文杉.gif
自然との共生観念をボクたちは失ってしまったのである。なぜだろう。


追伸 この記事は「農業経営者」43号(農業技術通信社発行、平成11年8月)に掲載された拙文「祈りの大地 第3回 森と共存する日本の稲作」に若干の修正を加えたものです。

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