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「しらす」政治と「うしはく」政治──天皇統治の本質 [天皇・皇室]

「しらす」政治と「うしはく」政治
──天皇統治の本質
(「神社新報」平成11年11月8日号)


「国旗国歌法」が施行されて早くも数カ月が過ぎたが、法制化の背景に共産党の戦略があったことは案外、忘れられている。

 朝日新聞発行の月刊誌「論座」は昨年(平成10年)暮れ、各政党や主要メディアに対して、日の丸・君が代に関するアンケートを実施した。その回答が3月号(2月上旬発行)に掲載されているのだが、ここで共産党は

「問題解決には法律で根拠を定める措置が最低限必要」

 とする新見解を明らかにした。

 2月下旬、不破委員長は

「日の丸・君が代を国旗・国歌として扱うのには反対だが、国民的な議論の上で私たちが少数であれば、国旗・国歌として採用することはやぶさかではない」

 と法制化を誘うかのような発言をし、その10日後に小渕首相は法制化の検討を指示したのである。

 しかし、8月の法案成立の当日、共産党系の教職員組合は「国旗・国歌」強制反対、学校行事への定着化を許さない、とする声明を発表したと伝えられ、翌日の「赤旗」は「主張」で、反対派が「少数」ではないことを強調した上で、以前から匂わせていた将来の国旗・国歌の変更を宣言した。いわば「戦闘開始」の狼煙(のろし)である。

 これから卒業式に向けて、国旗・国歌をめぐるかまびすしい「政治闘争」が息を吹き返すということか。

 ところで、法案審議の過程でいっこうに議論が深まらなかったのが天皇論だ。

 共産党推薦の参考人などが

「君が代は国民主権と両立しない」

 と国会で語っていたが、これなどは端的に天皇統治への無知と無理解を示している。

 戦前・戦後を通じてもっとも偉大な神道思想家といわれる今泉定助(いまいずみ・さだすけ)は、「天皇統治の本質」は天壌無窮の神勅にあるように、この国を「しらす」こと、大祓祝詞(おおはらえのりと)にあるように「安国と平らけくしろしめす」ことだと述べている。

「しらす」政治は「知る」政治であり、国民の自性を知り、万物の自性を知って、これを生成化育する、政治同化統一する神人不二、祭政一致の政治であり、「うしはく」政治つまり領有の政治、私有の政治とは異なる、と書いている(『今泉定助先生研究全集2』)。

 明治憲法は

「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」

 と規定しているけれども、憲法起草の中心にいた井上毅の原案には

「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」

 と、天皇統治は「しらす」政治の意味であることが明記されていた。

 天皇統治が権力支配でないことは明治憲法の制定者たちには自明のことであったらしい。

 数カ月前の国会論議に見られた「天皇主権」か「国民主権」かという近代ヨーロッパ風の対立的な議論こそが、そもそも天皇統治の本質から遠いのだ。

 この国をしらす天皇の第一のお務めは祭りであり、天皇は

「国平らかに、民安かれ」

 とつねに国家と国民のために祈られる。

 その意味を明治の社会主義者・幸徳秋水は深く理解していたようだ。秋水は、皇統が一系で連綿としているのは歴代天皇が社会人民全体の平和と幸福を目的とされたからで、これは東洋の社会主義者の誇りだ、とさえ書いている(『幸徳秋水全集4』)。

 日本の天皇は

「戦前の君主絶対の名残」

「民主主義の時代には合わない時代錯誤」(『新日本共産党宣言』)

 ではなく、日本民族が歴史的に形成してきた世界に誇るべき優れた政治システムといえる。

 それは底なしの政官財の腐敗堕落が暴露されてもなお、天皇の存在が国家社会の安定を保障している今日の状況を見れば明らかであろう。

 だが悲しいことに、天皇とは何か、を教え伝える本物の教育者が見当たらない。

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