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「新発見」イセヒカリの特異な遺伝形質──トラスポゾンの可能性高まる [イセヒカリ]

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「新発見」イセヒカリの特異な遺伝形質
──トラスポゾンの可能性高まる
(「神社新報」平成13年10月8日号)
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 丸粒のエンドウとしわ粒のエンドウを掛け合わせると、子供の代はすべて丸粒になるが、孫の代になると、3対1の割合で分離する──。
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 中学校の理科の教科書にも登場する、この「遺伝の法則」は、今日、誰でも知っています。けれども、メンデルの大発見が評価されるのには、死後16年という長い時間がかかりました。

「現代のメンデル」とよばれる女性の学説もまた、発表から30年間、社会から認められませんでした。何しろ「遺伝子が動く」というのですから、常軌を逸しています。研究成果が認知され、アメリカの遺伝学者バーバラ・マクリントックがノーベル医学・生理学賞を受賞したのは、1983年のことです。

 のちに「トランスポゾン」とよばれるようになるこの現象は、いまふたたび世界の注目を浴びようとしています。神宮神田で誕生したイセヒカリの遺伝子がどうやら「動く」らしいのです。


▽遺伝学上の大発見への予感
▽ふつうは考えられない現象

 イセヒカリの原々種の保存に黙々と取り組んでいる山口県農業試験場職員の吉松敬祐さんが、イセヒカリの遺伝子分析を手がける静岡大学農学部の佐藤洋一郎助教授のもとに電話をかけたのは、平成12年春のことでした。

「品種の系統選抜というのは、どのようにすればいいんですか」

 30年間、お米の食味分析一筋に打ち込んでできた吉松さんは、イセヒカリの美味にぞっこん惚れ込みました。だからこそ、畑違いの品種の固定化に、自宅の圃場で倫子夫人と二人三脚で挑んだのです。

 ところが、固定化は思うように進みません。鮮やかな葉色、比較的低い草丈、比較的大きな穂が重く垂れるというのがイセヒカリのイメージですが、そうではないものが不思議に毎年、現れるのです。弱った末の電話でした。

「一本植えしてください」と佐藤氏は答えました。

 しかし一本植えなら、何年も前から進めてきたことです。伊勢の神宮から根つきの稲株と玄米を譲渡された、「イセヒカリの育ての親」元山口農試場長の岩瀬平さんから、「これはいい稲だ。今後、種子対策が重要課題になる。一本植えで系統選抜してほしい」との指示を受けていたからです。

 吉松さんはふたたび佐藤さんに電話しました。
イセヒカリ稔り.jpeg
「どうしてもそろわないんです」

 佐藤さんは、そのころをふり返り、苦笑します。

「はなはだ失礼なことですが、この人は育種の素人で、やり方を知らないのではないか、とそのときは思いました」

 そうではありませんでした。几帳面な吉松さんが直面していた問題は、遺伝学上の世界的発見を予感させる、静かな序曲でした。けれども、まだ誰も、そのことに気づいてはいませんでした。

 この年の8月、佐藤さんは山口県北部、阿東町にある吉松さんの自宅を訪れました。8アールの水田に整然と植えられたイセヒカリが出穂期を迎えていました。

 平成8年以来、吉松さんは一本植えされた個体のなかから、草丈、分けつの仕方、穂長、穂相などを見定め、生育の様子をつぶさに観察しながら、翌年、その翌年と純系のイセヒカリの選抜を慎重に繰り返してきました。

 その結果、圃場では純系を中心として、いくつかの系統にイセヒカリが系統分離されています。葉色が薄いもの、茎が細いもの、開張型をしているもの、草丈が高いもの、穂の形の異なるものなどが新たに分離していました。

 なかにはぴょこんと草丈の低いものがあるのですが、3対1の比率ではありません。遺伝の法則では説明できない現象が起きています。それだけではありません。一本植えされているはずなのに、同じ稲株のなかに、草丈の高いものと低いものが一緒になっているのです。

「キメラのような、ふつうでは考えられないことが起きていたんです」

 ギリシャ神話に、頭はライオンで、胴はヤギ、尻尾は蛇、口から火を吐く「キメラ」といふ怪物が出てきます。それと似ていることから、生物学では、同一の個体に別個体の組織が混在する現象を、「キメラ」とよんでいます。アサガオやトウモロコシでよく知られているのですが、似たような現象が吉松氏の水田で起きていました。

「斑入りはないですか」

 と佐藤さんが聞くと、
イセヒカリ抜穂.jpeg
「あります」

 と吉松さんが答えました。葉っぱの上に葉緑素の失われた白い筋がタテに現れるのが「斑入り」です。

 吉松さんによれば、苗の段階で現れたのがやがて消えることもあれば、苗では現れない斑がその後、現れることもあります。他品種にも見られる現象ですが、イセヒカリは起こる確率が高いのです。

 吉松さんは当然ながら、選抜の過程で、斑入りを異種株として抜き捨ててきました。それでも、しつこいように現れるのです。計測してみると、3000分の1の確率で、斑入りは起きていました。面白いことに、斑入りの個体の種子を翌年、植えてみると、その子供は斑が消えていました。

「トランスポゾンかも知れない」

 佐藤さんの頭に、「動く遺伝子」のことがひらめきました。


▽アメリカの女性遺伝学者が発見
▽1983年にノーベル賞を受賞

 トランスポゾンはアメリカの遺伝学者バーバラ・マクリントックが発見した特異な遺伝現象で、その正体はといえば、佐藤さんによると、まだよく解明されていません。

 宮田親平著『科学者の女性史』やエブリン・フォックス・ケラー著『動く遺伝子』などによれば、マクリントックが永年のトウモロコシの遺伝子研究から「動く遺伝子」説を提唱したのは、1951年のことです。

 彼女は、粒色がまだらなトウモロコシを、何代にもわたって交配し、子細に顕微鏡で観察した結果、粒の色は色素をつくる遺伝子だけでなく、二つの調節遺伝子に影響されていることを発見します。しかもこの調節遺伝子は、同一の染色体上を自由に動き回り、ときにはひとつの染色体から別の染色体へと移動している、と彼女はシンポジウムで発表しました。

 けれども、「遺伝子が動く」という突拍子もない新説は、重苦しい沈黙に迎えられただけでした。当時、彼女の説を理解できるのは世界中でたった5人しかいなかったともいわれます。それほど独創的な発見でした。

 1945年に女性として初めてアメリカ遺伝学会の会長を務めたほど、若くして一目置かれる天才的研究者でしたが、「風変わりな新説」は、彼女に「奇人」のレッテルを貼らせたのです。

 マクリントックの発表の二年後、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックという、のちにこれまたノーベル賞を受賞する二人の生物学者によってDNAの二重らせん分子構造が発見されると、大腸菌やウイルスが主役の分子遺伝学が学会の主流となり、トウモロコシの研究にこだわり続ける女性学者は忘れ去られていったかに見えました。

 しかし60年代、70年代になって、細菌だけではなく高等生物の免疫細胞でも、「遺伝子が動く」ということが分かってきます。「動く遺伝子」は「トランスポゾン」と名付けられ、ガンウイルスもその一種であることが明らかにされました。

 古典的遺伝学では、遺伝子は染色体上に固定的につながっていると考えられましたが、そうではないことがようやく理解されるようになり、マクリントックの先駆的業績がやっと評価されることとなりました。83年にノーベル賞を受賞したとき、彼女は81歳。文字通り苦節30年、孤独と冷笑に耐えた末の栄光でした。

 トランスポゾンの可能性を指摘されるイセヒカリは、神宮神田で誕生して10年余り、篤農家や醸造家、消費者の熱い支持を集めていますが、いまだに公的な認知を受けていません。奇しき因縁というべきでしょうか。


▽1万分の1の確立でモチが発生
▽佐藤洋一郎氏が今月、学会発表
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 イセヒカリがトランスポゾンだとすれば、遺伝子上にいったい何が起きているのか。佐藤さんはこう説明します。

 DNAの小さなかけらがある日、突然、遊離してDNAの他の部分に入り込みます。その結果、そのDNAが担っている遺伝情報が破壊され、いままでにない新たな形質が発現します。しかし、このかけらは気まぐれで、また移動します。すると、元の状態に戻ります。

 斑入りは、受精卵の初期段階で葉緑素を作る遺伝子上でこの現象が起きたと考えられています。同様にして、お米のデンプン質を作る遺伝子に入り込むと、ウルチ稲からモチ稲が生まれることもあり得ます。

「運がよければモチ稲が出るかも知れません」

 佐藤さんが岩瀬さんに手紙で指摘したのは昨秋のことです。さっそく岩瀬さんから山口イセヒカリ会の主要メンバーに連絡がまわりました。

「モチ米が出た」と報告のあった農家のイセヒカリの米粒20万粒を、吉松さんがヨードヨードカリ呈色法で調べました。はたして23粒がモチと判定されました。

「1万分の1の確率でモチが発生している。突然変異よりはるかに高い確率です」と佐藤さん。やはり何かが起きています。

 佐藤さんはその後、研究室総出であらためて8万粒のイセヒカリを調べ直しました。孫の代ではどうなるのか、追跡調査を試みたかったからです。

 その結果、8粒のモチが確認され、このうち7粒を植えてみると、3粒に生育不全が起きました。明らかにイセヒカリのDNAに摩訶不思議な現象が起きているのです。トランスポゾンでしょうか。

「モチをつくるDNAは、4400個の塩基で形成されていることが知られています。配列も分かっています。だからDNAを調べれば、もしトランスポゾンだとすれば、分子レベルで何が起きているかが解明されます」

 佐藤さんの今後の研究は新たな遺伝学の地平を開く可能性があります。

 また、トランスポゾンなら、モチからふたたびウルチに戻るものもあるはずです。ウルチに戻る確率が高いと分かれば、トランスポゾンの可能性はより高まります。

 もしイセヒカリがトランスポゾンだとすれば、生きたままの状態で発見されるのは、佐藤さんによると、栽培植物ではきわめてまれで、学問的には画期的な発見になります。
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「従来のトランスポゾンは機能を失った、化石状態で研究されてきました。しかし、イセヒカリのトランスポゾンは生きています。研究に弾みをつけることになります」

 佐藤氏は早くも若いトランスポゾン研究の専門家たちとチームを組み、本格的な研究の準備を進めています。その出発点が、10月上旬、九州大学で開かれた日本育種学会で、佐藤さんはイセヒカリのトランスポゾンの可能性をはじめて発表します。

「学会での発表後、世界中の遺伝学者がザワっと動きますよ。トランスポゾンなら日本政府は私たちの研究を財政的に支援してくれるはずです。それだけ大きな価値があるということです。もしトランスポゾンでないとすれば、もっと面白い。さらに大きな新発見につながるかも知れません」

 もしかしてノーベル賞級の発見かも--佐藤氏の目が眼鏡の奥できらりと光りました。


追伸 この記事は、宗教専門紙「神社新報」平成13年10月8日号に掲載された拙文「ひとは何を信じてきたのか 22 新発見イセヒカリの遺伝形質--トラスポゾンの可能性高まる」に、若干の修正を加えたものです。

 記事に出てくる育種学会は去る10月に開かれました。参加者によると、発表会場には立錐の余地もないほど、たくさんの方々が詰めかけたそうです。(平成13年11月)


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