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追悼・平和懇に異議あり──アメリカ、韓国、中国との違い [靖国問題]


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追悼・平和懇に異議あり──アメリカ、韓国、中国との違い
(「神社新報」平成14年5、6月)
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▢1 靖國神社を知らずに靖國問題を論じる愚昧


 昨年(平成13年)8月、小泉首相の靖國神社参拝をめぐり、激しい批判が近隣諸国からわき上がった。首相は「わだかまりなく追悼の誠を捧げるために議論する必要がある」との談話を発表。12月には、内閣官房長官の諮問会議「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会(追悼・平和懇)」が設置された。

 以来、懇談会は5月上旬までに5回の会合を開き、新施設建設構想の是非をテーマに議論してきた。しかし首相官邸のホームページ上に公開された第4回会合までの「議事要旨(速報版)」を見るかぎり、議論はむしろ一貫して靖國神社問題。しかも目を覆うばかりの無理解と情報不足。それでいて、すでに「国の新施設が必要」とする結論でまとまりつつあるともいわれる。

 果たしてこれで国民的合意は得られるのか。いま何が問われているのか──今号から4回連続で考えてみたい。

▽靖國神社創建史を軽視し、「国の施設がない」と結論

 12月の初会合は、福田官房長官の指名で今井敬経団連会長が座長に、山崎正和東亜大学長が座長代理に選任され、10人の有識者たちの自己紹介に始まるのだが、トップバッター(議事録上の発言者はすべて匿名)は靖國神社を「一宗教法人」「民間施設」と決めつける。

 つまり、戦後の靖國神社しか見ていないのだ。この認識は随所に、複数の委員の発言のなかに現れる。懇談会設置の目的が新施設必要論の意図的なお膳立てなのではないかという疑念さえ浮かぶ。

 明治の初年に明治天皇の思し召しで明治政府によって同社が創建されたこと、戦後の神道指令で、国家との関係が絶たれ、一宗教法人となったが、それは神道圧迫の占領下でのぎりぎりの選択であり、宗教法人にならなければ解散を迫られていたという理解は共有されていない。

 まして、近年、同社宮司が「いずれは国にお返ししたい」と表明していることなどは、議論の俎上にさえ上らない。それどころか「靖國は靖國、国は国でどうぞ、というようなことを神社の方からいってもらえればいい」という発言すら飛び出している。

 同社の戦後史を表層的に理解し、単純素朴に「国の追悼施設がない」と合理化するのは、創建の歴史と祭祀の伝統を軽視するものではないか。

「靖國神社は神道」という発言も見られるが、祀られる英霊、慰霊する参拝者らが個人として信ずる宗教宗派を超えて、しかも固有の伝統にしたがって国家の慰霊・追悼が可能となるよう、近代の日本人が苦心したことへのまなざしは議事録からは感じられない。

 第2回の会合では、はじめに内閣官房が靖國神社に関する資料を提示しているが、同社の一般向け資料を参照しているだけで、『靖國神社誌』『靖國神社百年史』など、本格的資料がひもとかれた形跡はない。

▽官民一体で推進された合祀作業には言及せず

 内閣官房はまた、昭和53年のいわゆるA級戦犯合祀の経緯を説明している。A級戦犯問題は中国などの抗議の核心部分だが、事務局の説明は同社宮司や崇敬者総代会の動きを数行程度ふれているにすぎない。

 講和条約の恩恵を受けられずに、内外の収容所で服役していた1200人以上の「戦犯」を釈放しようという一大国民運動が国会・政府を動かし、「戦犯」赦免が国会決議されたこと、右派社会党などの働きかけで「援護法」「恩給法」が改正され、官民一体で合祀作業が進められたことなどへの説明はない。

 第3回の会合は冒頭で「論点整理のためのたたき台」が提示される。

 山崎座長代理が提出したといわれる「山崎メモ」で、「戦歿者」という用語、追悼する対象、理念について問いかけ、新構想を提案している。昭和20年を境に戦争概念が一変したという認識を前提に、新施設では「カンボジアでPKO活動中に亡くなった警察官、日本との戦争で犠牲になった外国人も慰霊したい」というのだ。

 20年8月をもって世界がどう変わったかは精査が必要だろうが、それはともかく、たたき台の背後に見え隠れする、靖國神社は「将兵ばかり、しかも自国の味方ばかり祀る」「戦災者は祀らない偏狭な慰霊施設」という認識は公正なのか?

 靖國神社に対する同様の批判は戦前にも根強くあったようで、昭和7年、賀茂百樹宮司はラジオ講演で反論している。同社には当初から戦歿兵士のほかに農民や僧侶などが祀られている。生前の職業、位階勲等、宗教、性別の別なく、国事に殉じた英霊を一座の神座に祀るのが同社の伝統だ。

▽英霊に対して重ねられた非礼を挽回できるのか

「たたき台」は追悼の対象を「カテゴリーの明示にとどめ、靖國神社のように個人の特定はしない」ことを提案する。戦犯批判への配慮であろうことは、「戦犯のカテゴリーは設けない」という意見からもうかがえるが、同社が英霊の個人名を霊璽簿に明記してきた理由についての検討はない。

 第4回の会合では、「靖國神社関係者の話を聞く」ことが提案されているが、働きかけはない。

 4月下旬、小泉首相は春の例大祭に合わせて靖國神社を参拝し、「すがすがしい気持ち」と感想を述べたが、中国・韓国はまたしても反撥し、新施設建設にいっそう拍車がかかる情勢だ。

 しかし結論は勿論、正確な知識に基づく精緻な議論が尽くされなければ、武運つたなく国家に一命をささげた246万余柱の英霊はうかばれまい。懇談会の議論は本年末まで続けられる予定だが、政府が長年、英霊に対して重ねてきた非礼を挽回するために残された時間は多くない。


▢2 国家が捧げる祈り──米ワシントン・ナショナル・カテドラルの場合


 アーチを描いた高い天井と美しく輝くステンドグラス、正面には巨大な十字架。世界で6番目の規模を誇り、年間80万人が礼拝に訪れる広大な大聖堂に陸軍オーケストラが奏でる「ゴッド・ブレス・アメリカ」が響き渡る中、儀式は始まった。

「神は私たちのすべての罪、そして苦しみを御存知です」

 今年84歳になる、全米屈指のテレビ伝道師として熱狂的な支持を得てきたバプティスト派のビリー・グラハム師は、数千人の参列者にそう語りかけた。

 説教に続き、演説のために席を立ったのは、ジョージ・ブッシュ大統領だった。大統領は「世界中からテロを撲滅する」と宣言したあと、こう締めくくった。

「我々の国に神の導きがあらんことを」──。

 昨年(平成13年)9月11日にアメリカで起こった同時多発テロのあと、世界中が注視するなかで、「テロ犠牲者を追悼し祈りを捧げる儀式」がアメリカの首都ワシントンの市街地を見下ろす丘の上に立つワシントン・ナショナル・カテドラルで行われ、ブッシュ大統領をはじめ、歴代大統領や政府高官が国家的祈りを捧げた。

 このカテドラルとはいかなる施設なのか。そこでの儀式はどんなものだったのか。WNCに取材した。

 WNCはアメリカのかつての宗主国・イギリスのエリザベス女王を首長とする英国国教会の大聖堂である。

 そのWNCで、ホワイトハウスからの依頼により、「テロ犠牲者を追悼し祈りを捧げる儀式」が催されたのは、事件が3日後、昨年9月14日のことだった。儀式にはユダヤ教やイスラム教など他宗教の代表者らも参列した。

 軍楽隊の演奏と英国国教会ワシントン司教の先導で始まった儀式は、途中、イスラム教の宗教指導者ムザミル=シッディッキ師による祈りなどを織り交ぜながらも、パイプオルガンの演奏から讃美歌の斉唱、第2の国歌「麗しきアメリカ」のソプラノ独唱、聖書の朗読など、基本的にキリスト教のミサ形式に沿って進められた。

「神への信頼こそがすべての根源です」と説教したグラハム師は、国教会とは宗派が異なるが、政府の依頼を受けて、参加した。

 ブッシュ大統領はWNCの聖職者に紹介されて登壇、「全能なる神がつねに我々を見守ってくださるよう祈ります」と演説し、最後に「アメリカに御加護を」と祈りを捧げた。そののち、大統領を含む参列者全員が「共和国の戦いの讃美歌」を大合唱して、追悼式はクライマックスに達した。

▽「国家目的に使用される教会」

 WNCの歴史は古い。

 およそ200年前、独立戦争後間もないころの政府建設計画のなかに「祈り、感謝、葬儀などの国家的目的に使用される教会」として創設が予定されていた。

 紆余曲折を経て、議会で建設用地借り上げが決定され、1907年に定礎式が行われた。千人を超える参集者が歓声を上げるなかで、教会の建設を宣言したのは、セオドア・ルーズベルト大統領だった。

 65年後に行われた聖堂外陣の完成式典にはニクソン大統領のほか、はるばる英国からエリザベス女王、英国国教会カンタベリー大司教らが出席している。

 創建以来、WNCは「全国民のための教会」として、「偉大な業績を讃え、多大な損失を悼むための儀式場」という役割を果たしてきた。セオドア・ルーズベルト以降、すべての大統領がこの場所を訪れている。定期的にWNCで拝礼し、自身が信じるキリスト教の神に祈りを捧げてきた大統領さえいる。

 また、ベトナム戦争などで命を落とした国家的英雄のために軍の代表者が祈りを捧げる特別の儀式も行われている。

 さらに、WNCは、「公式」ではないが、同じくワシントン特別区にあるアーリントン国立墓地とも密接な関係を保っている。戦死者の葬儀がWNCで行われたのち、アーリントンに埋葬される例も多い。

 今回の儀式は、ホワイトハウスからの依頼により、WNCの主催で行われた。

 政府機関の依頼による国家的・公的性格を持つ宗教的儀式がWNCで行われ、大統領をはじめとする公人が参列するのは、もちろん今回が初めてではない。

 儀式の宗教性についても、「当然、宗教的なものです。『追悼』は必ずしも宗教や祈り、あるいは精神性に基づく必要はありませんが、『祈り』は宗教的行為以外の何ものでもありません」とWNCではコメントする。

 では、なぜこの場所なのか。「国家的目的に使用される教会」だからなのか?

 アメリカ国内の教会はすべて法的には一宗教法人に過ぎず、政府からの援助を受けることは本来、あり得ない。今回の儀式を催すに当たっても、必要な経費はすべてWNC側が負担したことになっている。

 しかし実態は、ホワイトハウスから依頼があり、費用も教会職員の支出に対し、政府が実費を負担するという形で支払いが行われた。

 これは靖国神社で政府の呼びかけによる祭典が行われ、政府高官や諸宗教の代表者が参列するというようなことに相当する。

 アメリカではこれが以前から行われてきた「政教関係」の現実なのだ。

 これまでアメリカは「厳格な政教分離国」といわれてきた。その理由は、1791年に追加された合衆国憲法修正第1条にある。そこでは国教を認めないことと、国民の宗教上の自由な行為が保障されている。

 しかし、現実には連邦政府は一宗教法人に対して、宗教儀式の開催を依頼し、直接的な形を避けながらも、費用を負担している。

 果たして、これは合衆国憲法が定める「厳格な政教分離」に違反することにならないのか?

 しかしWNC側は即座に否定する。そして「合衆国の重要な原則である『国家と教会の分離』に抵触するものではありません。憲法修正第1条は祈りを禁じているわけではありません。禁じられているのは、国家が国民に祈りを共生することです」と国家の祈りを肯定するのだ。

▽靖国神社国家祭祀の可能性

 戦後日本に移入された「政教分離」という法律用語は、ときにきわめて厳格に受け止められ、完全な政治と宗教の分離が主張されてきた。しかし、この用語は欧米では、“Separation of State and Church”、すなわち「政治と宗教」ではなく「国家と教会の分離」を意味している。

 そのような法的理論に基づいて、今回のWNCでの宗教儀式は行われている。

「政治と宗教を厳格に分離する国・アメリカ」のこうした知られざる実態は、ひるがえって日本の首相による靖国神社参拝はもちろんのこと、官民挙げての靖国神社での祭祀に、むしろ道をひらくものといえないか。

 アメリカでは宗教者も、政治家も、官僚も、国を挙げて国難に殉じた死者たちのために心からの祈りを捧げている。国家としてあるべき姿がここに示されている。カテドラルで厳修されている国家的宗教儀式の現実を、「追悼・平和懇」の委員諸氏は、そして我々日本人は真摯に受け止めるべきではないか。


▢3 「わだかまり」をどう克服するか──「抗日」戦士が眠る韓国国立墓地「顕忠院」


「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどうすればいいか」。昨年(平成13年)夏、中国・韓国の猛抗議のなか靖國神社に参拝した小泉首相の談話が「追悼・平和懇」の出発点である。

 だが、今年(平成14年)1月の会合で、政府事務局が諸外国の戦歿者追悼事例を説明したとき、中国・韓国は取り上げられていない。首相参拝にもっとも反撥する両国ではどのような慰霊が行われているのか、その実態に学ばず、むしろ困難な議論を避けるかのような姿勢。それでいて、懇談会の結論は新施設必要論でまとまりつつあるともいわれる。それでいいのか?

 今回は、韓国国立墓地の実態を取り上げる。ほかならぬ「わだかまり」について考えさせてくれる格好の題材だと思われるからだ。


▽「反共」と「抗日」のシンボル

 韓国国立墓地「顕忠院」は、かつて朝鮮神宮が鎮まっていたソウル市南山の南、漢江の対岸に位置している。面積は明治神宮内苑のほぼ2倍、43万坪。三方を冠岳山の山並みに囲まれ、四季折々の花が咲く庭園墓地に16万3000余の墓石が整然と並んでいる。

 その歴史は北朝鮮との軍事対決に始まる。最初は国軍墓地で、朝鮮戦争後の1955年に造成された。無名戦士の墓や在日学徒義勇軍の墓もある。65年には国立墓地に昇格し、警察官も埋葬されるようになった。

 顕忠院のシンボル「顕忠塔」が建立されたのは67年。高さ31メートル、花崗岩製で、上空から見ると十字形をしている。英雄烈士の御霊が東西南北、国をあまねく守護するという味合いがあるらしい。祭壇前の香炉は朝鮮戦争で戦死した将兵の認識票が材料に使われているという。

 塔の左右には23メートルの壁が翼を広げる。左側は朝鮮戦争など、右側は抗日独立運動をシンボライズしたレリーフ。顕忠院は「反共」と「抗日」という2つの大きな民族の闘いがテーマになっていることがわかる。塔内部には朝鮮戦争時の戦死者10万4000人の位牌がずらりと並び、地下には無名戦士6200余柱の遺骨を納める納骨堂がある。

 71年には、李氏朝鮮末期の義兵、3・1独立運動、抗日武装闘争の活動家など350人を祀る「顕忠台」が建てられた。最近では93年に、上海で抗日独立運動を展開した大韓民国臨時政府の要人たちを祀る慰霊碑と墓域が設けられた。

 近年になるほど、「抗日」の要素が拡大しているような印象がある。

▽慰霊と歴史批判の区別

 顕忠院の最大のイベントは6月6日。この日が「顕忠日」とされる理由はとくにないとのことだが、国の休日となるこの日、国務総理直属の機関が主催し、政府、遺族、各界代表、各国大使館関係者ら5000人が出席する追悼式が開かれ、全国民がいっせいに黙祷を捧げる。韓国民は国を挙げて、「反共」とともに「抗日」精神を再確認するのだ。

 愛国心の涵養は大切だが、ここに「わだかまりなく」という、恩讐を超えた和解の発想はあるのだろうか?

 いみじくも金大中大統領は、「戦犯が合祀されない国立墓地のようなものを日本が造るなら、参拝する用意がある」と語ったと伝えられる。

 大統領は「戦犯」を毛嫌いし、一定の歴史観に基づき、他国の歴史をも批判しようとする。客観的実証的な歴史検証なくして未来の創造はあり得ないにしても、慰霊と追悼の聖域に歴史批判を持ち込むのはいかがなものか。

 顕忠院には李承晩、朴正熙両大統領の墓所がある。片や革命で国外に追われ、片やしばしば「軍事独裁」のレッテル付きで語られる二人だが、韓国民にとっては紛れなく「国家指導者」であり、だからこそここに眠っている。

 二人について慰霊・顕彰の誠を捧げようとする韓国民が、なぜ日本に対して、その良識を貫けないのか。日本の「戦犯」も、歴史的評価はどうあれ、やはり愛国的指導者に違いはないはずだ。

▽靖國神社「鎮霊社」の祈り

 他方、日本側だが、韓国の批判をなだめるかのように昨年10月、小泉首相が訪韓し、金大統領との会談に先立って、国立墓地に詣でた。顕忠院のホームページには参詣した外国要人の画像が載っているが、その筆頭は小泉首相だ。首相は今年三月にも参拝した。以前には小渕、森両首相も献花している。

 韓国側は靖國神社に祀られている「戦犯」を蛇蝎のごとくに忌避し、日本側は「抗日」のシンボル施設で何度も頭を下げる。異様な外交関係ではないか。

 この記事が読者の手元に届くころには、高円宮同妃両殿下が表敬されたとのニュースが伝えられているだろう。日本政府は無節操な譲歩を一方的に繰り返したあげく、日韓の政治対立に皇室をも巻き込もうとするのか。

 追悼・平和懇では「日本との戦争で犠牲になった外国人をも慰霊したい」という提案がなされている。日本には怨親平等、敵味方の別なく慰霊する、世界に誇るべき精神的伝統があるとし、暗に靖國神社を「自国の味方しか祀らない」と批判しているのだが、「外国人」をも祀れば「わだかまり」は消えるのか。

 靖國神社境内に鎮まる鎮霊社には、本社に祀られざる日本人の御霊と世界の全戦歿者の御霊が祀られ、日々、厳粛な祈りが捧げられている。それでも近隣諸国からの神社批判は収まらない。それはなぜだろう。「わだかまり」を克服するために何が必要のか?


▢4 国家が守るべき礼節──中国・人民英雄記念碑をめぐって


 今年(平成14年)は日中国交回復30年。しかし友好の気運は乏しい。先般の瀋陽領事館事件もさることながら、4月には靖國神社問題が再燃した。

 ドラマには前奏曲がある。与党三党の幹事長クラス数名が4月14日、北京で唐家璇外相と会談した際、唐外相は昨年夏の小泉首相の靖國神社参拝に言及し、「今年の8月は平穏にしてほしい」と参拝自粛を求めたのである。

 ところが4月21日、小泉首相が春の例大祭に合わせて参拝したことから、中国政府が猛反撥。とくに今回は念が入っている。さっそく中国外務次官が日本大使を呼びつけて「強い不満と断固たる反対」を表明したのに始まり、外務省副報道局長、駐日大使、日中友好協会理事長、外相と入れ替わり立ち替わり要人が執拗に批判を繰り返し、最後は江沢民主席が登場し、公明党代表に「絶対に許せない」と語ったとか。

 中国はなぜかくも強硬なのか。日本はどうすべきなのか?

▽天安門事件の汚名をそそぐ海部首相の献花

共産党のスローガンと毛沢東の巨大な肖像画が見下ろす天安門。周囲には毛主席記念堂、革命歴史記念館、人民大会堂。首都北京の中心に位置する天安門広場は中国共産主義革命のメッカである。人民英雄記念碑はその中央にそびえ立つ。

 天安門はその昔、中国皇帝の詔書が公布される権力の象徴だったという。革命の時代には人民集会場となり、しばしばここで武力蜂起が発生した。毛沢東が楼上から「中華人民共和国」の建国を宣言したのは1949年10月1日だが、記念碑は前日、毛自身が鍬入れした。碑には毛が揮毫した「人民英雄は永久に不滅である」の金象眼の大字が彫られ、裏面には毛が起草し、周恩来が揮毫したといふ碑文がある。

 碑の台座には大きなレリーフがはめ込まれている。テーマはアヘン戦争、太平天国の乱、武昌蜂起、五・四運動、南昌蜂起、抗日遊撃戦争、長江渡河の八場面。まさに革命のシンボルである。

 76年の「四人組」批判が記念碑を祭壇とする周恩来追悼が発端となったように、記念碑はつねに「政治」を引きずっている。

 89年の天安門事件の舞台もここである。民主化を願う市民が胡耀邦元総書記を追悼する花輪を記念碑に捧げたのがきっかけであった。しかし民主化運動は武力鎮圧される。

 血生臭い弾圧の汚名をそそぐのに一役買ったのは、ほかならぬ日本政府だ。

 平成3(1991)年8月、海部首相は記念碑に花輪を捧げた。西側首脳は「弾圧のシンボル」への献花を避けており、当然、欧米マスコミは「弾圧容認」と批判した。海部首相の訪中は事件以後、西側先進国首脳として初めてだった。

 日本政府は事前折衝の段階では表敬に「難色」を示したが、「最近は他国の国賓にも献花していただいている」と中国側に押し切られたといわれる。首相は「国際儀礼上の表敬」で、中国政府の人権問題への対応に支持を与える意図はないと弁解に努めた。

 しかし翌9月に公式訪問したメージャー英首相は、天安門広場に足を踏み入れることはなかった。当然だろう。記念碑には弾圧の犠牲者ではなく、事件で死んだ兵士が祀られているというのだから。

 4年10月には今上天皇が訪中された。海部訪中は露払いだったのだが、さすがに陛下は表敬されなかった。西側首脳はその後も献花を避けてきたが、細川(6年)、村山(7年)、橋本(9年)、小渕(11年)の歴代首相が献花している。日本の叩頭外交に対して、むろん中国側の返礼はない。

▽権力闘争の過程で得た対日批判の切り札

 今春の小泉首相の靖國神社参拝について、中国側は「靖國神社は日本軍国主義の精神的支柱」「A級戦犯の位牌を祀っている」と批判したが、強硬姿勢の背後に何があるのか?

 昭和60年の終戦記念日、中曽根首相が靖國神社に参拝したとき、中国側は激しく反撥した。このときの抗議が中国政府の初めての批判で、執拗な抗議を受けて、翌年の首相参拝は見送られたが、その背景には中国政権内部の熾烈な権力闘争があったといわれる。

 首相参拝は親日改革派・胡耀邦の立場を危うくしかねない、という政治判断に基づく参拝断念は、「戦後政治の総決算」どころか、かえって靖國神社問題が複雑化する要因をつくった。中国側は「歴史教科書」「靖國神社」という対日批判の政治的切り札を手にし、日本の謝罪外交が始まった。

 昨年のブッシュ米政権成立と同時多発テロは国際情勢を一変させた。米ロの絆は深まり、中国は孤立化している。世界貿易機関加盟、2008年北京オリンピック開催と世界ルールの導入を図る中国だが、一方では経済発展やインターネットの急速普及で一党独裁体制がきしみ始めている。歴史問題や靖國神社批判はいま、中国国内ではナショナリズムを強化し、国外的には日本を叩く外交上の武器に使われているのではないか?

▽日本政府は揉み手外交を脱せよ

 昨夏の小泉首相の靖國神社参拝は現状打破の目的があったが、結局、猛烈な批判の前に前倒し参拝の屈辱を味わうことになった。昨年暮れに発足した追悼・平和懇は、怒り狂う近隣諸国に譲歩し、なだめようという揉み手外交の手法から一歩も脱していない。

 中国との接点を持つ、ある識者はこう語る。

「戦歿者の慰霊・追悼は国内問題である。その原則を中国に主張すべきだ。それが通らないなら、日本としても中国の教科書その他を批判せざるを得ない、と説得すべきだ」

 静かな慰霊の聖域に権力政治の穢れを持ち込むべきではない、ということだろう。

 人民英雄記念碑を管理する「天安門地区管理委員会」のホームページには、広場での「諸注意」が記されている。第1条は「礼儀を重んじる」。宗教を事実上禁止する中国でさえ、尊い命を国家に捧げた英雄烈士への礼節を重んじる。

 翻って日本はどうか。素人論議が延々と続く追悼・平和懇は、数百万の戦歿者に対して国家が守るべき礼節を重んじている、と自信をもっていえるだろうか?

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