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見直される伝統的木造建築──阪神大震災をきっかけに建築基準法も大改正



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見直される伝統的木造建築──阪神大震災をきっかけに建築基準法も大改正
(「神社新報」平成17年1月10日)
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▢ 旧建築基準法は柔構造を認めず
▢ 剛構造で貫かれた建築行政

平成16年秋の新潟県中越地震で木造家屋が多くの被害を受けたことから、「木造は地震に弱い」という風評があらためて聞かれました。

同じ直下型だった、ちょうど10年前の阪神大震災(平成7年1月)で、「木造住宅の倒壊が予想以上に多い」と報道されたことが思い出されました。5000人を超える犠牲者の9割近くは木造家屋の倒壊による圧死または窒息死が死因とされ、木造建築の耐震性が疑われたのです。

日本の伝統建築を代表する神社建築は木造が基本ですが、ほんとうに「耐震性が低い」のだとすれば、ただごとではありません。しかし取材を進めていくと、意外な事実が浮かび上がってきました。伝統建築の耐震性というより、木造建築をめぐる日本の近代史が歪んでいるのです。けれども、その一方で、新たな時代の光も見えています。

どういうことなのか、順を追って説明することにします。

〇 耐震性は低くない

阪神大震災発生の3週間後、全国紙の夕刊1面トップに「プレハブ『軽さ』で激震しのぐ」という記事が載りました。

「新幹線の桁が落下したそばに木造住宅が二棟全壊、一棟が半壊しているが、三棟のプレハブ住宅はそのまま残り、施工中の二棟も損傷はなかった」

伝統的木造住宅を広く推奨している建築士らは衝撃を受けました。伝統構法は地震に弱いのか。「不安だった」といいます。なぜ倒壊したのか、総合的に究明する必要がある、というので、4カ月後、一級建築士や学識経験者が十数人、集まり、研究会が発足しました。

第一線の研究者などを講師に招き、毎回、100人が参加する、熱気を帯びた研究会は足かけ5年続きました。その結果、粘り強い構造を持ち、耐震的な伝統的木造軸組工法の知恵が、むしろ現代の木造建築に反映されていないことが判明したのでした。倒壊家屋の9割は、老朽化で耐久性が劣化していたことも分かりました。設計や工事内容の欠陥も多く、「構法の違いから短絡的に耐震性の有無を論じられない」というのが結論でした。

一口に木造建築といっても、構法は多様化しています。プレハブやツーバイフォーのような外来構法は柱さえありません。

日本生まれの構法には「伝統構法」と「在来構法」の2つがあります。単純化していえば、柱や梁の軸材で構成される点では同じですが、伝統構法が自然に逆らわない、柳に風の〝柔〟構造であるのに対して、在来構法は明治以降の、自然を支配しようとする、西欧的な〝剛〟の思想が取り入れられているところに基本的違いがあります。

在来構法は地震や台風に抵抗するため、①土台と基礎の固定、②筋違(すじかい)など斜材による抵抗力の増大、③補強金物の汎用、の三点を基本としますが、伝統構法にはいずれもありません。そうはいっても、伝統木造も時代によって一様ではないし、社寺建築と住宅とではまったく違うようです。

〇 逆に危険な筋違

〝剛〟の思想を基本とする建築基準法は第20条で、建物が積雪や風圧、地震などに耐えうる安全な構造を持ち、同法施行令の規準に適合しなければならない、と定めています。また施行令は、40~50条に木造の構造強度について定め、茶室や四阿(あずまや)などを除いて、たとえば「引っ張り力を負担する筋違は厚さ1・5センチ以上、幅9センチ以上の木材」などと細かく規定しています。違反者には罰則もあります。

伝統的木造構法には本来、筋違はないのに、法律はこれを求めています。要するに、伝統構法による神社など木造建築の新築を基本的には認めていないのです。国宝などの文化財なら、文化財保護法によって基準法の枠外におかれ、伝統構法による原形の再現が認められていますが、それ以外は自治体によっては「筋違がないことを理由に、建築確認がおりない」こともあるそうです。

直径20センチ以上の柱を使う神社建築では、礎石の上に立つ太い柱自体に「転倒復元力」があります。あるいは木材の接合部の継手・仕口がめり込んで応力を吸収します。この〝柔〟構造の神社建築に、〝剛〟の発想の筋違を入れて建物を固めれば、力のバランスが崩れ、「構造上、かえって危ない」と木構造の専門家は指摘します。

拝殿や神楽殿など開放的な空間では筋違の入れようがないし、楼門に筋違を入れ、板壁で覆えば、壁の厚みが増し、結果的に柱の丸みが失われ、建築美が損なわれます。基準法は旧来の大工技術を保護はしましたが、積極的には評価せず、過去の遺物扱いにしたのです。このため、楼門を「建築物」ではなく「工作物」として申請したり、構造上は意味のない形ばかりの筋違を入れるというような便法がまかり通ってきたといいます。

自然素材の木材を用いる木造建築、日本の気候と風土から生まれ、自然との共生観に育まれた柔構造の神社建築を、無機質的な煉瓦や鋼材を用いる、西洋生まれの剛構造の発想に基づく法体系で規制しようとする本末転倒の結果といえます。


▢ 西洋化の道をひた走ったツケ
▢ 占領下に神社建築を非合法化

外来構法の発想で伝統木造建築を規制する、まるで靴に合わせて足の指を切るような現実は明治以来、「近代化」と称して、ひたすら西洋化を突き進んできたツケでしょう。

たとえば、伝統構法には筋違と呼ばれる斜材がありませんでした。

明治政府が招いたお雇い外国人ジョサイア・コンドルなどは、明治24年の濃尾地震の被災地から帰ったあと、「日本家屋が地震に弱いのは、欧州なら粗末な普請にもかならず用いられててる筋違がないのが原因」と指摘し、筋違を入れて、ボルトなどで固定すべきだと主張したといいます。「変形するが粘り強く倒れない」のが柔構造の長所なのですが、西洋建築の観点からは弱点と映ったのです。

日本建築の〝柔〟から〝剛〟への転換は、酒田地震(明治27年)、関東大震災(大正12年)を経て、戦後さらに徹底化していきました。

〇 「木造禁止」を採択

大正末期から昭和初年にかけて「柔・剛構造論争」と呼ばれる学術論争がありました。「耐震構造」の創始者である佐野利器・東大教授らは剛構造一本なのに対して、関東大震災以後、海軍技師の真島健三郎らが柔構造を主張しました。

昭和5年の北伊豆地震(M7・3)は激烈でしたが、木造家屋の被害は少なかったのです。真島は翌年、東京朝日新聞に「耐震構造への疑い」を連載し、剛構造に疑問を投げかけました。中途半端な剛性を付与するのはかえって危険だと指摘し、筋違や金物の使用、基礎と土台の緊結などに反対しました。真島には免震構造に言及するほどの先見の明がありましたが、建築界の主流は剛構造を突き進みました。

敗戦直後まで建築物の構造を規制していたのは大正9年施行の市街地建築物法で、その根幹は建築許可制度でした。同法は、学校や集会場、劇場など「特殊建築物」は主務大臣が必要な規定を設けるとし、同法施行令は木造建築の高さの制限などを定めていましたが、一方、「社寺建築物」の場合は「行政官庁の許可」を受ければ規制対象外とされました。つまり伝統的神社建築は内務省の強大な権限で守られていたのです。

ところが、戦後の占領下、昭和25年に制定された建築基準法は、アメリカの制度を真似て建築主事制度を導入しました。技術基準が客観的な仕様規定中心に改められるとともに、建築行政の民主化が進められたのです。他方、一般住宅も大規模建築物も同列に規制し、柔構造で作られてきた伝統建築にまで剛構造を押しつけました。その結果、伝統構法による神社建築は、小規模なものを除き、「非合法化」されました。

新築なら特例的に認められるだけ。既存の神社なら文化財保護法の枠内でのみ存続することになり、それ以外は「既存不適格」とされました。往古より国家がリードし、日本建築の表舞台を彩ってきた社寺建築は、敗戦・占領という歴史的苦難の中で、当局により「歴史的遺物」と宣告されたのです。

〇 木造建築空白の時代

独立回復後も状況は変わりませんでした。

都市の不燃化に対する世論の高まりを受けて、昭和34年、日本建築学会は会員500名の全会一致で、「防火、耐風水害のための木造禁止」を含む「建築防災に関する決議」を採択し、強力な国家施策の実施を政府に要望しました。木造は長持ちしないが、鉄筋コンクリートは半永久的と考えられていたのです。

都心から木造建築が次々に消えていったのもこのころです。コンドルが設計した傑作、東京・本郷の岩崎久弥邸は36年に国の重文に指定され、保護された半面、この木造洋館に隣接する和風建築部分は惜しげもなく破壊されました。

明治の上流社会では和風と洋風の二重生活が営まれていたのですが、明治の洋風建築の評価が高まった一方で、日本の伝統建築は一顧だにされずに失われました。東京都心に残る江戸の建造物は社寺を除いて皆無といわれます。

国産材の供給力不足もあって木造新築は衰退し、山と町は切り離され、大学教育から木造建築の講義が消え、研究者もいなくなりました。いまや一級建築士の国家試験(学科)に木造建築に関する設問は「計百問のうち一つあるかないか」といわれます。「木造建築の空白時代」と呼ばれているのです。


▢ 基準法、50年ぶりの大改正
▢ 震災後、進む科学的探求

昭和50年代になって、建築行政に木造建築が甦ります。きっかけはアメリカ大陸産の木材輸入。貿易摩擦解消の一策でした。当然、外材を使った外来の構法による木造建築が推進されはしましたが、日本の木材も日本の伝統構法も埒外に置かれました。

〇 20年で様変わり

昭和の末期にいたり、ようやく大規模木造建築が復活します。終戦後の植林から30年、いっせいに伐採期を迎え、木造に関心を持つ建築家も現れました。「木のぬくもりを再発見」する国民も増えました。その結果、木のドームや木造の体育館が各地に新築されるようになったのです。

伝統的木造建築の新築も始まりました。建築基準法は38条で、技術の向上で、以前は予想もしなかった材料や方法で建てられる建物について、従来の建造物と同等以上の効力がある、と建設大臣が認めれば、建てることができる、と規定していました。

宮崎県南郷村の「西の正倉院」(百済の里)や平城宮跡の朱雀門などが、法的には「工作物」としての位置づけではあったにしても、この条文を運用して建てられました。学界および官界で伝統構法再評価の気運が生まれたのです。

阪神大震災3周年の平成10年、建築基準法が抜本的に改正されました。規制緩和の要求に応えるとともに、大震災を契機とする安全性確保の要請に応えるもので、50年ぶりの大改正といわれます。

大きく変わったのは、旧基準法が建築材料や寸法、形などを具体的に定めた「仕様規定」だったのに対して、改正基準法は「性能規定」を導入したことです。特定の仕様に限定されず、性能が証明されれば、自由に設計することができるようになりました。鉄筋であれ、伝統木造であれ、同じ基準法の枠組みでその構造を同等に論じられることになったのです。このため38条は役目を終え、削除されました。

たとえば法隆寺の五重塔は1000年の時を刻んでいますが、耐震性などを計算して建てられているわけではありません。大工棟梁の伝承に基づく技術が、結果的に耐震的な建築物を生んできました。

経験というカーテンの陰に隠れ、科学的データもなく、そのため「地震に弱い」など不当な評価をしばしば受けてきた伝統的木造建築ですが、新築の場合は否応なしに、性能を客観的に立証する必要に迫られ、前提として試験方法や計算方法の確立が求められることになりました。

〇 日本建築史の転機

すでに大震災を契機として、伝統木造建築の科学的探求が進んでいます。実験が行われ、データが年ごとに蓄積されるなど、めざましい進歩を見せています。

研究者も増えました。鉄筋造などと違い、一本一本個性があり、呼吸し、伸縮する木材を用いるだけに、構造計算の方法確立は簡単ではありませんが、鉄鋼造や鉄筋造と違って難しいからこそ、研究者にとって木造はロマンに満ちています。五重塔の構造に専門的に取り組む若い研究者さえいるようです。

また改正基準法では持ち主の責任が重視され、耐震対策などが社会的な責任として要求されています。

文化財の場合、これまでは保護法に守られて、耐震計算も耐震補強も不要でした。古建築の耐震構造を研究する研究者もいませんでした。「300年も持っているのだから耐震性は十分」と建築学者が主張すると、「300年間、地震がなかっただけ」と地震学者が反論し、かみ合うことがなかったのですが、最近は、共通の土俵での議論が可能になり、文化財の耐震補強が持ち主の責任で考慮されることになりました。

それほど現代は、木造建築が日陰の存在だった時代からすれば、隔世の感がありますが、これから先、伝統的木造建築はどこへ向かうのでしょうか。日本建築学会会長などを歴任した内田祥哉・東大名誉教授は語ります。

「筋違がなければ駄目だとか、古いものは駄目だという単純な議論ではなく、筋違がなくてもどういう壁ならどの程度の耐震性があるのか、具体的客観的な研究が急激に進歩すると思う。伝統木造建築を表舞台に出して、正当に評価されるようにしてほしい」

神社建築など伝統木造の研究が進み、評価が高まれば、需要が広がり、宮大工などの社会的地位も上がる。地元産の木材を使う伝統木造建築の地位向上は、危殆に瀕する日本の林業や森の文化の再興にもつながるでしょう。

他方で、剛構造を貫いてきた西洋建築も一変しました。霞が関ビル完成を期に確立された耐震技術は、やはり阪神大震災後、免震、制震という、より洗練された柔構造に進化しています。明治以降、西洋化の道を驀進してきた日本建築の歴史的転換点といえます。

参考文献=『日本建築学会百年史』、村松貞次郎『近代和風建築』、坂本功『木造建築を見直す』、松井郁夫ら『木造住宅「私家版」仕様書』、内田祥哉「木の建築」所収論攷など)


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