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アメリカに飛び火した日韓「歴史」問題──「朝鮮語使用禁止」の誤り [天皇・皇室]


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アメリカに飛び火した日韓「歴史」問題──「朝鮮語使用禁止」の誤り
(「神社新報」平成17年6月13日号)
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 日韓の歴史問題が米国にまで飛び火した。

「曾祖父は、日本政府が朝鮮語を禁止していた1940年代の朝鮮で、最初の朝鮮語辞典を共同編纂したため逮捕された」。

 奴隷解放で知られるリンカーン大統領の偉業を称える博物館が今年(平成17年)4月、同大統領の第二の故郷、イリノイ州スプリングフィールドに竣工し、開館記念の作文コンクールで大賞を射止めた在米韓国人2世の女子高生がブッシュ大統領ほか1万人の参列者の前で「日帝」批判の作文を読み上げた。

「自由の伝道師」ブッシュは「自由社会を流麗に表現した」と称えた、と韓国紙は報道した。


▽ 朝鮮語学会事件

「従軍慰安婦」「創氏改名」「神社強制参拝」などとともに、「朝鮮語使用禁止」は「日帝」批判の常套句だが、「禁止」は事実なのか?

 日本統治下の朝鮮では昭和13(1938)年の第3次朝鮮教育令以降、内地人と朝鮮人が机を並べて勉強できるようになり、朝鮮語が「必修」から「随意科目」となってのちも日本人校長の学校では朝鮮語の授業が続いた。

 皇居遙拝を呼びかける国民精神総動員朝鮮聯盟のポスターは日本語とハングルで書かれていた。漢字ハングル混じりの総督府機関紙「毎日申報」は終戦まで発行されていたし、ラジオの第二放送は朝鮮語が用いられた。

 終戦の玉音放送のあと、京城中央放送局は「進駐軍到着まで総督府に協力してほしい」と朝鮮語で呼びかけている(日本放送協会編『二十世紀放送史』など)。

「朝鮮語禁止」はまったく事実ではない。

 だとすると、辞典編纂を理由とした検挙・投獄はあり得ない。理由は何だったのか。

 もともと朝鮮には朝鮮語辞典がなかった。漢字辞典と漢文の文書があればいいという発想で、朝鮮人は朝鮮語辞典を必要と感じていなかった。

 近代になってフランス人、米国人、英国人、日本人がそれぞれの言語で朝鮮語辞典を作り、その後、「自分たちの辞典がないのは恥であり、文化向上を妨げる」と悟った朝鮮人が1910年に辞典編纂を計画した。だが、試みは実を結ばなかった。

 総督府が『朝鮮語辞典』を出版した翌21年に、編纂計画が再開されたが再び挫折し、28年に辞典編纂会が創設され、やがて朝鮮語学会(戦後「ハングル学会」と改称)が編纂事業を引き継いだ(ハングル学会編『最新ハングル大辞典』の巻頭辞)。

 そして事件は起きた。

 女子高生の曾祖父・鄭寅承氏は35年以降、朝鮮語学会理事として編纂に関与したらしい。鄭氏ら朝鮮語学会の会員33名が検挙・投獄されたのは42年。「朝鮮語学会事件」と呼ばれる。

 平凡社の『朝鮮を知る事典』は、容疑は「治安維持法違反」と説明している。

「女高生の日記に〈日本語を使い処罰された〉とあったのに端を発し、教員が検挙され、学会にまで弾圧が及び、言語学者が裁判に付され、拷問のため獄死した。朝鮮語の使用が禁止される状況で、過酷な弾圧を受けた」。

 だが、「朝鮮語使用禁止」はおかしい。既述したように、歴史の事実に反している。

 治安維持法は「国体変革を目的に結社を組織した者、または結社の役員その他指導者たる任務に従事した者」を厳罰に処する法律だが、会員たちは「独立団体を仮装して独立運動を図った」と疑われた、と山川出版社『朝鮮史』は説明している。

 これなら納得がいく。

 朝鮮総督府が作成した第84回帝国議会説明資料(18年)に、「咸鏡地方法院予審掛で審理中」の事件の概要が載っている。

 義本克魯(李克魯)、月城鉉培(崔鉉培)らが朝鮮独立の目的で、上海の大韓民国臨時政府(独立運動家による亡命政権)と連絡し、その指令に基づき、活溌な独立運動は至難であるため、文化運動の展開を通じて民族意識の昂揚に努めていた、独立運動の実践団体に改組された朝鮮語学会で不穏策動があったのを咸鏡南道の警察が察知し、検挙した──。


▽ 「抑圧」といえぬ

 朝鮮人当事者の生々しい証言も残されている。

 韓国研究院発行の「韓」は昭和52年9月号で事件を特集し、判決文(予審終結決定書)を載せた。

 そこには主犯格の李克魯被告について、高麗共産党や民族宗教団体大倧教との関連、ベルギーの世界弱小民族大会に朝鮮代表で出席し、朝鮮独立要求の議案を提出したことなどが記されている。

 拷問の末の「自白」がどこまで事実を反映しているか不明だが、同被告は戦後、北朝鮮の要人になっている。

 一方、同じ号に掲載された李煕昇・梨花女子専門学校教授(事件当時)の回想によれば、事件発端の日記の記述はいたずら書きに過ぎず、刑事仲間の中には立件の断念を勧める者もいたが、朝鮮人の刑事が事件にもっとも熱心に取り組み、もっとも過酷な拷問を容疑者に加えたという。

 朝鮮人容疑者を責め立てたのは日本人ではなく、朝鮮人だったと朝鮮人自身が証言している。だとすれば、「日本による朝鮮語抑圧政策」というような単純化はできない。

 最近の研究では、総督府の綴字法整理の審議に学会員が参加し、その学説が反映されるなど「配慮」が示されており、従来の「支配─抵抗」史観では把握し切れないことが分かってきた(三ツ井崇「朝鮮語学会の朝鮮語規範化運動と朝鮮語学会事件」)。

 また、在朝鮮日本人に対する朝鮮語奨励政策は植民地支配末期まで続き、対象は日本人官吏全体に及び、朝鮮語のできる日本人は朝鮮人から歓迎されていたことも明らかになっている(山田寛人『植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策』)。

 朝鮮社会全般に日本語を強制したり、朝鮮語の使用を禁止した事実は過去にないが、いま一般社会では「日帝」批判の政治的プロパガンダが大手を振るい、日韓のみならず日米関係をも損ねている。

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