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「殉国者は靖國神社に祀らるべし」ビッテル神父からGHQへの答申 [靖国問題]


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「殉国者は靖國神社に祀らるべし」ビッテル神父からGHQへの答申
(「神社新報」平成17年12月8/14日号)
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 今年(平成十七年)は神道指令六十年である。

 同指令は神社制度のみならず、日本人の宗教意識の根本的な変革を命じ、とりわけ靖國神社は存亡の淵に立たされた。この大変革に呼応して神社本庁は創立され、神社新報は発刊された。
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 それから六十年、同社への攻撃がやまない。


▽ CIEの大勢は強硬


 昭和二十年八月十五日、昭和天皇はポツダム宣言の受諾と終戦をラヂオで国民に告げられた。九月二日、降伏文書調印。同十七日にはGHQが東京に移された。

 米国政府は戦時中から「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉と理解してゐた。米軍の東京進駐から一カ月後の十月六日、米国務省極東部長ヴィンセントはラヂオで占領政策を米国民に説明し、「日本政府に指導され、強制された神道ならば廃止されるだらう」と述べた。八日付朝日新聞はこれを「神道の特権廃止」と伝へるAP電を載せた。

 放送内容を事前に知らされてゐなかったGHQは驚き、本国に照会、国務長官バーンズは「国教としての神道、国家神道は廃されるだらう」と回答した。この回答がGHQ民間情報教育局(CIE)による神道指令起草の起点となる。

 このころ「国家神道」の中心施設と考へられてゐた靖國神社では遊就館の業務が停止し、神社「焼却」があちこちで噂になってゐた。米政府はCIEに「国家神道は廃止すべきだが、民間信仰の対象としての神道は残してもいい」と訓令してゐたものの、CIEの大勢は「神道、神社は撲滅せよ」と強硬に主張してゐた。

 これに呼応して、日本の仏教界も強硬で、キリスト者も「神道に圧迫された」と神道批判の嘆願書を盛んに書いた。CIEは創価学会の発展を奨励したといはれる。

 大日本帝国最後の靖國神社招魂祭を約一カ月後に控へた十月中旬、最高司令官マッカーサーの覚書が上智大学のビッテル神父の元に届いた。ビッテルは独人で、日米開戦回避に努力したこともあった。このころは法王使節代行でもあった。

「司令部の将校たちは靖國神社の焼却を主張してゐる。同社焼却にキリスト教会は賛成か否か、速やかに貴使節団の統一見解を提出されたい」

 ビッテルは推察した。〈占領軍の将校たちは、靖國神社、護国神社が廃止されればキリスト教会の発展が容易になり、教会は喜ぶだらうと単純に考へてゐた。それなら逆に、神社の前途を教会の意思にゆだねようとマ元帥は考へたに違ひない〉。

 ビッテルはバーン管区長ら数人の神父と意見を交はし、結論を出した。

「いかなる国家も、国家のために死んだ人々に対して敬意を払ふ権利と義務がある。それは戦勝国か敗戦国かを問はず、平等の真理でなければならない。
 もし靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きはまる汚点となって残るだらう。神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
 靖國神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるといふなら、排除すべきは国家神道といふ制度であり、靖國神社ではない。
 いかなる宗教を信仰するものであれ、国家のために死んだものは、すべて靖國神社にその霊を祀られるやうにすることを進言する」

 答申書は約束通り、翌日の朝までにマッカーサーの副官に渡され、靖國神社は守られた。

 臨時大招魂祭は十一月十九日から予定通り斎行され、昭和天皇が行幸された。


▽ GHQの解釈変更


 しかし十二月十五日、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の禁止に関する件」といふ長い表題の付いた日本政府への覚書、すなはち神道指令は発布された。

 日本政府はこれを「唐突」と受け止めた。

 CIE教育・宗教課で宗教班の責任者だったバンスらはビッテルの答申と前後して神道研究を始めてゐた。基本姿勢は「神道国家主義の根絶」。果たせるかな、六次にわたる草案を経て、発令された神道指令の「目的は宗教を国家より分離するにある」と規定されてゐたが、実際は「国家と教会の分離」が拡大解釈され、神道に対する差別的圧迫が加へられた。

 ハーグ陸戦協定には占領軍は被占領国の宗教を尊重すべきことが規定されてゐるが、GHQはこの戦時国際法に公然と違反し、なほかつ「宗教の平等」原則に違反して、とくに民族宗教たる神道の弱体化を図った。ポツダム宣言には「宗教・思想の自由は確立せらるべし」の項目があったが、多くの神道的宗教慣例が禁止された。

 GHQ宗教課職員ウッダードの論攷などによれば、占領後期、GHQは神道指令の「宗教と国家の分離」を「宗教教団と国家の分離」に条文解釈を変更し、実際、昭和二十六年の貞明皇后御大喪は国家的に挙行された。しかしいつの時点で、どのやうに解釈が内部的に変更されたのかは明示されずじまひだった。そもそも米国人の「国家神道」理解に偏見と曲解があったのだが、真相は明らかにされず、神道への差別的扱ひも放置された。

 そのツケは現代も続いてゐる。小泉首相の五度目の靖國神社参拝後、同神社に代はる「国立の無宗教の追悼施設建設」の要求がふたたび高まり、十一月九日には国会議員百三十人が糾合して超党派の議員連盟が設立された。歴史は繰り返されるのか。
(参考文献=『マッカーサーの涙──ブルーノ・ビッテル神父にきく』、大原康男『神道指令の研究』など)

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