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日中関係を冷却化させた元凶──中国共産党内部の壮絶な権力闘争 [中国]


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日中関係を冷却化させた元凶──中国共産党内部の壮絶な権力闘争
(「神社新報」平成18年2月2日号)
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 いまや「氷河期」ともたとえられる日中関係をめぐり、中国共産党の中枢で対日重視派と強硬派との壮絶な権力闘争が展開されていることが分かってきました。

 いわゆる靖国問題は、最初に日中の外交問題として急浮上した20年前の中曽根参拝以来、中国の国内問題としての側面がきわめて濃厚なのです。日本の政界や言論界では、昨今の日中外交冷却化の主因は

「A級戦犯をまつる靖国神社」

 への首相参拝にあると決めつけ、参拝中止を声高に要求する主張が大手を振るっていますが、正確ではないことになります。

 靖国問題がいつまでも迷走を続けているのは、日本の政治家も言論人も中国政権の奥まった内情が見えないからではないでしょうか。


▢1 対日関係を重視する胡錦涛外交の挫折

 ここ数年を振り返ってみると、

「正しい歴史認識」

 を繰り返し強調して日中の亀裂を深めた、かの江沢民主席時代が幕を閉じ、今日の胡錦涛・温家宝体制が正式に発足した2003(平成15)年3月、中国では対日関係重視の「新思考外交」が台頭していました。

 小泉首相が3度目の靖国神社参拝を果たしたのはその2カ月前でしたが、5月にロシアで開かれた小泉・胡錦涛会談では、歴史問題を後景化させる方針が胡錦涛主席の口から直接、示され、注目を浴びました。同年夏にはチチハルの旧日本軍毒ガス漏出、珠海の日本人集団買春と事件が相次いだものの、新政権の対日重視政策は基本的には揺るぎませんでした。

 ところがその後、新外交は一年もたたずに挫折します。なぜでしょうか。中国情勢に詳しい清水美和・東京新聞編集委員の近著『中国が「反日」を捨てる日』はその背景を詳しく分析しています。

 それよると、胡錦涛政権が重ねて柔軟姿勢を示したのに対して、真意を理解できない日本政府は対応しませんでした。このため中国共産党内部や民衆の間で新外交への懐疑と反感が高まっていきました。それでも10月にバリ島で小泉首相と会談した温家宝首相は靖国参拝に触れず、ふたたび新思考を呼びかけました。けれども会談の帰途、小泉首相が

「参拝は中国も理解している」

 と同行記者に語ったことから、温家宝は

「メンツを失った」

 ばかりではなく、党内強硬派の激しい批判にさらされることになります。

 そして、ついに11月、西安の西北大学で日本人留学生寸劇事件をきっかけとした反日暴動が起きました。

 建国以来最大規模といわれる大暴動は、新外交政策に衝撃を与えずにはおきませんでした。中国政府は同年12月、唐家璇(元外相)主宰の大規模な対日関係工作会議を開き、政府方針は

「歴史問題を疎かにしない」

 に修正されました。こうして強硬論の台頭で、靖国問題がふたたび強調されることになりました。


▢2 擡頭する強硬派対日政策の先祖返り

 その後の中国は対日重視派と強硬派との対立に終始しています。それは靖国問題をめぐるせめぎ合いというより、首相参拝が政争の具に利用されていると見た方が正しいのではないでしょうか。

 翌04年元日の小泉参拝で政経分離政策は放棄され、要人の発言は江沢民時代に先祖返りしました。

 同年夏のサッカー・アジア杯の反日暴動は中国民衆の反日感情のすごさを見せつけました。愛国主義教育に加えて、国力充実に伴う中国人の民族主義が政府の統制を上回るまでに膨張し、それが権力闘争に利用されたと清水氏は解説します。法輪功や米CIAの関はりまでが指摘されているといいます。

 胡錦涛政権は、北京工人体育場でのアジア杯決勝戦に数万人の治安部隊を投入して反日行動の抑え込みを図りましたが失敗しました。衝撃を受けた政府は反靖国団体の拠点でもある反日サイトを閉鎖するなど、反日の封じ込めに躍起となりました。

 秋に江沢民の中央軍事委主席辞任を受け、胡錦涛は党、国家、軍の三権を掌握したものの、政権基盤は依然、不安定で、訪中した河野洋平議長との会見では対日関係の打開に意欲を示しつつも、小泉首相の靖国参拝にはじめて言及、批判しました。

 国内を治められないとなれば、足下をすくわれます。反日が国益にかなうはずはないのに、日本に毅然たる態度を取らなければ

「売国奴」

 と批判されます。胡錦涛はじつに困難な立場にあります。

 11月にはラオスで小泉・胡錦涛会談が実現しましたが、翌月、日本が

「中国の脅威」

 に言及する新防衛大綱を発表したのは中国には

「強硬姿勢」

 と映りました。

 翌05年3月にアナン国連事務総長が

「日本を常任理事国に」

 と発言すると、大規模な反対署名運動が違例なことに三大商業サイトなどインターネットを巻き込んで展開されました。中国共産党宣伝部の指示によることは明らかでした。

 中国最高指導部の重要会議が開かれたのは同じ3月です。議題が二国間問題にしぼられた、これも違例の会議で、

「日本が強硬なら中国も強硬に。柔軟なら柔軟に」

 という新しい対日戦略が決められました。玉虫色の方針は党内対立の存在を暗示しています。中国共産党はけっして一枚岩ではありません。

 4月には四川省で反日デモが起き、広東省に広がり、北京にも波及しました。大学や学生会はデモ不参加を呼びかけていましたが、党の一部が呼びかけ、公安当局は黙認しました。

「現代の李鴻章を打倒せよ」

 というスローガンもありました。日清戦争の敗北後、台湾を日本に「売り渡した」李鴻章になぞらえた胡錦涛への批判のようです。暴徒が日本大使館に投石するのを、温家宝は日本に責任を転嫁しました。江沢民ら強硬派の拠点である上海ではデモは数万人規模となり、日本領事館が襲われました。

 北京のデモ当時、山東省にいた胡錦涛は視察から帰ってデモを知り、激怒したといいます。

「私を困らせるつもりか」

 中国の国際イメージが失墜し、胡錦涛政権が窮地に追い込まれるにおよんで、温家宝ではなく、李肇星外相による党・政府・軍の幹部3500人が会した情勢報告会が開かれました。ようやく違法デモの抑制が全党の方針となり、以後、中国メディアは一転して日中友好を強調します。

 続いて、インドネシアで開かれた小泉・胡錦涛会談で、胡錦涛は関係緩和への意欲をみせ、その後、デモを煽る反日サイトは閉鎖されました。


▢3 なお続くせめぎ合い、江沢民の胸の内

 けれども、その折も折、強硬派は巻き返しを図ります。中国革命の原点とされる反日・愛国運動「五・四運動」の記念日に、江沢民は反日のシンボル「南京大虐殺記念館」を訪問し、数千人の「市民」、いや公安要員の歓呼に手を振って応えました。反日デモを封じ込めようとする胡錦涛への不満を露骨に表明したのです。

 俄然、強硬派は勢いづきます。対日関係の修復のため来日したはずの呉儀副首相は小泉首相との会見をすっぽかして帰国、中国メディアはA級戦犯批判の連載を開始します。

 9月3日、「抗日戦争」「反ファシズム」勝利60周年を記念する2005年最大の行事である記念大会で、胡錦涛は小泉参拝を間接的に批判する一方で、

「侵略戦争を懺悔した日本軍人」

 の存在を指摘し、

「賞賛されるべきだ」

 と演説しましたが、6000人の元兵士で埋まった人民大会堂は静まり返ったままで、傍らの江沢民も無反応でした。

 権力を委譲したはずの江沢民がなぜこれほどに胡錦涛の日本重視政策に反対するのでしょうか。

 江沢民はもともと強硬派だったのではありません。胡錦涛を後継者に指名したのは鄧小平であり、江沢民の意中の人だったわけではない胡錦涛の権力基盤が徐々に拡大し、自分の劣勢が明らかになるにつれ、江沢民は強硬派への迎合を強めていると清水氏は説明します。

 清水氏の分析は昨秋までで終わっていますが、両者の権力闘争はその後も懲りずに続いています。

 昨年(2005年)10月に小泉首相が靖国神社に参拝したのに対して、中国の権力闘争がまるで見えない日本のマスコミはもっぱら小泉首相の靖国参拝に対する中国側の抗議と批判を伝えましたが、子細に見れば、中国政府は反日活動家を拘束し、反日デモを封じ込めるなど、逆に抑制的な対応をとりました。

 最近の報道では、11月には改革派の指導者・故胡耀邦元総書記の生誕90周年の記念式典が人民大会堂で開かれました。胡耀邦といえば、新たな日中関係を築こうとしたものの、中曽根首相の靖国神社「公式参拝」後、対日強硬派の追い落としで失脚しました。その復権は対日重視路線への転換のシグナルともとれます。

 けれども、逆に今年(2006年)1月、趙紫陽元総書記の追悼集会は強硬派の妨害を受けました。胡耀邦の死後、その追悼と民主化を要求する学生デモはやがて血生臭い弾圧を受けましたが、この天安門事件につながる学生運動に同情的だったために失脚し、昨年(2005年)死去した趙紫陽元総書記の没後一周年をひかえて、追悼集会を企画した民主運動家らが拘束されたのです。趙紫陽の再評価を江沢民ら強硬派が反対していると伝えられます。

 昨年(2005年)、日本の大学などで講演し、小泉参拝を執拗に批判していた王毅駐日大使は、12月中旬以来、1カ月半の長期にわたって帰国したままでしたが、1月末に帰任後は一転して「日中関係重視」を強調しています。

 中国政府の対日政策見直しがあったのか、強硬派との政争に新たな局面が生まれたのでしょうか。


▢4 反日行動の抑制が精一杯、どこへ行く歴史問題

 共産党中枢の権力闘争ばかりではありません。危険水域を越えた社会矛盾は政権の土台を大きく揺るがしています。不均衡な経済・社会発展の結果、国内の所得格差は

「社会の安定を脅かす」

 といわれる水準をはるかに超え、一日平均200件を超えるほど暴動や騒乱が頻発し、環境汚染も深刻化しています。驚異の高度成長を示す政府発表の経済指標に対する懐疑も示されるようになりました。中国は「発展」しているのではなく、「混乱」の極みにあります。

 胡錦涛政権は格差是正に着手し、2600年続いた農民への課税を2年前倒しで廃止しましたが、負担軽減策の効果は薄いといわれます。胡錦涛への期待が完全に裏切られたという失望感が社会全体に広がっています。もとより10億の民と広大な国土を治めることは至難ですが、胡錦涛は民衆の暴発の危機に直面し、薄氷を踏む日々が続いています。

 外交に加えて、内政が失敗すれば、強硬派はいよいよ元気づくことになるでしょう。

 清水氏の著書が明らかにした中国共産党中枢の権力闘争、そして最近、とくに知られるようになった社会矛盾の拡大などを直視することなく、

「侵略戦争肯定」
「軍国主義礼賛」

 と決めつける内外の靖国批判を真に受け、首相参拝の是非を論ずることは浅薄というほかはなく、混乱した議論が収まるはずもないのですが、そうだとして、日中ののど元に突き刺さったままの歴史問題は今後、どこへ向かうのでしょうか。

 反日が中国の国益にかなうはずはなく、対日重視は当然ですが、清水氏の予測では、過度の対日譲歩は胡錦涛政権にとって命取りとなる。いまは過激な反日行動を抑えるのが精いっぱいで、来年(2007年)の17回党大会までに江沢民との権力闘争が決着しなければ、対日関係は当分、不安定なままとなるといいます。

 しかしその前に、今年(2006年)9月、日本では自民党総裁選が予定されています。すでに総裁候補者からは靖国参拝に慎重な発言も聞かれますが、中国の批判に屈服して首相参拝が中止されるとなれば、いまのところは穏やかな日本国民の民族主義を刺戟し、いよいよ日中民族主義の対決に火をつける可能性も否定できません。

 しかし近代の悲劇の再来は靖国神社に祀られた英霊が望むところではないでしょう。英霊の中には中国革命の父・孫文を敬愛し、日中の未来を信じて武器を取り、一命を捧げた将兵が少なくありません。松井石根しかり、広田弘毅しかりですが、民族主義の激突を排し、日中の連携を追求した先人たちが逆に「A級戦犯」の汚名を着せられているのは何という歴史の皮肉でしょう。


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