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宗教心を教えられますか [宗教教育]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。


 民主党が政府与党に対抗して、教育基本法改正案の要綱をまとめました。
 http://www.dpj.or.jp/news/200605/20060512_092kyouiku.html

 政府案では、「愛国心」について、第2条に「わが国と郷土を愛する態度」と表現されていましたが、民主党案では、「前文」に、「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に思いをいたし」という文言が入っています。

 注目されるのは、政府案では盛り込まれなかった「宗教教育」が取り上げられたことで、民主党案では、第16条に「生命・宗教の教育」が掲げられ、「宗教的な伝統や文化に関する基本的知識の修得および宗教の意義の理解は、教員上重視されなければならない」「宗教的感性の涵養および宗教に関する寛容の態度を養うことは、教育上尊重されなければならない」と記されています。

 愛国心の場合もそうですが、問題は、宗教心をどのように教えるかでしょう。というのも、教える立場の大人たちよりも、むしろ子供たちの方がしばしば宗教的だからです。

 おととしの6月、長崎県内の小学校で同級生をカッターナイフで殺害するという痛ましい事件がありました。家裁が最終審判決定要旨で「加害児童は『死のイメージ』が希薄」と分析したことから、長崎県では「他の子供たちにも危惧される」として、その後、小学校4年と6年、中学校2年生を対象に「生と死」に関する意識調査を実施しました。
 http://www.pref.nagasaki.jp/koho/news/0124/0124_09_01.html
 
 マスコミの報道では、全体の15パーセント以上が、そして中学2年生では18.5パーセントまでが「人は死んでも生き返る」と答えたことに着目し、「理由をたずねると半数が『テレビや本で生き返る話を聞いたことがあるから』と答え、3割近くが『テレビや映画で生き返るところを見たことがあるから』と回答した」などと伝えていました。

 また、県では、この結果を「予想外」ととらえ、「生と死」の体験の機会が少ない子供たちに対する「命の体験学習」の重要さを指摘していました。

 ところが、調査結果をよく読むと、別の側面が浮かび上がってきます。

 調査では、「死んだ人が生き返る」と答えた子供たちに「追跡調査」を試み、「テレビや映画で見た」「話を聞いたことがある」「ゲームでリセットできる」などの選択肢から理由を選ばせているのですが、選択肢には収まらない、興味深い答えが返ってきました。「体験の有無」の問題ではないのです。

「祈れば生き返ると思う」「よいことをしたら生き返る」「生き返ると信じたい」「肉体はなくなっても心は残る」などなど、大人たちが用意した設問が現実的、物質的なのに対して、子供たちははるかに宗教的、精神的なのです。

 そのような子供たちに対して、県は「体験学習」というありきたりの結論しか見いだせないのです。「公教育では宗教的な問題は表現できない。1つの宗教に偏ることができない」という声も聞こえてくるのですが、宗教を避けているとか、それとも宗教的感性がもともとないのか、したがって子供たちの宗教的な要求さえ見えないような大人たちに、宗教教育などというものが果たしてできるのでしょうか。

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