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異文明を受容する京都・祇園祭 [神社神道]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です


 日本三大祭りのひとつ、京都の祇園祭が佳境を迎えつつあります。クライマックスはいわずとしれた17日の山鉾巡行で、「コンコンチキチン、コンチキチン」と祇園囃子もにぎやかに、32基の山鉾が猛暑の都大路を進みます。
kankoboko.gif
 山鉾のなかでもっとも注目されるのは、函谷鉾(かんこぼこ)です。日本の神社といえば、やれ軍国主義だ、侵略だと、決めつけるお歴々がいるようですが、そんなことはありません。たとえば、この函谷鉾には、中国ばかりでなく、ユダヤ・キリスト教文化圏の異文明を平和的に受け入れる日本文化の特徴がはっきりとうかがえます。

 函谷鉾は、そもそも名前から分かるように、古代中国の故事がテーマになっています。

 秦の昭王は、使いとしてやってきた斉の宰相・孟嘗君の殺害をはかるのですが、間一髪のところで孟嘗君は脱出し、険しいことで知られる国境の函谷関(かんこくかん)まで逃げ延びるのですが、夜明けまで間があり、関は閉じられたままでした。追っ手が背後に迫り、万事休すと思われたとき、従者が鶏の鳴き真似をし、関が開かれ、孟嘗君は無事に帰国することができたと伝えられています。

 この故事にならって、函谷鉾のてっぺんには三日月があしらわれ、その他、孟嘗君や鶏などのデザインが施されています。

 もっと注目されるのは、鉾の正面をかざる前掛けのタピストリーです。16世紀、いまのベルギー・フランドル地方で制作された羊毛と絹の綴織の壁掛けで、そのデザインは旧約聖書の有名な「イサクの嫁選び」の場面といわれます。

 面白いのは、この前掛けが登場したのは、江戸期のキリスト教禁教の時代らしいということです。ご禁制のキリスト教美術品は、平戸のオランダ商館長から三代将軍家光に献上されたもので、やがて函谷鉾町へとわたり、人々は山鉾に用い、巡幸させていたというのです。

 函谷鉾のほかにも、鯉山、鶏鉾などには、ギリシア神話を題材としたタピストリーが用いられています。

 さて、京都では祇園祭が最高潮に達するころ、東京では戦没者を慰める「光の祭典」、靖国神社のみたままつりが行われていますが、マスメディアがほとんど報道しないのはどうしてでしょうか。
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