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小沢さん、慰霊と歴史批判を混同しないで [小沢一郎]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(2006年8月22日)からの転載です

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小沢さん、慰霊と歴史批判を混同しないで
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 昨日の小沢一郎メールマガジンに、夕刊フジに連載されている「剛腕コラム」283号が転載されています。

「首相の靖国参拝は退任前の格好つけ、信念も何もない、戦争責任にケジメない行動、天皇陛下がご参拝できる環境を整えよ」などという、きびしいタイトルがつけられています。

 小沢氏は、冒頭で小泉首相の靖国参拝後の「インタビューは無茶苦茶だった」と切り捨て、次のような批判を展開しています。

 ──首相はあの戦争を「間違った戦争」と認め、いわゆるA級戦犯を「戦争犯罪人」と言及していた。「A級戦犯のために参拝しているのではない」「祖国のため命を捧げた方々に敬意と感謝」と説明するが、A級戦犯が祀られているのは事実だ。

「職務ではない」と弁解しても、身分はついてくる。参拝は「国の代表者が戦争責任にケジメをつけない行動をした」ことになる。

 このように小泉参拝を批判したあとで、小沢氏は持論を展開しています。

 ──東京裁判は所詮、報復裁判であるが、当時の国家指導者には日本国民に対して責任を負っている。靖国神社は戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則であり、この人たちは祀られるべきではない。

 首相参拝で心配されるのは、国民の間に偏狭なナショナリズムがふくらみつつあることだ。過去にケジメをつけ、靖国神社のあり方をどう考えるか、あいまいにすべきではない。

 以前から申し上げていることですが、小沢氏は、慰霊・追悼と歴史批判を混同しているようです。

 首相は靖国参拝を殉国者に対する敬意と感謝と位置づけていますが、正しい認識です。靖国神社はたしかにいわゆるA級戦犯の十四人(絞首刑となった7人、公判中に病死した2人、受刑中に死亡した5人)を合祀していますが、これは戦争犯罪を神聖化し、犯罪者を神と仰いでいるのではなく、日本国政府が講和発効前の死者を「公務死」と認めたからです。

 あの戦争において幾多の国民が尊い命を失い、国土が焦土と化したのは歴史の事実であり、敗戦後、外国の軍隊による占領を体験したのも屈辱以外の何ものでもないでしょう。そのような惨たる歴史を二度と繰り返さないために、検証に検証を重ね、反省することは小沢氏がいうように重要ですが、そのことと慰霊・追悼は別のことなのではありませんか。靖国参拝は歴史の肯定ではありません。

 まして靖国参拝と偏狭なナショナリズムとを結びつけられるべきではありません。ナショナリズムが激突した二十世紀の再来を望まないのは、むしろ靖国神社の祭神かもしれません。今日、A級戦犯の汚名を着せられいる人たちの中には、中国革命の父・孫文を敬愛し、民族主義を排して、日中の提携を追求した人がいることを、小沢氏もご存じのはずです。

 靖国神社は戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則だ、というお考えも、靖国神社の歴史への認識不足といえるでしょう。

 明治の時代ならいざ知らず、総力戦の時代に戦闘員と非戦闘員とを区別することは困難です。ましてあの戦争では日本本土が戦場となりました。戦闘員ではない樺太・真岡の女性郵便局員やひめゆり部隊を殉国者と認めたのは日本政府自身なのではありませんか。その背後には国民の強い意思があり、だからこそ靖国に祀られている、その歴史を小沢氏は否定されるのでしょうか。

 小沢氏は、リーダーとしての信念があるなら、天皇参拝への環境を整えるべきだ、とも書いていますが、どのようにすれば環境が整うとお考えなのでしょうか。小沢氏のように、慰霊と歴史批判を混同しているあいだは、天皇参拝への道はけっして整うことはないでしょう。
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