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「私が悪いのだ」と嘆かれた昭和天皇 [昭和天皇]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です


 じつに総額17億円にも達する岐阜県庁の裏金問題で、弁護士で組織する「プール資金問題検討委員会」が調査結果と提言をまとめ、知事に提出しました。
 http://www.pref.gifu.lg.jp/contents/news/release/H18/z00000650/index.html

 ぜんぶで55ページにおよぶ報告書によると、平成6年度以前は県組織のほぼ全体で不正な経理が行われ、資金の捻出が行われていたようです。その背景には、官官接待費や備品購入など、正規の予算には計上できないけれども、どうしても必要と考えられる費用があり、捻出が求められた、とされています。予算使い切り主義のシステム上の問題も指摘されています。

 報告書は「再発防止に向けての提言」で、「不適正資金づくりを担っていた一般職員のみならず、これを隠そうとした幹部職員の倫理意識は非常に大きな問題である」「職員全体に遵法意識、税金が県民の血と汗の結晶であるとの意識が希薄であることをうかがわせる」と指摘しています。

 倫理観が地に墜ちた岐阜県庁のスキャンダルから、私は昭和天皇の逸話を思い出しました。戦前と戦後、侍従長として仕えた木下道雄が『新編宮中見聞録』に紹介している戦前の逸話です。

 昭和の初め、汚職事件の渦中にある高官の起訴について天皇の裁可を求める上奏書を持って内閣書記官があわただしく駆けつけてきました。一刻を争う首相からの上奏書でしたが、昭和天皇は司法大臣の起訴理由書をくり返しご覧になるばかりで、裁可されません。

 しばらくしてようやく天皇は裁可の印を捺されました。書類を受け取り、部屋を辞する木下に天皇は語られたのでした。「私が悪いのだよ」。

 のちに昭和天皇はよく晴れた夕暮れ、天を仰ぎつつ、木下にたずねられました。「どうすれば政治家の堕落を防げるであろうか。結局、私の徳が足りないから、こんなことになるのだ」。

 昭和天皇は罪を犯した官僚を憎むのではありません。汚職がはびこる世の中を憂い、悲しみ、ご自身を責めておられていたというのです。

 そのような昭和天皇であればこそ、「戦争責任」を誰よりも強く意識されていました。生涯、身を引き裂かれるほどの責任を痛感され、ご自身を責め続けられたようです。昭和天皇が最後まで推敲を重ねてやまなかったのは、「身はいかになるともいくさとどめたりただ倒れゆく民をおもひて」だといわれます。

 絶対権力を振るうヨーロッパの王とは異なり、天皇は祭祀王といわれます。みずからの穢れ(けがれ)を祓いに祓って、祭祀を厳修し、皇祖のご神意を聞き、神に近づこうとする、それが天皇の政治だとされます。昭和天皇はつねに国のため、民のために祈る天皇のおつとめを生涯、貫かれたのでしょう。 

 そのような昭和天皇像からすると、A級戦犯合祀に不快感をいだき、参拝をやめた、と解釈されている先の富田長官メモは、信憑性を疑わざるを得ないのです。

 もしメモに書かれている発言が本物だとして、その場に居合わせたのが富田長官ではなく、木下侍従長だったら、どうだったでしょう。最晩年のお言葉を耳で聞いて、ただメモを書きとどめるだけだったのか、それとも「陛下のお言葉とは思えません」と諫言申し上げたでしょうか。

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