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マスコミがミスリードする靖国問題 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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 先週、靖国神社では秋の例大祭が行われました。

 その初日の夜、中国共産党の王家瑞対外連絡部長は、民主党の小沢代表と会談し、安倍首相の靖国参拝について、「強く反対することに変わりはない」「原理原則をつらぬく」「参拝を続けるなら、重大な問題となる」と語った、と日本の新聞が伝えています。

 記事はきわめて断定的ですが、どんな取材をもとにそのような断定をしているのでしょう。まさか記者が同席したはずはありません。

 王家瑞氏は日中与党交流協議会に出席するために来日しました。共同通信の報道によれば、16日に始まった協議会の席上、王家瑞氏は先の首脳会談で日中首脳が「戦略的互恵関係」で合意したことをふまえ、「歴史認識問題を外交圧力にかけるカードには使わない」言明しています。公明新聞は「中日関係は歴史的な転換点にある。歴史の強調は恨み続けるためでも、歴史カードでもない」と強調したと伝えています。

 となると、新聞報道がすべて正しいとすれば、王家瑞氏は、いわゆる歴史問題について、与党と野党で二枚舌を使ったことになりませんか。いくらなんでも、そんな事実はないでしょう。小沢代表との会談での「発言」は、野党の政治戦術によるリークであって、それに乗った日本のマスコミのミスリードなのではありませんか。

 先般のブログでも申し上げましたように、対日重視派と強硬派との権力闘争の終息化とともに、中国問題としての靖国問題は急速に後景化しつつあります。何の意図があって、二枚舌を用い、問題をぶり返すような発言を王家瑞氏がしなければならないのでしょうか。

 こうした記事を書く記者は、一枚岩の中国が靖国問題にこぞって反対している、という先入観からいつまでも抜け出せず、胡錦涛政権発足後、中国の対日重視派と強硬派とが靖国参拝を政争の具として熾烈極まる政争を展開しているという大状況が見えないでいるのではありませんか。

 小泉首相と胡錦涛主席の首脳会談が最初に行われたのは平成14年5月で、小泉首相の靖国神社参拝の4カ月後でしたが、胡錦涛主席は、日本のマスコミの予想を裏切り、靖国参拝に触れることもなく、日中関係を戦略的に重視する「新外交」路線を表明したのですが、日本の報道は相変わらず相互訪問が断絶している「異常さ」にばかり注目しました。

 一昨年の全人代でも、温家宝首相は記者会見で「中国首相、靖国参拝を強く批判」したなどと伝えられていますが、その実態は、温家宝首相がみずから小泉参拝を批判したのではなくて、日本人記者の質問に答えたにすぎません。日本のマスコミが批判をあおっているという図式です。

 かつてないほどに両国関係が緊密ないま、「反日」が一文の得になるはずもなく、胡錦涛政権が「反日」江沢民時代の負の遺産を清算し、両国関係の改善に進むのは当然です。そうした中国側のサインが理解できず、逆に足を引っ張ってきたのが日本の報道ではなかったでしょうか。

 胡錦涛政権の新外交路線は、強硬派の攻撃によって1年足らずで挫折しますが、日本のマスコミは結果として強硬派を援護射撃しています。じつに愚かです。

 ミスリードは続いています。先週の例大祭に関しても、新聞各紙は、例大祭に集団で参拝する国会議員の数を大きな写真入りで伝えていますが、何を目的としているのでしょうか。

 イギリスでは11月の戦没者追悼記念日に政府主催の式典が行われ、国王、政府関係者、退役軍人が参列し、宗教儀式が行われます。韓国では6月の顕忠の日に首相直属の機関が主催して、国を挙げて戦没者を追悼します。

 ところが、日本では国民的追悼施設として歴史的に認められてきた靖国神社に首相が参拝することすら、問題視されています。

 ジャーナリズムが問題提起すべきなのはむしろ、戦後60年、靖国神社の慰霊・追悼に国家が主体的に関われなかったことではないのでしょうか。先週の例大祭に参列した国会議員は見当たりません。

 朝日新聞は、例大祭のあいさつで、南部宮司が富田メモについて触れ、「信憑性の確立していないなか、一方的に昭和天皇のお言葉と断定し、政治利用する意図的な報道で残念」と述べたと伝え、A級戦犯「分祀」論についても「見当違いの空論」と述べている、と批判的です。

 公正な批判は歓迎すべきですが、これは一方的です。

 いわゆるA級戦犯の合祀は、平和条約発効後、世論の支持を受け、日本政府が東京裁判の刑死者などを一般戦死者と同様に戦没者と認めたことが発端です。一座の神として合わせ祀られているものを「分祀」できるはずもありません。

 また、富田メモの報道には「天皇の心」に関する致命的な誤解がありませんか。いわゆる大御心(おおみこころ)とは天皇個人の「私の心」ではなく、時間を超えて、「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈られる天皇の御心にほかならないでしょう。天皇統治は統治者個人の心を聖なるものと絶対視する個人崇拝とは異なるのではありませんか。

 メモ報道で日本新聞協会賞を受賞した日経新聞は、16日の日曜、紙面を大きく割いて、受賞について伝えていますが、その中で注目されるのが富田未亡人の談話です。元宮内庁長官の人柄について、夫人は「人に話させるのはうまかった。陛下がいろいろお話になったのも、富田の資質ゆえかも知れません」と語っています。

 聞き上手の富田氏は、晩年の昭和天皇の話し相手になり、ふつうはお話にならない個人的思い出話を聞き出した、ということはあり得るのでしょう。けれども、お好きな力士の名前さえお話にならなかった昭和天皇に「本音」を語らせた元警察官僚の能力は非凡ではあるにしても、それはあくまで一瞬の個人的感慨に過ぎません。

 真の藩塀ならば、お話をメモに記録より、むしろ「陛下のお言葉とも思えません」とお諫めすべきでしょうが、そのようなことを警察官僚に期待するのは酷というものでしょう。協会賞受賞を誇る新聞人もまた同様でしょうか。
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