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殉職自衛官追悼式に参列した安倍首相 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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殉職自衛官追悼式に参列した安倍首相
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 先月28日、防衛庁の慰霊碑地区(メモリアルゾーン)で自衛隊殉職自衛隊員の追悼式が行われました。安倍首相、久間防衛庁長官、遺族ら330人が参列し、安倍首相は「尊い犠牲を無にすることなく、遺志を受け継ぎ、新たな脅威に対処するため全力を尽くす」と追悼の辞を述べ、献花した、と伝えられています。

 防衛庁の資料によると、今年度の追悼式の「顕彰者数」は12柱。高速走行の訓練中に大型トラックに追突され、死亡した2人など、訓練中の殉職者が対象となり、名簿が碑前に安置され、「捧げ銃」「拝礼」「黙祷」が捧げられたようです。

 ご存じのように、いま防衛庁がある市ヶ谷台は、明治以来、陸軍士官学校があり、昭和になって陸軍省・参謀本部が置かれました。戦後、昭和34年に米軍から返還されたあと、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地として使われ、防衛庁が六本木から移転してきたのは6年前です。

 慰霊碑地区の中心をなしていたのは、以前は雄健神社で、陸軍士官学校出身の戦没者がまつられていました。戦争中に御霊(みたま)は遷され、戦後、昭和31年には靖国神社で昇神祭が行われたようです。いまも榊と水が供えられていますが、正確にいえば雄健神社跡ということになります。

 警察予備隊設立以来の殉職者を対象とする追悼式典は昭和32年以来、庁内の講堂などで行われ、式典後、慰霊碑に参詣するのが恒例だったとされています。歴代首相の出席は32年に岸首相が参列したあとは、37年に池田首相、63年に竹下首相と断続的でしたが、平成7年の村山首相以降は毎年、首相が参列しています。

 「慰霊碑地区」整備の検討が始まったのは森政権時代で、その結果、戦没者をまつっていた雄健神社の社殿は大きく移動され、殉職者をまつる慰霊碑を中心とするメモリアル・ゾーンができあがり、平成15年10月、追悼式典が大々的に行われるようになり、小泉首相、石破長官、遺族ら300人が参列した、と伝えられています。

 職務に殉じた自衛官を慰霊・追悼することは当然ですが、この追悼式は殉職者慰霊からの逸脱が当初から指摘されてきました。

 たとえば、メモリアル・ゾーンはあくまで平時の事故などによる殉職自衛官が対象のはずですが、式典に参列した石破長官は、アメリカの戦没者が眠るアーリントン墓地に言及し、「諸外国に引けを取らない立派な追悼の場を有するに至った」と挨拶しています。

 このため、あたかも戦時の殉国者の慰霊施設であるかのような誤解を内外に呼び、要人が立ち寄れる恒久施設へと制度化されることに危惧の念が表明されてきたのです。

 事実、15年11月にはアメリカのラムズフェルド国防長官が、16年2月には東チモールのグスマン大統領が慰霊碑に献花するなど、海外の要人の表敬がしばしば見受けられます。

 この一方で、あくまで明治以来、国家の非常時に命を捧げた戦没者に対する慰霊・追悼施設として歴史的に機能してきたはずの靖国神社は、首相の表敬参拝さえ批判を浴びています。理不尽というほかはありません。
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