SSブログ

参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる [女帝論]

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
参考にならないヨーロッパの「女帝論議」
──女王・女系継承容認の前提が異なる
(「神社新報」平成18年12月18日号から)
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

koukyo01.gif
 スペイン王室は(平成18年)11月末、レティシア王太子妃が来春に出産する予定の第2子が「女子である」と発表しました。もし男子なら、「男子優先」を定める憲法の規定により、第1子のレオノール王女の王位継承権を「飛び越す」ことになるため、懐妊発表後から女帝論議が白熱化していた。そこで論議の加熱を防ぐため、誕生前の性別発表に踏み切った、と伝えられます。

 新聞報道によると、世界中で女帝容認論議が起きていて、まるで女帝容認・女系継承容認が世界的な当然の流れであるかのように見え、ひるがえって日本の女帝容認を促す思惑さえ感じられます。

 しかし王位継承はそれぞれ各国固有の歴史・伝統と不可分な個性があって、その違いを見定めずに表面的事実を伝える報道は公正ではありません。結論からいえば、ヨーロッパの女帝論議は日本にとって参考になるとは限りません。女子およびその子孫に王位継承を認めてきた前提、あるいは認めるようになった前提が日本の皇室の歴史・伝統と相容れないからです。


▢ 父母の同等婚

 ヨーロッパの王室の歴史をひもとくと、古来、女王容認かつ男子優先の継承制度を採用してきた国ともっぱら男子の継承を固守している国の二つのタイプがあります。

 イギリスやスペインは前者に属しますが、女子に継承する場合には、二つの大原則があります。すなわち父母の同等婚と王朝の交代です。

 たとえば、イギリスでは20世紀初頭、ヴィクトリア女王のあと長男のエドワード7世が即位しました。このとき18世紀から続くハノーヴァー朝は幕を閉じ、女王の王配(配偶者)であるザクセン=コーブルク=ゴータ家のアルバート公にちなみ、ハノーヴァー=サクス・コバータ・ゴータ朝に王朝は交替しました。

 このように王朝を交替しながらも、女系子孫に王位を継承していくことを可能にしているのは、父母がともに王族だからです。つまり女系継承というよりも新たな父系継承の始まりです。

 ここが日本の皇室とは決定的に異なります。

 日本は父母の同等婚を要求しないかわりに、父系の皇族性を厳格に求めてきました。歴史上の女帝は皇太子の存在を前提とし、寡婦または独身を貫かれ、その子孫に皇位が継承されることはありませんでした。

 天皇は万世一系の祭り主で、悠久なる古代から永遠の未来へ続く生命観が信じられてきました。一方、ヨーロッパの王室は地上の支配者です。複数の王族を前提とする継承制度は参考になりようがありません。

 スペインの事例はさらに参考にできません。

 イギリスと同様、女子の継承が伝統的に認められてきたこの国は、いま男子優先を改め、男女同等の王位継承制度への移行が論議されています。それが日本にとって参考にならないのは、イギリスのように同等婚と王朝交替の原則を前提としていることに加えて、20世紀にスペイン王室が経験した波乱の歴史に伴って、王位継承の原則がいまや崩れているからです。

 現国王ファン・カルロス1世の祖父アルフォンソ13世は第2王制の国王でしたが、第一次世界大戦後の混乱のなかで1931年に退位し、王家一族はローマに亡命しました。スペインは共和制、内戦を経て、39年にはフランコ独裁政権が成立します。

 13世の死の直前、王位継承権は3男のバルセロナ伯爵ファン王に譲られました。ファン王の子として生まれたファン・カルロスは第二次大戦後、スペインに帰国し、フランコの庇護を受けました。

 75年にフランコが死去すると、その遺言に従って即位し、王制が復活しましたが、国王はフランコ体制を継承することはなく、民主化を進め、77年に41年ぶりの総選挙が実施され、翌年には新憲法が制定され、立憲君主制が布かれました。

 78年憲法では、王位はブルボン家カルロス1世の後継者が世襲すると明記され、長子相続、代襲相続、男子優先の原則が定められています。フランコ時代の国家元首継承法は女子の継承権を認めませんでしたが、78年憲法は「男子が女子に優先する」と規定し、女子の継承容認を明記しています。

 それは女王容認に踏み出したのではなく、伝統への回帰といえますが、女系継承の前提である同等婚原則はその後、崩れようとしています。

 つまりスペイン第2王制最後の王アルフォンソ13世の王妃はイギリス・ヴィクトリア女王の孫娘で、現国王ファン・カルロス1世の王妃はギリシャ王パウロス1世の王女。けれどもレティシア王太子妃はテレビキャスター出身であり、王族ではありません。

 スペインのマスコミは男子優先主義の見直しを話題にしています。王太子妃が昨年(2005)10月に長女レオノール王女を出産したときも、今年9月に妊娠が発表されたときも、女帝論議が沸騰し、政権与党の社会労働党は「男女平等」の観点から性別に関係なく、第1子に王位を継承する憲法改正を優先課題に取り上げています。

 しかし同等婚原則が崩れたままに、王位が王女からその子孫へと継承されるなら、王位継承の根本的変革になることは間違いありません。歴史と伝統を重視する立場としては、参考にしようがありません。


▢ 選挙君主制

 ヨーロッパの女帝論議が日本の参考にならないのは、もう一つの理由があります。ヨーロッパの王制改革には国民の意思が強く働いています。それは日本とは異なり、国民が継承者を決める独自の伝統が底流にあるからです。

 イギリスやスペインとは異なり、北欧では王位の男子継承が長い間、固守されてきました。女子の継承が認められたのは20世紀後半であって、一般には民主主義が成熟した結果と見られています。けれどもそれだけではありません。

 たとえば前世紀、最初に女子の王位継承容認に踏み切ったスウェーデンでは、世襲的絶対王制が成立する16世紀以前、自由民が前国王の王子のなかから新国王を選挙で選ぶ「選挙君主制」が定着していました。

 その長い伝統の上に立って、国民みずからの意思により、女子の継承を容認する王制改革が敢行され、75年の統治法典および王位継承法の改正で女子の継承が認められ、さらに79年の王位継承法改正で男女にかかわらず第一子が継承すると改められたのです。

 これは伝統を脱ぎ捨てたのではなく、伝統に従ったのです。

 その後塵を拝して、オランダは83年に、ノルウェーは90年に、ベルギーは91年に憲法を改正し、男女同等の継承制度へと移行しました。

 しかし日本には選挙君主制の伝統はありません。皇位は皇祖神の神意に基づき、御代替わりを重ねつつ、地上に蘇り、継承されると信じられてきたのであり、皇位の継承は本来、国民が口を差しはさむべきことではありません。

 ヨーロッパの女帝論議が参考にならないのは明らかです。(参考文献=『小嶋和司憲法論集2』、参議院憲法調査会事務局編「君主制に関する主要国の制度」、下條芳明『象徴君主制憲法の二十世紀的展開』など)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。