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「東条が祀られているから参拝しない」 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年12月20日水曜日)からの転載です

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「東条英機が祀られているかぎり、靖国神社に参拝しない」

 久間防衛庁長官が、イザベル・レイノルド記者のインタビューに答えて、そのように語ったというロイター通信配信の記事を、台湾のチャイナ・ポストやフィリピンのガルフ・タイムズ、アメリカのサンディエゴ・ユニオン・トリビュート紙などが掲載しています。

 記事によると、先の戦争にもっとも責任がある東条が祀られている神社で拝礼するのは私には困難だ。神社側に東条の名前をはずすよう求めたが、神社側は困難だといわれた、などと久間長官は語ったようです。

 もしこれが事実だとすれば、まったくの思い違いです。

 何度もこのブログで書いてきたように、靖国神社は戦争犯罪を神聖視しているわけでもないし、戦争犯罪人を神とあがめているわけでもありません。東京裁判の被告となったA級戦犯28人のうちの14人を祀っているのは、日本政府が14人の死を公務死と認めたからです。

 靖国神社は、国の非常時に、私を去って公に殉ずる精神を神と考えているのであって、東条という人間を神だと考えているわけでもありません。

 神社側が「東条の名前を外すのは困難」と答えたのは、靖国の神は一座の神であって、部分的に合祀を取り下げることなどできないからです。いったん神として祀ったものを、人間がどうして取り下げることができるでしょうか。たとえば霊璽簿の名前を抹消したところで何の意味も持たないでしょう。

 もし日本政府として合祀に問題があると考えるなら、講和条約発効後、世論の圧倒的な支持と国際社会の決定により、戦犯者が赦免・減刑された歴史を否定し、戦犯者の刑死・獄死を公務死と認めて遺家族を援護してきた日本政府の政策を否定しなくてはなりません。それがものごとの順序ではないでしょうか。

 殉国者を認定できるのは国以外にはありません。戦犯者の合祀は神社が勝手に行ったことではないのです。

 久間長官が靖国参拝に対する個人的違和感を表明していることにも問題があります。公人の参拝は個人の意思で行われるべきものではないからです。「東条が祀られているかぎり……」などいう発言は公人としてはまったく不適当です。
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