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大聖堂で行われるフォード元大統領の葬儀 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年12月31日日曜日)からの転載です

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大聖堂で行われるフォード元大統領の葬儀
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 先日亡くなったフォード元大統領の遺体がワシントンに運ばれ、アメリカ議会の議事堂に安置されました。追悼のミサは年明け2日にワシントン・ナショナル・カテドラルで行われる、と伝えられています。

「政教分離」原則の本家本元といわれ、国家と教会の厳格な分離政策が貫かれていると一般には考えられているアメリカですが、国家的行事はこのようにきわめて宗教的に行われています。

 2年前のレーガン元大統領の国葬もやはりワシントン、ナショナル・カテドラルで行われ、歴代大統領や政府関係者、日本の中曽根元首相をふくむ内外の代表者、キリスト教のほかイスラム、ユダヤ教の指導者などが参列しました。

 同カテドラルはイギリス国王を首長とするイギリス国教会の大聖堂ですが、「全国民のための教会」と位置づけられ、しばしばホワイトハウスの依頼で大統領就任式や9.11同時テロ追悼式などの国家的儀礼が行われています。

 ひるがえって日本はどうでしょうか。

 アメリカでは元首たる大統領の国葬が教会でミサとして行われるのに対して、日本の公的慰霊式は往々にして宗教家や宗教儀礼が排除されています。アメリカでは自国の宗教伝統を尊重した上で宗教政策が推進されているのに対して、日本ではまるで無神論者のように、とりわけ民族宗教たる神道にとってはきびしい宗教否定政策が追求されているようです。

 日本のキリスト教指導者たちは厳格な政教分離主義の立場に立ち、首相の靖国参拝などに猛反対しています。キリスト者たちは、現憲法が定める政教分離主義は戦前の反省から生まれた、と理解し、政教分離違反は暗黒の時代への逆戻りだと主張します。

 しかしこの歴史理解はまったくの間違いです。戦前の方が公正な政教分離政策がとられていたからです。

 たとえば大正12年の関東大震災のあと、東京府・市は追悼式を行うのですが、宗教者も宗教儀礼も排除されました。「国家が宗教に干渉するのは世界の大勢にもとる」というのが行政の基本姿勢で、神道も仏教も一律に排除したのです。そのため反宗教的な行政とこれに反発する軋轢が表面化し、事件さえ起きています。

 そもそも宗教に関する基本法規さえありませんでした。新宗教法の制定は以前からの懸案であったにもかかわらず、手付かずのまま放置され、明治初年の太政官達(たっし)を援用して、弥縫策を講じるというありさまだったのです。

 日本宗教史上、節目となる宗教団体法がやっと成立したのは昭和14年のことでした。この法律は治安維持法とともに、戦前・戦中の宗教弾圧を象徴する元凶のように見なされ、敗戦直後、占領軍によって廃止されましたが、その審議過程ではイスラム公認運動がわき上がり、神道・仏教・キリスト教の三教体制に加えて、きわめて少数派であるはずのイスラム教が事実上、公認されてもいます。

 敗戦後、占領軍は神道指令を発し、宗教と国家の分離を図りましたが、これこそが政教分離主義のスタートであるかのように考えるのは間違いです。

 また、占領後期になると占領軍は神道指令の条文解釈を変更しました。当時、占領軍の宗教政策に直接関わっていたウッダードはのちにこう書いています。

「神道指令は(占領中の)いまなお有効だが、『本指令の目的は宗教を国家から分離することである』という語句は、現在(占領後期)は『宗教教団』と国家との分離を意味するものと解されている。『宗教』という語を用いることは昭和20年の状況からすれば無理のないところであるが、現状では文字通りの解釈は同指令の趣旨に合わない。
 ……アメリカの世論は非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しないだろう。アメリカでは明らかに宗教と国家との間に密接な関係がある」

 宗教と国家の分離ではなく、宗教教団と国家との分離に解釈が変更され、宗教否定の政策との決別が行われたのです。

 であればこそ、昭和26年5月、みずから被曝しながらも医師として最後まで被爆者の救援に当たったカトリック信徒・永井隆博士の葬儀は、長崎市葬として浦上天主堂で営まれました。ミサに次いでローマ教皇、吉田首相などの弔電が読み上げられ、正午にはアンゼラスの鐘をはじめとして、市内にはサイレンや寺院の鐘までがいっせいに鳴り響き、市民は黙祷を捧げたのです(同年5月15日づけ朝日新聞)。

 けれども、戦前のような無宗教主義と決別したはずの日本の宗教政策は今日、きわめていびつです。 

 終戦記念日の戦没者追悼式はあくまで無宗教です。しかし、東京都慰霊堂では仏式の法要が春と秋に行われ、皇族や都知事が参列し、焼香します。神戸では阪神大震災10周年の追悼式でモーツアルトの「アベ・ベルム・コルプス」が歌われました。政教分離といいながら、仏教やキリスト教は認められているのです。

 その一方で、首相が靖国神社に参拝することや公有地内に神社の祠がおかれているのは憲法違反だと騒ぎ立てられています。これは厳格な政教分離主義が貫かれているのではなく、むしろ国の宗教政策に一貫性がない、ということなのではありませんか。

 さて、今年のブログはこれで終わりです。どうぞ良いお年を。
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