国葬を行う非宗教的政教分離の国フランス [政教分離]
以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年1月24日水曜日)からの転載です
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国葬を行う非宗教的政教分離の国フランス
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フランスのシラク大統領は、先日、亡くなった慈善運動家・ピエール神父の国葬をパリのノートルダム大聖堂で行うことを発表した、と伝えられます。
フランスは大革命以来、「聖」と「俗」を厳格に区別し、公共の場からすべての宗教を排除し、私的空間では信仰の自由を保障する非宗教的世俗国家を築き上げてきましたが、そのフランスが宗教家の葬儀を国葬という形式で、しかも教会という宗教施設で行うというのです。
さすがは「カトリックの長女」といわれるフランスです。王権を打倒し、カトリックを国教から引きずり下ろしたはずのフランスであっても、自国の宗教伝統をいかに大切にしているかが分かります。
ひるがえって、日本はどうでしょうか。
日本は現憲法下にあってもフランスのような非宗教的世俗国家を目指しているわけではありません。たとえば、占領中の宗教政策を担当したGHQ職員のウッダードは、政教分離について、宗教教団と国家の分離を意味する、宗教と国家の分離というような非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しない、アメリカでは明らかに宗教と国家の間に密接な関係がある、とのちにある論攷に書いています。
日本はこのアメリカ型の政教分離主義を採用してきたはずです。
であればこそ、占領後期、貞明皇后の御大喪はおおむね皇室の伝統にしたがって行われたし、有名なカトリック信徒であった永井隆博士の葬儀は長崎市葬というかたちで浦上天主堂で行われました。
ところが近年は、国家の宗教との完全分離主義を、ほかならぬ宗教家自身が主張しているようです。
たとえば昨年、日本カトリック司教協議会、社会司教委員会は信教の自由と政教分離をテーマとする3冊の冊子をまとめました。この発行に当たって、社会司教委員会の代表である長崎教区の大司教は、政教分離とは国家と宗教団体との分離だとした上で、概要、次のような前書きを書いています。
──日本のカトリック教会は数世紀にわたって弾圧を受け、その状況は1945年まで続いた。憲法の政教分離原則は天皇中心の国家体制が宗教を利用して戦争に邁進したという過去の歴史の反省を踏まえたものである。ところが、昨今の憲法改正論議では政教分離原則があいまいにされようとしている。過去の歴史を繰り返さないためにいっしょに学びたい。
ここには重大な事実誤認が見られます。近世と近代、戦中ではそれぞれキリスト教が置かれた状況は異なるはずです。
近世のキリシタン迫害はなぜ起きたのか。大航海時代の世界宣教には、ポルトガルとスペインによる武力征服の隠れた目的があり、正視に耐えないキリシタン迫害の背後には南蛮貿易を独占しようとしたプロテスタント国オランダのポルトガル追い落とし工作がありました。
島原の乱ではオランダはキリシタンが立てこもる原城に大砲を放ち、幕府がポルトガル船の渡航を禁止したとき、バタビアのオランダ総督府では盛大な祝賀会が催されたといわれます。
近代日本の宗教政策は、国家は宗教に干渉せず、が基本で、宗教に関する基本法さえありませんでした。明治以降、キリスト教の弾圧どころか、日本がヨーロッパのキリスト教文化を積極的に受け入れた典型例は皇室に見ることができます。
たとえば天皇皇后と併称されるのは明らかにヨーロッパ王室の影響でしょう。ひな祭りの男びな・女びな、つまり親王びなは明治以後、左右の位置が変わりました。喪服も以前は白でしたが、西洋の影響で黒に変わりました。黒の喪服を浸透させたのは、驚くなかれ、靖国神社招魂祭の参列だといわれます。
昭和期の神社参拝強制の典型例としてしばしば持ち出される昭和7年の上智大学生靖国神社参拝拒否事件でさえ、上智大学の年史に記録されている当時の関係者の証言では「迫害」とは似ても似つかぬものであったことが分かります。
となると、大司教様の歴史認識はまったくの誤りということになってしまいます。
昨今の憲法論議に関連して、大司教様は、「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超える」場合の国の宗教教育その他宗教的活動を禁止する、と改める自民党の憲法改正案を批判し、儀礼や習俗の範囲でなら国が宗教に不当介入する可能性を危惧しています。
しかし、これには教会の足下から異論が呈されています。先般の教育基本法改正に関して、ある信徒は、宗教教育の導入に関心を示さないのは宗教家として恥ずべきことではないか、公教育での宗教教育がタブー視され、結果的に宗教音痴の日本人を大量に創り出してしまったことにキリスト者は責任を感じるべきだ、という異議申し立ての文書を提出しているほどです。
もし大司教様が、社会的儀礼や習俗的行為としての国の宗教的活動をも禁止すべきだ、とお考えなら、それは政教分離原則を国家と宗教団体との分離ではなく、政治と宗教とを分離することと解釈することであって、大司教様がおっしゃっている議論の前提と矛盾するでしょうし、非宗教的世俗国家を目指すことを憲法に明記しながらも、ピエール神父の国葬をカトリックの教会で行うフランス以上に、無神論的政教分離主義を標榜することになり、大司教様ご自身の信仰とも矛盾するのではないでしょうか。
いま問われているのは、国家の宗教政策ではなくて、宗教家自身の宗教心なのではないか、とさえ感じられます。
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国葬を行う非宗教的政教分離の国フランス
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フランスのシラク大統領は、先日、亡くなった慈善運動家・ピエール神父の国葬をパリのノートルダム大聖堂で行うことを発表した、と伝えられます。
フランスは大革命以来、「聖」と「俗」を厳格に区別し、公共の場からすべての宗教を排除し、私的空間では信仰の自由を保障する非宗教的世俗国家を築き上げてきましたが、そのフランスが宗教家の葬儀を国葬という形式で、しかも教会という宗教施設で行うというのです。
さすがは「カトリックの長女」といわれるフランスです。王権を打倒し、カトリックを国教から引きずり下ろしたはずのフランスであっても、自国の宗教伝統をいかに大切にしているかが分かります。
ひるがえって、日本はどうでしょうか。
日本は現憲法下にあってもフランスのような非宗教的世俗国家を目指しているわけではありません。たとえば、占領中の宗教政策を担当したGHQ職員のウッダードは、政教分離について、宗教教団と国家の分離を意味する、宗教と国家の分離というような非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しない、アメリカでは明らかに宗教と国家の間に密接な関係がある、とのちにある論攷に書いています。
日本はこのアメリカ型の政教分離主義を採用してきたはずです。
であればこそ、占領後期、貞明皇后の御大喪はおおむね皇室の伝統にしたがって行われたし、有名なカトリック信徒であった永井隆博士の葬儀は長崎市葬というかたちで浦上天主堂で行われました。
ところが近年は、国家の宗教との完全分離主義を、ほかならぬ宗教家自身が主張しているようです。
たとえば昨年、日本カトリック司教協議会、社会司教委員会は信教の自由と政教分離をテーマとする3冊の冊子をまとめました。この発行に当たって、社会司教委員会の代表である長崎教区の大司教は、政教分離とは国家と宗教団体との分離だとした上で、概要、次のような前書きを書いています。
──日本のカトリック教会は数世紀にわたって弾圧を受け、その状況は1945年まで続いた。憲法の政教分離原則は天皇中心の国家体制が宗教を利用して戦争に邁進したという過去の歴史の反省を踏まえたものである。ところが、昨今の憲法改正論議では政教分離原則があいまいにされようとしている。過去の歴史を繰り返さないためにいっしょに学びたい。
ここには重大な事実誤認が見られます。近世と近代、戦中ではそれぞれキリスト教が置かれた状況は異なるはずです。
近世のキリシタン迫害はなぜ起きたのか。大航海時代の世界宣教には、ポルトガルとスペインによる武力征服の隠れた目的があり、正視に耐えないキリシタン迫害の背後には南蛮貿易を独占しようとしたプロテスタント国オランダのポルトガル追い落とし工作がありました。
島原の乱ではオランダはキリシタンが立てこもる原城に大砲を放ち、幕府がポルトガル船の渡航を禁止したとき、バタビアのオランダ総督府では盛大な祝賀会が催されたといわれます。
近代日本の宗教政策は、国家は宗教に干渉せず、が基本で、宗教に関する基本法さえありませんでした。明治以降、キリスト教の弾圧どころか、日本がヨーロッパのキリスト教文化を積極的に受け入れた典型例は皇室に見ることができます。
たとえば天皇皇后と併称されるのは明らかにヨーロッパ王室の影響でしょう。ひな祭りの男びな・女びな、つまり親王びなは明治以後、左右の位置が変わりました。喪服も以前は白でしたが、西洋の影響で黒に変わりました。黒の喪服を浸透させたのは、驚くなかれ、靖国神社招魂祭の参列だといわれます。
昭和期の神社参拝強制の典型例としてしばしば持ち出される昭和7年の上智大学生靖国神社参拝拒否事件でさえ、上智大学の年史に記録されている当時の関係者の証言では「迫害」とは似ても似つかぬものであったことが分かります。
となると、大司教様の歴史認識はまったくの誤りということになってしまいます。
昨今の憲法論議に関連して、大司教様は、「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超える」場合の国の宗教教育その他宗教的活動を禁止する、と改める自民党の憲法改正案を批判し、儀礼や習俗の範囲でなら国が宗教に不当介入する可能性を危惧しています。
しかし、これには教会の足下から異論が呈されています。先般の教育基本法改正に関して、ある信徒は、宗教教育の導入に関心を示さないのは宗教家として恥ずべきことではないか、公教育での宗教教育がタブー視され、結果的に宗教音痴の日本人を大量に創り出してしまったことにキリスト者は責任を感じるべきだ、という異議申し立ての文書を提出しているほどです。
もし大司教様が、社会的儀礼や習俗的行為としての国の宗教的活動をも禁止すべきだ、とお考えなら、それは政教分離原則を国家と宗教団体との分離ではなく、政治と宗教とを分離することと解釈することであって、大司教様がおっしゃっている議論の前提と矛盾するでしょうし、非宗教的世俗国家を目指すことを憲法に明記しながらも、ピエール神父の国葬をカトリックの教会で行うフランス以上に、無神論的政教分離主義を標榜することになり、大司教様ご自身の信仰とも矛盾するのではないでしょうか。
いま問われているのは、国家の宗教政策ではなくて、宗教家自身の宗教心なのではないか、とさえ感じられます。
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