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ビッテル小父さんの「2つのJ」 [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年2月13日火曜日)からの転載です

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「ビッテル小父さん」というのは、カトリック神父(上智大学教授)だったブルーノ・ビッテル師のことです。親しい大学の関係者は師をそのように冗談めいて呼んでいた、と『上智大学史資料集』(1〜5巻、補遺、平成5年、非売品)の「先哲」の章に記されています。

 ビッテル神父は占領期、靖国神社を焼却処分から救った人として知られています。昭和20年、遊就館の業務が停止し、神社の焼却が噂されていたころ、招魂祭を1カ月後にひかえた10月中旬、マッカーサーの覚書が師のもとに届きました。そのころ師は教皇使節代行をつとめていました。

「司令部の将校たちは靖国神社の焼却を主張している。同社焼却に賛成か否か、速やかに使節団の統一見解を提出されたい」

 師はバーン管区長ら数人の神父と意見を交換し、次のような結論を出しました。

「いかなる国家も、国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。
 もし靖国神社を焼き払ったとすれば、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となってのころだろう。神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源だというなら、排除すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。
 いかなる宗教を信仰するものであれ、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを進言する」

 こうして靖国神社は守られたのです。

『資料集』によると、師は1898年、ドイツに生まれました。父親は裁判官でした。第一次大戦に召集されて西部戦線で戦い、イギリス軍の捕虜となりました。送還されたのち、オランダのイエズス会の修練院に入りました。

 資金調達の非凡な才能が認められ、上智大学の新校舎建設などのため資金獲得キャンペーンに尽くし、募金のためにアメリカを行脚して、183,000ドルを集めたといわれます。ところが株式の暴落で建設資金のローンすら得られない。それでも行動の人であった師はけっして引き下がることはありませんでした。

 神戸に六甲学院を設立するという新たな任務もありました。外国をまわり、「日本精神」を語り、ようやく開校にこぎ着けたのもつかの間、数カ月後には台風が校舎をおそいます。がれきの山で

「もうここは諦めた方がいいのではないか」

 と嘆息する同僚に、

「何をいう。これからだ」

 と不屈の闘志を燃やすのでした。そして、師はドイツ人の身ながら、日米開戦前夜のアメリカで、資金と資材を手に入れ、六甲学院を竣功させたのです。日米開戦の回避に努力したともいわれます。

 その後、上智大学の歴史のなかでもっとも困難な戦時中に上智大学イエズス会の院長となり、空襲のたびに焼夷弾の消火に当たり、学舎を守りました。

 そして戦後は占領軍と日本人の仲介者となりました。教皇特使マレラ大司教は師を代理人とし、マッカーサーは師に教会の代理人の権限を与えました。占領軍は靖国問題のほか、天皇制の存続について意見を求められたといわれます。

 師には、内村鑑三のいう「2つのJ」(Jesus と Japan)が生きていたのでしょう。それは

「行って万民に教え、洗礼を施せ」

 という宣教の使命に燃えていたからにほかならないでしょう。

 ひるがえって今日、教会指導者たちが、歴史的根拠も不十分なまま、憲法を盾に靖国神社を政治的に批判しているのは、この「2つのJ」が欠けているからではないでしょうか。1つのJが欠けているのか、もしかしたら、2つとも欠けているのか。
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