日本軍の「後ろめたさ」が生んだ慰安婦 [慰安婦]
以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月8日木曜日)からの転載です
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日本軍の「後ろめたさ」が生んだ慰安婦
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アメリカ下院では日系のホンダ議員が提出した慰安婦決議案の審議が続いていますが、これに対して安倍首相が
「決議があっても、われわれが謝罪することはない」
と国会で語ったことが内外に波紋を呼んでいます。
そんな折り、慰安婦問題を深く考えさせてくれる批判的なリポートを知人が送ってくれました。藤永壮・大阪産業大学教授の「植民地公娼制度と日本軍『慰安婦』制度」です。
藤永教授は、朝鮮半島の近現代史が専門で、慰安婦に関する著書が何冊かあります。ここに取り上げるリポートは、文科省の科学研究費の補助を受けて、京都大学の水野直樹教授らのグループが朝鮮・台湾の植民地支配制度を総合的に研究するプロジェクトの一環としてまとめられたもので、早川紀代『戦争暴力と女性3 植民地と戦争責任』(吉川弘文館、2005年)にも収められています。
藤永教授がこのリポートで、くり返し強調するのは「欺瞞性」です。
まず用語の欺瞞性です。
──本質は「軍用性奴隷」であったのに、公文書では「慰安所」、あるいは「酌婦」「特殊婦女」などと呼ばれた。将兵の性欲処理施設に過ぎないことに対する日本軍当局の後ろめたさが生んだ欺瞞的用語である。この欺瞞性は軍独自の発想というよりも、帝国日本の性管理システムに共通していた。
明治初年に、「娼妓解放令」で人身売買の禁止を宣言しておきながら、その後、「売買春」自体は禁止されていない、と解釈され、みずからの意思で「売春」を行う女性が行政の鑑札を受け、同様に鑑札を受けた貸座敷業者が場所を提供する、という欺瞞的な理屈が組み立てられた。
藤永教授が指摘する欺瞞性とは何でしょうか。なぜ軍は後ろめたさを感じたのでしょう。
藤永教授はこう説明します。公娼制度が社会の倫理意識に反している。反文明的である、と自覚し、批判的な考えが政府の内部にあった。反倫理性、反文明性を日本国家が自覚していた。反文明が欧米諸国に察知される可能性がある場合には、「娼妓」という言葉が積極的に避けられ、用語の言い換えが行われた、というのです。
──日露戦争中、欧米人が多数居住するソウルなどでは、「国家の体面」に配慮し、禁止する建前をとられた。日本人私娼が押し寄せてくると、日本領事館はその取り締まりのため、「第二種料理店」と「抱芸妓」という内地の制度を簡略化した公娼制度を導入した。それでも欧米人の目を気にして、「貸座敷」「娼妓」という用語を避けた。この「言い換え」の手法」は満州、上海でも共通している。
こうした「言い換え」が頻繁に行われたのは、欧米諸国に対して「国家の体面」を配慮した結果であり、日本の行政が公娼制度の反倫理性・反文明性を熟知していたことを意味する。「慰安婦」という用語は欺瞞性の最終形態で、その本質が何であるかを日本軍自身が自覚していたことの証明である。
第一次大戦を契機に、朝鮮人接客業者が帝国内を移動するようになり、ネットワークができた。十五年戦争期になると、性管理システムは「慰安婦」動員の装置となった。満州では日本人官僚が朝鮮人女性を「慰安婦」として積極活用するよう指示していた。日本国家は朝鮮人接客婦を「慰安婦」に仕立てていった。朝鮮人接客婦はしばしば暴力的手段で売買された。
このように藤永教授は論理を展開しています。
具体的な行政資料をもとにした研究リポートは説得力がありますが、よく分からないのは、欺瞞的用語の言い換えおよびシステムの原因である「後ろめたさ」の本質です。藤永教授は、欧米に対する国家の体面と説明していますが、官僚たちはなぜ体面を気にしたのでしょうか。
私は二つのことを考えます。ひとつは、そもそも「秘め事」であり、日本人的な感覚で、インテリならなおのこと、直截的な表現が嫌われること。もう一つは、欧米に対する体面というよりも、まさに欧米的な倫理観、つまり性を忌避するキリスト教的倫理観の影響です。近代国家を目指す近代の日本は欧風文化を積極的に導入し、そのことがさまざまな伝統文化とのきしみを生み出しました。その事例のひとつと見ることはできないのでしょうか。
もともと日本の性観念には古来、キリスト教倫理観とは異質の大らかさがあるはずです。男女の結びつきによって新たな命が生まれる。「むすひ」こそ命の根源だという考え方です。
たとえば、千葉大学の江守五夫名誉教授は、日本にはルーツの異なる二つの婚姻形態がある、といいます(『婚姻の民俗』)。ひとつは南方系の一時的訪婚、もうひとつは北方系の嫁入婚です。前者は結婚相手の選択がヨバイなど男女の自由な交遊を通して行われ、後者は男女七歳にして席を同じうせず、結婚相手は家長が決します。
注目したいのはもちろん一時的訪婚です。江守教授は、じつに興味深い同じ民俗学者の瀬川清子・大妻女子大学教授の研究を紹介しています。長崎の五島で、ヨバイに用いられる寝宿をよそ者が侵入するという事件があり、娘宿が廃止されることになりました。別れの会の席で、娘たちは小学校長に食ってかかったそうです。
「娘宿がなくなったら、ヨバイの機会が失われ、結婚相手が見つけられない」。
結局、一年後に娘宿は復活したというのです。
欧米の文明的倫理観念とは異質の性の観念がここにはあります。江守教授は、こうしたヨバイの習俗は明治年間まで実際に求愛、求婚の機能を果たしていた、と指摘しますが、それは言い換えれば、南方系の一時的訪婚が明治以降、急速に廃れていったということを意味します。理由として容易に想像がつくのは、キリスト教倫理観の影響でしょう。明治の欧風化によって、日本人の性の観念がピューリタン的なものにゆがめられていった、ということではないでしょうか。
藤永教授のいう「後ろめたさ」とはそのことでしょう。欧米の倫理を理解できるインテリほど、神経質にならざるを得なかったはずです。藤永教授のリポート全体を流れている厳格な性の観念それ自体がもはやキリスト教的です。売春が、あるいは性奴隷制度が反倫理的であるというより、性の観念それ自体に認識の隔たりがありそうです。
さて、アメリカ下院の「慰安婦」非難決議案は可決の可能性がかなり高い、と伝えられます。民族の基層文化に関わる性の問題について、文化的に異質の国が、しかも議会という政治の場で取り上げるというところに、もともと無理があるのでしょう。しかし基本的文化に関わることだけに、その違いがなかなか認識できない。今回の決議案が日系議員によって提出されているというのは何という皮肉でしょうか。
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日本軍の「後ろめたさ」が生んだ慰安婦
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アメリカ下院では日系のホンダ議員が提出した慰安婦決議案の審議が続いていますが、これに対して安倍首相が
「決議があっても、われわれが謝罪することはない」
と国会で語ったことが内外に波紋を呼んでいます。
そんな折り、慰安婦問題を深く考えさせてくれる批判的なリポートを知人が送ってくれました。藤永壮・大阪産業大学教授の「植民地公娼制度と日本軍『慰安婦』制度」です。
藤永教授は、朝鮮半島の近現代史が専門で、慰安婦に関する著書が何冊かあります。ここに取り上げるリポートは、文科省の科学研究費の補助を受けて、京都大学の水野直樹教授らのグループが朝鮮・台湾の植民地支配制度を総合的に研究するプロジェクトの一環としてまとめられたもので、早川紀代『戦争暴力と女性3 植民地と戦争責任』(吉川弘文館、2005年)にも収められています。
藤永教授がこのリポートで、くり返し強調するのは「欺瞞性」です。
まず用語の欺瞞性です。
──本質は「軍用性奴隷」であったのに、公文書では「慰安所」、あるいは「酌婦」「特殊婦女」などと呼ばれた。将兵の性欲処理施設に過ぎないことに対する日本軍当局の後ろめたさが生んだ欺瞞的用語である。この欺瞞性は軍独自の発想というよりも、帝国日本の性管理システムに共通していた。
明治初年に、「娼妓解放令」で人身売買の禁止を宣言しておきながら、その後、「売買春」自体は禁止されていない、と解釈され、みずからの意思で「売春」を行う女性が行政の鑑札を受け、同様に鑑札を受けた貸座敷業者が場所を提供する、という欺瞞的な理屈が組み立てられた。
藤永教授が指摘する欺瞞性とは何でしょうか。なぜ軍は後ろめたさを感じたのでしょう。
藤永教授はこう説明します。公娼制度が社会の倫理意識に反している。反文明的である、と自覚し、批判的な考えが政府の内部にあった。反倫理性、反文明性を日本国家が自覚していた。反文明が欧米諸国に察知される可能性がある場合には、「娼妓」という言葉が積極的に避けられ、用語の言い換えが行われた、というのです。
──日露戦争中、欧米人が多数居住するソウルなどでは、「国家の体面」に配慮し、禁止する建前をとられた。日本人私娼が押し寄せてくると、日本領事館はその取り締まりのため、「第二種料理店」と「抱芸妓」という内地の制度を簡略化した公娼制度を導入した。それでも欧米人の目を気にして、「貸座敷」「娼妓」という用語を避けた。この「言い換え」の手法」は満州、上海でも共通している。
こうした「言い換え」が頻繁に行われたのは、欧米諸国に対して「国家の体面」を配慮した結果であり、日本の行政が公娼制度の反倫理性・反文明性を熟知していたことを意味する。「慰安婦」という用語は欺瞞性の最終形態で、その本質が何であるかを日本軍自身が自覚していたことの証明である。
第一次大戦を契機に、朝鮮人接客業者が帝国内を移動するようになり、ネットワークができた。十五年戦争期になると、性管理システムは「慰安婦」動員の装置となった。満州では日本人官僚が朝鮮人女性を「慰安婦」として積極活用するよう指示していた。日本国家は朝鮮人接客婦を「慰安婦」に仕立てていった。朝鮮人接客婦はしばしば暴力的手段で売買された。
このように藤永教授は論理を展開しています。
具体的な行政資料をもとにした研究リポートは説得力がありますが、よく分からないのは、欺瞞的用語の言い換えおよびシステムの原因である「後ろめたさ」の本質です。藤永教授は、欧米に対する国家の体面と説明していますが、官僚たちはなぜ体面を気にしたのでしょうか。
私は二つのことを考えます。ひとつは、そもそも「秘め事」であり、日本人的な感覚で、インテリならなおのこと、直截的な表現が嫌われること。もう一つは、欧米に対する体面というよりも、まさに欧米的な倫理観、つまり性を忌避するキリスト教的倫理観の影響です。近代国家を目指す近代の日本は欧風文化を積極的に導入し、そのことがさまざまな伝統文化とのきしみを生み出しました。その事例のひとつと見ることはできないのでしょうか。
もともと日本の性観念には古来、キリスト教倫理観とは異質の大らかさがあるはずです。男女の結びつきによって新たな命が生まれる。「むすひ」こそ命の根源だという考え方です。
たとえば、千葉大学の江守五夫名誉教授は、日本にはルーツの異なる二つの婚姻形態がある、といいます(『婚姻の民俗』)。ひとつは南方系の一時的訪婚、もうひとつは北方系の嫁入婚です。前者は結婚相手の選択がヨバイなど男女の自由な交遊を通して行われ、後者は男女七歳にして席を同じうせず、結婚相手は家長が決します。
注目したいのはもちろん一時的訪婚です。江守教授は、じつに興味深い同じ民俗学者の瀬川清子・大妻女子大学教授の研究を紹介しています。長崎の五島で、ヨバイに用いられる寝宿をよそ者が侵入するという事件があり、娘宿が廃止されることになりました。別れの会の席で、娘たちは小学校長に食ってかかったそうです。
「娘宿がなくなったら、ヨバイの機会が失われ、結婚相手が見つけられない」。
結局、一年後に娘宿は復活したというのです。
欧米の文明的倫理観念とは異質の性の観念がここにはあります。江守教授は、こうしたヨバイの習俗は明治年間まで実際に求愛、求婚の機能を果たしていた、と指摘しますが、それは言い換えれば、南方系の一時的訪婚が明治以降、急速に廃れていったということを意味します。理由として容易に想像がつくのは、キリスト教倫理観の影響でしょう。明治の欧風化によって、日本人の性の観念がピューリタン的なものにゆがめられていった、ということではないでしょうか。
藤永教授のいう「後ろめたさ」とはそのことでしょう。欧米の倫理を理解できるインテリほど、神経質にならざるを得なかったはずです。藤永教授のリポート全体を流れている厳格な性の観念それ自体がもはやキリスト教的です。売春が、あるいは性奴隷制度が反倫理的であるというより、性の観念それ自体に認識の隔たりがありそうです。
さて、アメリカ下院の「慰安婦」非難決議案は可決の可能性がかなり高い、と伝えられます。民族の基層文化に関わる性の問題について、文化的に異質の国が、しかも議会という政治の場で取り上げるというところに、もともと無理があるのでしょう。しかし基本的文化に関わることだけに、その違いがなかなか認識できない。今回の決議案が日系議員によって提出されているというのは何という皮肉でしょうか。
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