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長崎で来月、教会復元支援慈善コンサート [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月14日土曜日)からの転載です

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長崎で来月、教会復元支援慈善コンサート
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 長崎では、教会群とその関連施設を世界文化遺産にしようという運動が、県をあげて展開されています。
http://www.pref.nagasaki.jp/s_isan/

 その対象の1つで建物の傷みが目立つ国指定の重要文化財「旧出津(しつ)救助院」(長崎市)と、県内最古の木造教会で今年2月に焼失した「江袋教会」(新上五島町)の修復・復元を支援するチャリティー・コンサートが来月、長崎市西出津町の出津教会で行われる、と西日本新聞が伝えています。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/minami/20070414/20070414_001.shtml

 コンサート会場となる出津教会がある旧外海(そとめ)町は、隠れキリシタンの里として知られ、遠藤周作の『沈黙』の舞台ともなりました。

 最近は過疎化が深刻だといわれますが、以前、地元の神職さんにつれられて、うかがったころのデータでは、世帯数4000戸のうちカトリックが540戸、昔(隠れ)キリシタンが400戸と聞きました。禁制時代の信仰をいまも守り続けている方がいると聞いて、驚いたものです。宣教師ジワンをまつるとされる枯松神社もあります。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/nagasaki_suwa_jinja.html

 この町の偉人といえば、フランス人宣教師ド・ロ神父です。1840年、フランス・ノルマンディーの貴族の家に生まれた神父は、開国したばかりで、まだ禁教が解かれていない幕末の慶応4年(1868)、長崎に上陸しました。6月9日。奇しくもその日は浦上のキリシタン全員に流罪の太政官達が出された日でした(片岡弥吉『ある明治の福祉像─ド・ロ神父の生涯』など)。

 やがて神父はこの地に教会を建て、さらに漁業や農業の近代化に貢献したほか、海難事故で夫を失った貧しい未亡人などのために、私財を投じて救助院(授産場)の「至風木舎(しそうきしゃ)」を設け、算術を教え、織物や染色、パンやマカロニの製造を教えたのでした。

 その試みは政府に認められ、明治43年、内務省は助成金200円を贈りました。神父が病に伏したのはその翌年で、大正3年、帰らぬ人となりました。しかし神父が伝えた「ド・ロ様ソーメン」はいまでは地域の特産品です(『外海町誌』など)。

 これが国の重要文化財(建造物)に指定されている旧出津救助院のあらましです。建物は明治初期の西洋建築として貴重なものとされていますが、西日本新聞の記事によると、雨漏りが深刻で修復費用は6億4000万円。このうち所有者である修道会が1億4000万円を負担することになるのだそうです。

 慈善コンサートの会場となる出津教会はむろんド・ロ神父が聖堂を建てたのが歴史の始まりです。長いキリシタンの信仰を土台に、この土地から田口、里脇両枢機卿をはじめ、数多くの聖職者が生まれているのはきわめて異色といわなければなりませんが、過疎の波が容赦なく襲いかかっています。

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