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ローマ法王庁大使の伊勢神宮表敬 [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月14日月曜日)からの転載です

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 カトリック教会指導者たちの政治的暴走については、雑誌「正論」などで何度か問題提起を書きましたが、いかにも左翼チックな政治的言動に誰よりも心を痛めているのは信徒です。熱心な信徒であればあるほど、憂慮は募ります。教会の教義では政治に直接介入することは聖職者ではなく、信徒の任務だとされていますから、危惧は当然です。

 頬白親父さん(ネット上のハンドルネーム)もその1人で、ご自身のブログ「頬白親父の一筆啓上」で何度も異議申し立てを行ってきました。
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/
 
 その頬白親父さんがつい最近、駐日ローマ法王庁大使の伊勢神宮表敬について書いています。

 都心に出かけた折、しばしばお詣りしている靖国神社に足をのばし、神社界の専門紙を手にしましたのですが、そこには驚きの記事が載っていました。法王庁大使のカステッロ大司教とカデロ・サンマリノ共和国大使らが伊勢の内宮と外宮を参拝したというのです。
http://www.jinja.co.jp/article/001-001943.html

 日本の教会指導者たちは、

「信徒が靖国神社に参拝することは相応しい行為であるとは到底いえない。靖国神社に限らず、信者は、たとえ社会的儀礼であっても、よく吟味し、福音の精神に合致しているかどうか、判断しなければならない」(パンフレット・シリーズ「信教の自由と政教分離」)

 と主張していますから、バチカン大使らの表敬参拝は日本の教会指導者にとっては「面目丸つぶれ」というわけです。

 当然というべきか、カトリック中央協議会が発行するカトリックの専門紙にはこのニュースは載っていないようです。載せようがないということでしょうか。

 日本の司教団は信徒の靖国参拝を疑問視しているのに、ローマ法王庁の大司教は伊勢参宮をしている。

「司教団はきちんと説明すべきだ」

 と頬白親父さんは迫っています。

 教会指導者が問題としているのは靖国神社であり、大使が表敬したのは伊勢神宮ですから、厳密にいえば、話は別なのですが、じつは教会指導者の論理が靖国批判から一般的な神社批判へと巧みにすり替えられているのです。

 教会指導者は昨年秋、信教の自由と政教分離をテーマとする3冊の小冊子シリーズを発表しました。「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」と題する、東京大司教による冊子(No.1)は、450年の教会の歴史を振り返り、とくに昭和7年の上智大学生靖国参拝拒否事件を戦前の「迫害」のシンボルとして取り上げました。

 大司教様によると、事件を契機に国家神道神社(靖国神社)への参拝の是非が教会にとって大きな問題となりました。このときバチカンは、日本の教会の問い合わせに対して

「国家神道神社の儀式に参加することは許される」

 と回答します(1936年の指針「祖国に対する信者のつとめ」)。靖国神社の儀式は愛国心の印とみなされている、社会的意味しか持っていないので、信者の参加は許される、というのがバチカンの判断でした。

 ところが、問題は信者個人による神社参拝の是非に発展していった、というのです。

 1936年の指針は厳しい時代の教会に与えられた回答であり、時代も変わったのだから、現代ではそのまま適用されるべきではない。つまり、信徒が靖国神社に参拝することは相応しい行為であることは到底いえない。靖国神社に限らず、信者は、たとえ社会的儀礼であっても、よく吟味し、福音の精神に合致しているかどうか、判断しなければならない、と大司教様は訴えています。

 ここでは靖国問題が中心です。ところが、この冊子を受けて、今年2月に発表された「信教の自由と政教分離に関する司教団メッセージ」では、

「教会は靖国神社参拝の是非をめぐって問題を突きつけられた。バチカンの指針に基づいて『神社で行うよう政府から命じられた儀式は宗教的なものではない』として参拝を許容し、戦争協力に向かった」

 となっています。ここでは靖国参拝ではなく、神社参拝として一般化されているように見えます。意図的な読み違えとも映ります。

 上智大学生事件自体が「迫害」でないことは当事者の回想から明らかですが、それはともかく、バチカンの指針はどのようなものだったか、といえば、指針の要点は三つでした。

 まず指針は、大前提として、国家神道神社(靖国神社)での国家的な儀礼と宗教としての神道の礼拝との区別を認めています。靖国神社は軍の管理下にあり、一般神社は内務省の管轄です。公立学校などでは宗教教育と宗教儀式が禁じられています。靖国神社の儀礼は、非宗教的な国民的儀礼だからこそ参加が許されたのです。

 第2は、他の宗教に由来するものであったとしても、社交の範囲で、葬儀や結婚式など私的な儀礼への参加を許可すること、第3は、議論を避けて指針に素直に従うべきことを指針は強調しています。

 靖国神社は名前からすれば「神社」ですが、一般の神社とは起源も性格も異なる、従来の神社に該当しない、新しい神社でした(小林健三、照沼好文『招魂社成立史の研究』)。それが唯一、別格官幣社という新しい制度のもとに置かれた所以でしょう。

 司教団メッセージが指摘する「神社参拝の強要」は、戦時体制下に行われた国民精神総動員運動に関するものなのでしょう。戦前の新聞を読むと、盧溝橋事件以後、「遥拝」「黙祷」の記事が格段に増えています。祝祭日の遥拝式が国民儀礼化され、戦没者に対する国民儀礼としての黙祷が陸軍によって推進されたのです。

 余談ですが、現在も行われる黙祷の廃止がこの当時、神祇院によって検討されたという知られざる歴史があります。というのも、黙祷がキリスト教の形式だからです。西洋思想の流れをくむ黙祷を廃し、日本式に変えるべきだという意見があったのでした。

 しかし結局、黙祷は継続します。関係機関の協議により、

「黙祷は日本人の日常生活に融合、慣習化されている。国民全体が敬神感謝の意を表する適切な形式である」

 という見解がまとまったからです。その結果、靖国神社の臨時大祭に合わせた国民こぞっての黙祷が捧げられました。

 日本の陸軍が、そして靖国神社が、戦時体制下にあって、キリスト教という異教に由来する文化を受け入れていたのです。第2バチカン公会議よりはるかに進んでいます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/SRH1802mokutou.html
 
 話をもとにもどすと、戦前のバチカンは靖国神社の性格を正しく理解し、靖国神社参拝を、もちろん異教の神への拝礼としてではなく、国民儀礼として認めたのでした。戦後においても、バチカンは1951年の指針においてこの方針を確認しています。

「戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民儀礼と見なされてきた。この数世紀間に儀式の意味は変化した。だから靖国参拝は許可され、教皇特使は(昭和12年に)参拝したのだ」

「数世紀間に」とあるのは、1936年の指針が言及しているように、カトリックは300年も前から中国大陸で異教文化を排除しない宣教戦略を展開し、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝を認めることによって信者獲得に大成功していたのでした。近年の日本の教会指導者は第2バチカン公会議を強調しますが、異教文化の尊重はもっと古い歴史を持っています。

 さて、もう一度まとめ直しますと、バチカンは、殉国者をまつる靖国神社の儀礼への参加は国民儀礼であるとして、認めています。一方、一般の神社や寺院、あるいは異教儀礼による葬儀や結婚式に私的に参加する場合はどうかといえば、社会的礼儀として許されるということになるのでしょう。

 以上のような問題を考えなければならないのはいうまでもなく、キリスト教が唯一神を信仰する一神教だからですが、現教皇が昨年暮れ、トルコのブルー・モスクを表敬されたのも、今回、法王庁大使が伊勢神宮を参拝したのも、もちろん信仰ではなく、あくまで社会儀礼としてであり、そのことは誰の目にも明らかです。

 そんな当たり前のことが、日本の教会指導者たちに理解できないはずはありません。司牧者はキリスト教本来の信仰を信徒に伝える宗教活動にこそ情熱を注ぐべきであって、

「政治に介入することは聖職者ではなく、信徒の役目である」

 という教会の教えに反してまで、なぜ異教批判に血道を上げなければならないのか。指導者たちが靖国反対や神社批判を叫ぶのは、バチカンの教えとは異なる、別の意図と目論見があると疑うのは私だけでしょうか。

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