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書き換えられた東京大司教の文書 [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月31日木曜日)からの転載です

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 きのう、来日した台湾の李登輝・前総統が靖国神社参拝を検討している、と伝えられます。
http://www.asahi.com/international/update/0530/TKY200705300170.html

 前総統は熱心なクリスチャンといわれます。クリスチャンの靖国参拝といえば、大平首相の参拝が思い起こされますが、李登輝さんの参拝が実現すれば、マスコミが報道しているように、中国の反応が注目されるだけでなく、日本のキリスト教界に少なからぬ影響を及ぼすものと予想されます。

 というのも、雑誌論攷などで何度か書いてきましたように、たとえばカトリック教会の場合、信者の靖国参拝には問題がある、という公的メッセージを信徒に対して示してきたからです。そんなときに世界的に著名なクリスチャンに公然と参拝されたのでは示しがつきません。

 問題はなぜ参拝に反対しているのか、ですが、資料をあらためて読み返して、見てはならないものを発見してしまいました。靖国問題に関する教会指導者の文書が書き換えられているのです。

 歴史的にさかのぼって考えると、戦前はバチカンの方針、いわゆる1936年の指針によって靖国参拝が許されていました。すでにご承知のように、昭和7年に上智大学生靖国参拝拒否事件というのがありました。配属将校が軍事教練で学生を靖国神社まで引率した折、信者の学生数人が参拝を「拒否」したことから大騒動に発展したのでした。

 大学側の求めに応じて、バチカンの布教聖省は1936年に指針「祖国に対する信者のつとめ」を発し、靖国神社の儀礼に参加することを国民儀礼として許可したのです。戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民の義務だという判断です。

 ところが、反靖国的姿勢を募らせる日本の教会指導者は最近になって、このバチカンの指針はそのまま適応できない、と主張しています。

 日本の教会指導者たちは昨秋来、信教の自由と政教分離に関する小冊子を4冊、発行しました。

「自民党新憲法草案の検証」
「『国是』と迫害」
「戦前・戦中と戦後の教会の立場」
「信教の自由と国家」

 がそれぞれのテーマで、これらを基礎に司教団は今年2月に「信教の自由と政教分離に関する司教団メッセージ」を採択し発表しました。信教の自由と政教分離を定めた憲法二十条の墨守を訴え、その改正の動きを牽制する政治的メッセージです。

 東京大司教によってまとめられた小冊子は「戦前・戦中と戦後の教会の立場」と題され、ずばり副題に示されているように、1936年の指針に再考察を加えています。結論は、くり返しになりますが、

「信者の参拝は指針にかなった相応しい行為とはいえない」というものです。

 3月末になって、指導者たちは『信教の自由と政教分離』を発行しました。4冊の小冊子とメッセージを合本としてまとめ直したものですが、合本化にあたって大司教の文書が一部変更されています。もちろん加筆補正がなされることは世の常で、批判すべきことではありませんが、文章の根幹部分で、教会にとって重要な位置づけをもつバチカンの文書に関する記述が消えているとなれば話はまったく別です。

 大司教としては、信者による靖国神社参拝が相応しくない、と主張したいわけですから、参拝を許可した1936年の指針の無効性を証明しなければなりません。このため、当時は戦乱拡大の時代で、教会は弾圧と迫害にさらされていた、カトリック学校の学生たちも国家神道神社への参拝を要求された、しかしその後、時代は変わった、という論理を展開しています。

 上智大学生事件のころは軍拡ではなく軍縮の時代であり、当時の上智大学といえば大学令に基づく一般の大学であって宗教学校ではない、など、大司教の事実認識に致命的な誤りがありますが、それはともかくとして、見過ごせないのは、小冊子には戦後、バチカンがあらためて靖国参拝を認めた1951年の指針が言及されていたのに、合本では消えていることです。

 くわしく見てみると、小冊子では補注というかたちで、神社参拝について1946年に教区長会議で1936年の指針にふれ、新しい見解を発表した、これに対して布教聖省は、1951年に駐日教皇大使宛の手紙で1936年の指針が有効である、と確認した、しかし憲法が変わり、第2バチカン公会議も経験した、教会内の思索の発展もあるので、指針はすでに乗り越えられている、というのが私たちの見解である──と書かれてありました。

 ところが、合本では、1951年の指針についてまったく言及が無く、1936年の指針は教会の宣教の姿勢を述べたものであり、今日も有効である、仏教の葬式や神道式の結婚式に参加しても差し支えないが、国家神道であった靖国神社については国家神道の神社ではなくなったのだから、そのまま通用しない、というのが私の見解である──に変わっています。

 国家神道の神社に対する参拝許可の前提が失われたから1936年の指針はそのまま有効ではない、という論理だとすると、大司教にとっては、戦後の1951年に参拝許可を追認したバチカンの指針の存在に言及するわけにはいきませんから、合本では消したということなのでしょうか。

 なぜこんな小細工までして、靖国参拝を否定しなければならないのか、理解に苦しむところです。歴史的考察が誤っているだけでなく、バチカンの指針を見直す論理がすでにして破綻しているということではありませんか。

 1936年の指針は雑誌論攷にも書きましたが、冒頭に1659年の指針を引用しています。中国に布教する宣教団に対して、異教文化を排しない布教戦略を示したのでした。当時のイエズス会は他の修道会とは異なり、中国語で説教し、中国流の礼儀作法を採用し、中国皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝に参加することを認め、布教に成功しました。同様の政策はベトナムやインドでも採用されたといわれます(「新カトリック大事典」)。

 この適応政策はほかの修道会による人間くさい反発を買い、典礼論叢を巻き起こし、結局、イエズス会は解散させられましたが、二十世紀になってよみがえります。日本の教会に対しては1936年の指針で靖国参拝が認められ、中国に対しては39年の指針で孔子廟での儀式参加が許されたのです。これは第2バチカン公会議の理念を先取りするものといえます。

 それをいまになって、見え透いた策を弄してまで、バチカンの方針とは異なる、公的メッセージに便乗した「私の見解」を、なにゆえ信徒に伝えなければならないのでしょうか。

 日本の司教たちが靖国参拝を問題視するメッセージを発したのと前後して、この4月にバチカン大使が伊勢神宮を表敬しました。このため、信徒の間では司教たちに説明を求める声がでています。来週はある教会で大司教の講演があるそうですが、答えが示されるのかどうか。
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