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大司教文書が書き換えられた理由 [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月6日水曜日)からの転載です

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 先月、「書き換えられた東京大司教の文書」を書きました。信教の自由と政教分離をテーマに、日本のカトリック教会の指導者が昨秋来、発行した小冊子シリーズとそれらをもとにして今年3月に出版された合本を比較すると、大司教の文書の根幹部分が書き換えられていることを指摘したのでした。

 大司教の文書は信徒の靖国神社参拝を認めた1936年のバチカンの指針を再考察したもので、時代が変わったから、

「そのまま適応されるべきではない」

 とその有効性を否定したのです。けれども、指針を発した当のバチカンは、といえば、戦後になって1951年の指針を発し、靖国参拝を追認しています。この事実はきわめて重要で、小冊子では補注で戦後の指針に言及していました。ところが合本ではすっかり消えています。

 なぜ消えたのか。大司教はつい最近、ある講演で、信徒の質問に答える形で、その理由を概要、次のように説明しています。

「司教の文書は文責は各司教だが、原稿は委員会が作ったもので、合本化するに当たって、自分が検証できていない部分は削った」

 つまり1951年の指針に関する事実関係については大司教は検証を行っていない、ということを集まった信徒の前でみずから表明したことになります。これが本当だとすれば、驚くべき事実で、同時に教会の責任者としてじつに無責任な態度といわねばなりません。

 なぜなら信徒の靖国参拝を認めた1936年の指針の有効性を議論するに当たって、戦争が終わり、時代が変わってもなお、この方針を追認した1951年の指針を検証することは絶対に避けてはならないことだからです。

 1951年の指針をあわせて検証することなしに1936年の指針を考察し、公の文書を発表することはあるべきことではありません。1951年の指針について十分な検証もせずに、司教団が合意して、バチカンの指針に疑義を差し挟む司教団メッセージが発表されたのだとすれば、日本の司教団の権威を疑わざるを得ないことになります。

 逆にそれなら、1936年の指針当時の大司教ご自身の歴史検証は十分なのでしょうか。講演では1936年の指針が出されるきっかけとなった昭和7年の上智大学生靖国神社参拝拒否事件の時代は戦争の時代であり、教会にとっては迫害の時代であった、と従来通りの説明が繰り返されていましたが、まったくの間違いです。

 カトリック新聞の昭和7年1月3日号の一面には、のちの枢機卿・田口芳五郎師による軍縮をテーマにしたエッセイが載っています。上智大学生事件の渦中の人である丹羽孝三幹事が大学の六十年史に書いているように、事件の発端を作った配属将校の軍事教練は軍縮時代の将校の失業対策として生まれたのでした。事件は戦争の時代に起きたのではなく、軍縮の時代に起きたのです。

 大司教の講演では、戦前、家に神輿がぶつけられたという埼玉の信徒の「迫害」の思い出が紹介されましたが、これももっと具体的にどのような事件だったのか、検証されずして「迫害」と呼ぶことはできないはずです。たとえば、ある法的根拠があって、そのようにするよう警察が指導していたというのならば、明らかに「国家による迫害」で、もってのほかというべきですが、実際はどうなのか。

 事件が日米戦争後のことだとすれば、キリスト教国家と戦火を交える日本としてはキリスト教憎しの国民感情が生まれるのは仕方がないことでしょう。アメリカでは誤解に満ちた神道憎しの議論がわき上がり、戦後の神道指令につながっていきます。

「迫害」の主張と矛盾する事実もあります。日中戦争勃発後の昭和13年に、同じ埼玉・浦和の教会が県の公有地の一部払い下げを許可され、日米開戦前夜の15年に教会と司祭館が竣工しています。
http://www.urawa-catholic.net/rekisi.html

 支援する人もいれば、嫌がらせするものもいた、というのが公平なものの見方ではないのでしょうか。個別の陰湿な嫌がらせなら、これまた、いつの時代でも、どこの国でもあり得ます。

 体験者の信者にとってはつらい思い出でしょうが、歴史と体験は同じではありません。個人の体験に謙虚に耳を傾けることは重要ですが、体験は歴史のごくごく一部に過ぎないことを認める謙虚さも同時に必要でしょう。まして自分が体験していない過去の時代を公正に理解するにはどこまでも事実に対する謙虚な態度が求められます。

 まして、教会指導者の小冊子とそれらを基礎にした司教団メッセージは、日本の歴史、とくに神道の歴史をするどく批判し、自民党の憲法改正の動きを牽制しています。他者を批判するには可能な限り客観的で実証的な歴史検証が不可欠です。そうでなければ、誹謗中傷といわれても仕方がありません。

 実際、信徒の間からも、外部からも、歴史理解に対する重大な疑義が提起されています。それでもなお教会指導者が非実証的な歴史理解ですませているのは、歴史の事実に対する謙虚さが感じられないばかりでなく、多くの信徒をあずかる司牧者としての責任を果たしていることになるのかどうか、基本的に疑われます。

 講演では「殉教」という言葉も聞かれましたが、信徒が教えのために命を捨てなければならないという事態はけっして賞賛されるべきことではないし、回避できることなら回避すべきです。過去の殉教について、著名なキリシタン史研究者の高瀬弘一郎氏は

「大方のキリシタン史像は美化された殉教史であった」(高瀬『キリシタンの世紀』)

 と指摘していますが、歴史検証をプロパガンダのレベルに置くことは殉教者の命を軽んじることにもなるでしょう。

 歴史の検証はどこまでも謙虚に行われるべきです。「自分で検証していないことは削った」では済まされません。不十分な歴史検証は歴史をゆがめ、偽りの歴史をつくることになります。「偽証してはならない」と聖書は教えており、安易な態度は教会の教えに反します。


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