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教会指導者にとっての李登輝「靖国参拝」 ──宣教師不在のキリスト教化への苛立ち [靖国問題]


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教会指導者にとっての李登輝「靖国参拝」
──宣教師不在のキリスト教化への苛立ち
(「神社新報」平成19年6月8日号)
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 今月(平成19年6月)七日、台湾の李登輝・前総統が夫人らと靖国神社の本殿で黙祷を捧げました。大戦末期、日本人の一人として海軍に志願し、マニラで戦死した亡兄をまつる靖国神社に参拝することは李氏の長年の願いだったといわれます。
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 李氏は個人的参拝であることを強調し、

「政治的、歴史的なこととして考えないでほしい」と念を押しています。

 しかし「台湾独立派の代表」とされる李氏の靖国参拝は、案の定、靖国問題と台湾問題を政治的に重視する中国の反発を招きました。


▢ 参拝を認めない理由


 李氏の参拝を快く思わないのは中国のほかにもいそうです。

 李氏は今回の「奥の細道」をたどる旅で、多くの社寺を訪れました。李氏は熱心なクリスチャンといわれますから、唯一神以外の神を信仰の対象とすることはあり得ません。李氏の参拝・参詣は信仰上の行為ではなく、心からの表敬の表現なのでしょう。

 李氏の靖国参拝には現代の日本を代表するカトリック教徒の三浦朱門・曾野綾子夫妻が同行しました。李氏の表敬は日本の支援者や神社側にごく自然に、大らかに受け入れられていますが、反ヤスクニ的姿勢を強めてきた日本のカトリックなど教会指導者はそうではないかも知れません。

 カトリック教会の場合、バチカンは戦前も戦後も信徒の靖国神社参拝を認めてきました。ところが日本の教会指導者は最近、バチカンの方針に疑義を差し挟み、信者の靖国参拝は社会的儀礼としても問題がある、と主張しています。

 ご承知のように、昭和七(一九三二)年、上智大学の配属将校が軍事教練で学生を靖国神社まで引率したとき、信者の学生数人が参拝を「拒否」し、大騒動に発展したことがありました。このときバチカンは、

「国家神道神社(靖国神社)の儀式に信者が参加することは許される」

 という一九三六年の指針「祖国に対する信者のつとめ」を発します。参拝は愛国的行為であり、敬礼は宗教的意義を有さない、という公式回答を得て、信者の信仰問題は解決されたのでした。

 この方針は戦後も一九五一年の指針によって確認されていますが、日本の司教団はバチカンとは異なり、一九三六年の指針がそのまま適応できない、と主張しています。厳しい迫害の時代が去り、国家神道も解体され、憲法も変わった、というのがその理由です。

 しかし戦前の教会が迫害を受けていたというのは妄想でしょうし、バチカンの方針は戦後になっても継承されていますから、「時代が変わった」は理由にはなりません。

 つまりバチカンの方針に反して、日本の歴史を批判し、迫害・受難を装い、参拝も認めないと靖国攻撃をする本当の理由は別のところにあることになります。

 先日、都内の教会で、ある大司教の講演がありました。テーマは日本での福音宣教です。

 大司教は、埼玉の信者の家に神輿をぶつけられたという戦前の苦い思い出を紹介し、終戦までを迫害の時代と見る従来通りの説明を繰り返しました。陰湿な嫌がらせなら、いつの時代にもあり得るでしょうが、それはともかく、迫害の時代が終わってもなお信徒の数はいっこうに増えない、日本宣教は成功していない、というのが基本的な問題意識のようでした。そのうえで、日本で福音を伝えることの意味を問いかけたのです。

 しかし視点を変えて見た場合、逆に日本ほどキリスト教化に成功した国はほかにないかも知れません。明治以来、日本は欧風化の道をたどり、さまざまなキリスト教文化を吸収してきました。

 その中心は天皇・皇室です。たとえば日本の赤十字運動は西南戦争時に設立された博愛社が前身といわれ、佐野常民らが征討総督のお立場にあった有栖川宮熾仁親王に設立を願い出、許可されたのがその出発点です。

 やがて博愛社は日本赤十字社と改称され、西欧の王室にならって、皇室が赤十字運動の指導的立場に立たれました。日本赤十字の名誉総裁は皇后様で、日赤大会は明治神宮の杜で開かれます。昭憲皇太后の基金は創設から百年近く、いまも世界の赤十字活動を支え続けています。

 熾仁親王が敵味方の区別なく救護するという赤十字の精神を嘉し、設立を認めたのは、その精神が天皇の一視同仁の精神に通じるからでしょう。キリスト教の伝統の中から生まれた赤十字運動は天皇精神と共鳴し、日本文化のなかに根を下ろしました。ちょうど明治維新が「上からの革命」であったように、「上からの受容」という形で、日本はキリスト教文化を受け入れ、キリスト教は日本の多神教文明のなかに組み込まれたといえます。

 けれども今日の教会指導者は、このいわば宣教師によらないキリスト教の日本的土着化が素直に認められず、苛立ちを隠せないようです。いみじくも大司教は、

「福音はけっして日本文化に吸収され、独自性・普遍性を失ってよいわけではない。福音が日本文化に従属するのではなく、日本文化が福音に従属するのである」と主張しています。

 しかしそれなら、キリスト教がヨーロッパに浸透していくに当たって、ローマやケルトの文化を吸収し、ヨーロッパ化したことが知られていますが、これはキリスト教以前の文化が福音に従属した歴史だったのかどうか。

 大司教が

「キリストの生涯の意味は時間・空間を超えて普遍の価値を持つ」

 と信じ、

「日本の福音化の最大の課題は天皇制の福音化である」

 と主張するのは自由ですが、どうあっても福音を主体とし、日本文化を従属させようとすれば、否定と排除の論理を振り回し、力ずくで一神教化する以外に宣教の道は失われます。

 それは教会が新大陸の異教文明を破壊した愚かな歴史を繰り返すことであり、古来、宗教的共存を実現してきた日本に血なまぐさい宗教戦争や革命の論理を持ち込むことにもなりかねません。


▢ 一神教化のこだわり


 一九三六年のバチカンの指針が言及しているように、十六世紀末に始まる中国宣教は画期的な適応政策を採用しました。宣教師は、現地語で説教し、中国流の礼儀作法を採り入れ、絶対神デウスを「天」「上帝」と表現し、中国皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝に参加することを認め、宣教は大成功を収めました。

 この適応政策こそ、諸民族の文化・伝統を尊重する第二バチカン公会議の精神の先駆けでしょう。異教文化を否定する布教が日本や中国など発達した多神教文明圏では通用しないことは、数百年も前に見抜かれています。

 大司教は講演の中で

「神社やお寺に行くとホッとする」

 と真情を吐露しています。その素直な感覚を生かさず、あくまで一神教化にこだわって、日本宣教をより困難にするのは愚かです。


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