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ああ、民主主義国家アメリカ [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月27日水曜日)からの転載です


 アメリカ下院外交委員会が慰安婦問題に関する対日非難決議案を、原案を一部修正した上で、圧倒的多数で採択しました。

 原案より穏やかな修正案を提出したのは、外交委員会のラントス委員長(民主党)とロスレイティアン筆頭理事(共和党)ですが、そのラントス委員長がコメントを発表しています。
http://foreignaffairs.house.gov/press_display.asp?id=379

 ラントス委員長は、対日批判決議案を提出したホンダ議員と同じカリフォルニア州の選出です。ハンガリーのブダペストの生まれで、ナチスによる支配下でレジスタンス運動に参加し、ホロコーストの唯一の生き残りといわれます。
http://lantos.house.gov/HoR/CA12/About+Tom/

 その経歴から委員長は当然、歴史問題に対する高い関心を持っているはずで、しかも穏やかな修正案の提出は優れたバランス感覚の証左でもあるのでしょう。しかし、それでもなお正しい歴史理解にまではなお隔たりがあることは、

「日本政府が公式の謝罪を拒否している」
「戦後のドイツは正しい選択をしたが、日本は積極的に歴史の記憶喪失を促進した」

 とつづる、委員長自身のコメントが明らかにしています。

 日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史の事実でしょう。戦地で働くからには軍の関与も当然です。しかし、当時は売買春は合法でした。類似の制度はドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、ソ連などにもあったことが知られており、日本をことさら犯罪的と断じることはできません。

 慰安婦と将兵との心情的交流や恋愛話はしばしば元慰安婦自身が伝えています。たとえば、以前、あるテレビ番組で、ミッちゃんと呼ばれていた元韓国人慰安婦が、こんな思い出話を語っていました。

 ミッちゃんには明良(あきら)という名前の相思相愛の戦闘機乗りがいました。けれども甘い日々は長くは続きません。とうとう別れの日がやってきました。

「ミッちゃん、行ってまいります」。

 直立して敬礼する青年はそれっきり帰ってきませんでした。ミッちゃんの右の二の腕で、その日本兵の名前が深いシワに埋もれています。

「わたし、靖国神社に行きたいよ」。

 ミッちゃんはしんみりとカメラに向かって語るのでした。

 兵士と慰安婦の間には連帯感さえあり、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。朝鮮および朝鮮人は大東亜戦争をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様です。慰安婦出身の女兵伝説すらあるといいます。けっして「性の奴隷」ではありません。

 オランダが植民地支配していたインドネシアでは、日本軍が占領したあと、収容所にいたオランダ人女性が慰安婦としてむりやり狩り出されたという国際法違反事件がありましたが、責任者たちは日本の降伏のあと、戦犯として裁かれました(ジャン・ラフ=オハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』の倉沢愛子教授による「解説」)。

 一方、朝鮮人慰安婦については本人の証言以外、「強制」を裏付ける証拠は聞きません。しかも、個人補償問題は国交正常化によって日韓間では解決済みです。日本が補償を拒んだ事実もありません。正常化交渉で日本は個人補償を繰り返し提案しましたが、韓国政府が同意しなかったのです(高崎宗司『検証・日韓会談』岩波新書)。

 日本が謝罪していないわけでもありません。宮沢首相も村山首相もお詫びを述べています。安倍首相も、「官憲による強制連行」を事実として認めた河野談話を踏襲し、今春の訪米の際に

「心から申し訳ない」と謝罪しました。

 ラントス委員長は

「歴史を歪めている」

 と日本を批判していますが、ほんとうに歴史を歪めているのは誰なのでしょう。

 アメリカは良くも悪しくも民主主義の国であり、アメリカでは錦の御旗は世論であって、ときに集団ヒステリー状態になり、衆愚政治におちいる危険がつねにあります。

 大量破壊兵器がある、という妄想にとらわれて、アメリカがフセインのイラクを攻撃したのは4年前でした。当時の世論調査によると、ブッシュ大統領の最後通告直後、アメリカ国民の66%が24時間以内にフセイン大統領が国外退去しない場合の開戦を支持し、開戦直後の段階では国民の4人に1人が対イラク攻撃に賛成していました。

 しかし結局、大量破壊兵器は見つかりませんでした。独裁政権は倒れましたが、平和回復の兆しは遠く、アメリカの若者の犠牲は増えるばかりです。

 事実は何か、を突き詰めず、一方的な情報に踊らされ、耳に心地よい正義を振り回すのはアメリカ民主主義の危うさです。対日批判決議は本会議でも可決される見通しと伝えられますが、こうしたアメリカとどううまく同盟関係を維持していくのか、日本はよく考える必要があるでしょう。

 歴史を振り返れば、二十世紀の日米戦争前夜、両国の経済関係は緊密でした。

 当時のアメリカは人口が本国1億3000万、属領1900万人。「世界一の持てる国」で、綿花、小麦、トウモロコシ、牛豚、牛乳、バター、石油、石炭、鉄、銅、亜鉛、鉛の生産は世界一を誇っていました。第一次大戦後、英国をしのいで世界経済の中心地となり、世界の金の80%を保有し、GNPは日本のじつに8倍。

 対日貿易は輸入が6億4000万円、輸出が10億円(昭和14年)で、日本はイギリス、カナダに次ぐ第三の貿易相手国でした(昭和17年「朝日年鑑」など)。

 アメリカ人の対日観もけっして悪いものではありません。サイデンステッカー・コロンビア大学名誉教授によれば、大正末期の排日法もカリフォルニア・ロビーの議会工作がなければ成立しなかったといいます。日本に関心を示していたのは西海岸に限られていたのでした(「アメリカ人は日本をどう見てきたか」=『日米の昭和』アステイオン、ディダラス国際共同編集、TBSブリタニカ、1990年)。

 ラントス委員長は

「日本は明らかに、アジアでもっとも偉大な友人であり、世界でもっとも親密なパートナーの一国である」

 と述べていますが、ひとたび歯車がかみ合わなくなったとき、両国にとって悲惨な悪夢が再来しないとは限りません。かつてもそうだったように、日米の離反を望み、謀略を練る国もあるのですから。
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