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上告しないよう要求したキリスト者 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年7月9日月曜日)からの転載です

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上告しないよう要求したキリスト者
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 クリスチャン・トゥデイによると、北海道砂川市の市有地にある神社が憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われている裁判で、日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題委員会は先日、砂川市長が上告しないよう声明を発表しました。
http://www.christiantoday.co.jp/society-news-602.html

 声明文の全文はNCCのホームページに載っています。
http://ncc-j.org/diarypro/archives/224.html

 この神社は砂川市空知太(そらちぶと)にある空知太神社です。札幌の北東約70キロ、北隣の滝川市との境を流れる空知川の左岸に位置し、『砂川市史』によると、市発祥の地に鎮まる、この地方では最古の神社で、明治の開拓者たちはかならずこの神社に参拝し、成功を祈願したといわれます。宗教法人ではない、神職もいない、村の鎮守です。

 クリスチャントゥデイは「市有地にある」と記述し、NCCの声明は「市有地内に建設」と説明するのみで、歴史的経緯が省略されています。どういう経緯があるのでしょうか。

 一般の神社の場合、これは仏教寺院も同様のようですが、明治維新後、上知令によって全国の社寺境内地が国有化されました。空知太神社の場合は明治25年ごろ、開拓民たちが五穀豊穣を願って、いまは小学校がある土地に祠を置いたのが始まりとされ、その後、北海道庁に境内地の御貸下願を提出し、認められ、神社が建てられたのでした。その維持管理は地域の青年たちによって行われたといわれます。

 戦後になると、一般の神社は国有境内地の払い下げを受けたのですが、空知太神社はこの制度改革に洩れてしまったようです。しかも昭和23年ごろ隣接する小学校が拡張することになり、境内地に白羽の矢が立ち、神社はある住民が無償提供した近くの私有地に移転しました。ところが固定資産税などの負担が残ったことから、境内地は砂川町(当時)に寄付され、代わりに無償使用が認められたのでした。こうして市有地内の神社という形になったのです。

 違憲訴訟を起こした原告の1人は、クリスチャントゥデイによるとプロテスタントのキリスト者とのことですが、平和遺族会の代表者といわれます。また、今度のNCCの声明は靖国問題委員会から出されています。靖国神社反対運動を展開してきた人たちが、なぜいま、靖国神社とは直接結びつかない公有地内の村の鎮守の問題を取り上げ、肩入れすることになったのでしょう。

 ここ数年、靖国反対論者が全国で熱心に活動してきたのは小泉靖国参拝訴訟ですが、今年の春、原告敗訴の最高裁判決がすべて出揃い、決着しました。これに代わって、狙いを定められているのがどうやら公有地内神社のようで、空知太神社以外にも長野・信州大学構内神社についても訴訟があり、北海道ではほかの神社へ拡大しそうな気配があります。「公有地内の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」というのがその言い分です。

 空知太神社の場合、キリスト者らが市を相手取って住民訴訟を起こしたのは平成16年春のことです。札幌地裁は昨年春、「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を使用させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」とする違憲判決を下し、二審の札幌高裁も先月末、「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」との判決を言い渡しました。

 このためNCCは市に対して上告をしないようにと要求したのでしょう。

 キリスト者たちがなぜこれほど靖国問題にこだわるのか。その理由は、何度もこのブログ(メルマガ)で言及してきたように、戦前の「国家神道」が自分たちキリスト者の信仰を脅かしたと認識し、その苦い経験から「国家神道の亡霊」が目を覚まし、シンボルとしての靖国神社がふたたび国家と結びつくことに、強い不安と警戒感を抱いているからとされます。

 キリスト者のその理解が妥当かどうか、も問題ですが、私が理解に苦しむのは、空知太神社の裁判のように、小さな祠(ほこら)だろうが、地蔵像だろうが、庚申塚だろうが、公有地にはいっさいの宗教施設も憲法の政教分離原則から認められず、撤去されるべきだという、いわゆる絶対分離主義が司法判断として確定することになると、キリスト教自身の首を絞める結果になるということをキリスト者自身はどう考えているのか、ということです。

 たとえば、これも何度も書いてきたことですが、岩手県奥州市(旧水沢市)にはキリシタン領主・後藤寿庵の館跡があり、昭和初年度に建てられた廟堂が置かれています。いまは市有地で、地元のカトリック教会が主催する大祈願祭が行われ、市長が参列しています。長崎市には戦後、市有地内に宣教団の手で二十六聖人記念館と記念碑(レリーフ)が建てられました。その後、市に寄贈された記念碑では毎年、野外ミサが行われているようです。

 キリスト者たちは、こうした宗教施設が公有地からすべて撤去されるべきだ、とお考えなのでしょうか。もしそうなら、国家は非宗教的存在であるべきだという、いわば革命国家の論理を主張することになり、神を信じる信仰者としては矛盾この上ないだろうし、キリスト教だけは棚上げし、もっぱら神道と公機関との関係を法的に規制すべきだというのなら、まったくの独善であって、信教の自由を侵すことになるでしょう。

 もしそうではなく、終戦直後、あの神道指令を発した占領軍自身、占領末期には、国家と宗教の分離から、国家と宗教団体との分離というアメリカ型の緩やかな政教分離主義に解釈変更し、それゆえ松平参議院議長の参議院葬が神式で行われ、永井隆博士の長崎市葬が浦上天主堂で行われたように、あるいはいま多くの自治体が公営の墓地や斎場を所有・運営しているように、国家の宗教的寛容の重要性を認めるのであれば、NCCは砂川市に上告しないよう要求するのではなくて、市が先週、決定した上告をむしろ支援すべきではないでしょうか。

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