SSブログ

事前申請なき転生活仏は認めず [チベット]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月7日火曜日)からの転載です


 AFPが中国国営新華社通信を引用して伝えるところによると、中国政府はチベットの活仏が転生する場合、政府の許可なくして認めないことを決定しました。新しい政策は来月から実施されると伝えられます。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2263352/2001212

 中国政府としてはチベット仏教に対する規制を強めたいのでしょうが、転生活仏の規制など不可能ではないでしょうか。第一、チベット人の考え方によれば、転生活仏が何人いるかさえ、分からないのですから。

 五年前、カギュー派の最高活仏で、「チベット仏教界ナンバー・スリー」といわれるカルマパ17世がインドに亡命したとき、この転生活仏に興味をもち、取材したことがあります。

 いちばんの関心は転生活仏が何人いるのか、です。ダライ・ラマなら誰でも知っていますが、「ナンバー・スリー」がいるとなれば、ほかにもたくさんの活仏がいるはずです。

 さっそく新宿のダライ・ラマ法王日本代表部事務所をたずねました。すると意外なことに、返ってきた答えは

「分からない」でした。

 チベット仏教はいくつかの宗派から構成されるようです。ニンマ派、カギュー派、サキュ派、ゲルク派などで、活仏はそれぞれの宗派ごとに認定されます。そしてさらにダライ・ラマの承認を受けるのですか、そのほかにも多くの化身の菩薩がおられる。しかしあくまで宗教的、精神的なもので、誰が活仏かは簡単には分からない、というのでした。

 名簿もないのですから、何人いるのか、数えようがありません。

「もしかしたら、あなたも活仏かも知れません」

 とまでいわれて、ドキッとしてしまいました。

 もっと面白いのは、

「人数を数えることは意味がない」

 と仰ったことでした。要するに、ダライ・ラマ法王とまだ修行途上の若い活仏とをあわせて「二人」と数えることに何の意味もない、というのです。

 私たちがどっぷりと浸かっている近代合理性の考え方とは異なる考え方をチベットの人たちはごくふつうにしているのでした。

 それなら、転生活仏とは何でしょうか。山口瑞鳳・元東京大学教授の『チベット』はこう説明します。

 ──仏教では、人間は輪廻(りんね)の世界で業(ごう)の束縛を受け、転生を重ねる、と考える。もはや転生しないことが涅槃(ねはん)であり、涅槃に達した聖者が没すると、もはや輪廻の世界に生まれ変わることはない。小乗仏教(上座部仏教)はこれを理想としたが、大乗仏教は異なる。自分のために解脱(げだつ)の境地を求めるあり方は低く見られるようになった。
 仏陀の境地は凡俗が一代で達し得るようなものではなく、輪廻の世界で菩薩として利他行(りたぎょう)をきわめた末にはじめて到達できる。大乗仏教徒が学ぶのはこの菩薩行だが、最終的に涅槃の境地に達しても、自分のために涅槃の境地を求める気持ちがないために涅槃に安住せず、輪廻の世界にとどまって人々を救い続ける。これを「無住処涅槃」とよび、至高の境地とされた。
 チベットではいつとはなしに名僧は仏がこの世に送り出した化身の菩薩だと考えられるようになり、この名僧を中国人は「活仏」とよんだ──。

 ということは、中国政府の今回の決定は、仏が送り出す化身の菩薩を共産党政府の許可がなければ認めない、というのですから、政府を仏よりも上位に置くことになります。そんな大それたことができるのかどうか。そんなことまでして、ダライ・ラマの宗教的権威を貶めなければならないのは、逆に、現政府の政治的統率力が低下していることを暴露するものではないでしょうか。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。