韓国に政教分離はあるのか [政教分離]
以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月30日木曜日)からの転載です
アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人19人について、韓国政府との合意が成立し、一部の釈放が始まったと伝えられます。合意の内容は「駐留する韓国軍の年内撤退」と「国内でのキリスト教布教の禁止」の二つとされています。
読売新聞はこれを社説に取り上げ、朗報ではあるが、不透明な部分があると指摘しています。ほんとうに2条件だけなのか。年内撤退は事件発生前からの規定方針であり、布教禁止については交渉の初期段階から提起されていた。韓国が身代金の支払いに応じたのではないかという見方もある。
「テロリストとは取引しない」
という国際的原則を破り、
「譲歩した」
という誤解を生む恐れがある、というわけです。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070829ig91.htm
どんな具体的な交渉が行われたのか、裏取引があったのかどうか、はいずれ明らかになるでしょうが、今度の事件では、このブログ(メルマガ)で何度も指摘してきたように、歴史や現実を省みず、観念的に自分のあらまほしき幻影をしゃにむに追い続ける韓国人の国民性が浮かび上がったのと同時に、韓国には政教分離原則があるのかという大きな疑問が沸いてきたように思います。
まず第一点目です。東西文明を結ぶアフガンはシルクロードの要衝に位置しています。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が滞在していた時代は仏教の時代でしたが、いまは国民のほとんどすべてがイスラムです。
コーランには
「神を持たぬ異端者にムスリムを支配する権利はない」
と書かれてありますが、いかにイスラムが異教徒の支配を嫌うかは、1838年、イギリスの侵入に始まる第一次アフガン・イギリス戦争で、カブールが陥落し、国王が降伏したあとも、ゲリラ戦でついに一万六千人のイギリス人を全滅させたという歴史からうかがえます。
ボランティアという形でアフガンに入った韓国人キリスト教徒たちは、そのような歴史をどこまで理解していたのでしょうか。信仰に熱心なのはけっこうなことですが、キリスト教伝道に限らず、ともすると相手を省みないやり方が、移民の国アメリカですら大きな反発を招き、悲劇が生じたことはよく知られているところです。その教訓が生かされているのかどうか。
アフガンでのボランティア活動といえば、ペシャワール会の中村哲医師が思い出されます。1984年から活動を開始し、パキスタン、アフガニスタン両国にいくつかの病院を運営し、年間16万人の患者を診察しています。そのほか1000カ所以上の水源を確保する事業を継続しています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
というのも、人々が苦しんでいるのは何十年と続いている戦乱だけではないからです。これまた何年も続く大干魃で国民の半数以上が被災したのはつい最近のことです。ヒンズークシ山脈にふる雪の量が目立って減り、雪解け水の激減は耕地を砂漠化させ、百万人単位の飢餓を発生させました。
ペシャワール会の用水路工事が始まったのは2003年で、今年上旬、第一期13キロが完成したと伝えられます。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r123.html
中村医師は、拉致された韓国人と同じクリスチャンです。危ない目にも遭っています。十数年前には診療所が襲撃されました。
「死んでも撃ち返すな」。
職員たちに報復の応戦をやめさせ、そのことで人々の信頼の絆を得たといわれます。いまでは説教の機会さえ与えてくれる。中村医師は
「イスラムの方が心が広い」
と語ります。
日本の援助団体の草分けであるオイスカでも同じような話を聞きました。オイスカが最初に農業指導員を送り込んだのがインドでしたが、折悪しくインド・パキスタン戦争が火を噴きます。
両国の帰属争いが続くパンジャーブ州で農業指導をしていたオイスカ・マンがいました。日本大使館は帰国命令を出しましたが、帰るに帰れません。第一、大使館との連絡すらつきません。
「あなたのことは私たちが守る」。
砲弾が飛び交うなか、オイスカ・マンを守り抜いたのは現地の人たちでした。住民にはムスリムもいれば、ヒンドゥー教徒もいましたが、両方がこのオイスカ・マンを守ったといいます。それほど、現地にとけ込み、深い信頼関係を築いていたのです。
今回の韓国人拉致事件から浮かび上がる第二の問題は、宗教団体ではない大統領府が「布教の中止」を約束し、韓国の宗教界が布教方法についての反省を表明していることです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90672&servcode=400§code=400
韓国の憲法は第20条で、
「すべての国民は、宗教の自由を有する」
「国教は認められず、宗教及び政治は、分離される」
と定めているようですが、「布教活動中止」を政府が合意し、宗教界がこれを歓迎するかのような態度を示しているのは、憲法の原則に抵触するのではないかと疑われます。しかし、伝えられるニュースからはそうした発想も見えません。
韓国政府が日本の靖国神社、あるいは閣僚の参拝に無遠慮に、政治的に干渉するのは、やはり同じように大原則としての法的規範意識がそもそも薄いからではないか、との疑いがあらためて持たれます。
アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人19人について、韓国政府との合意が成立し、一部の釈放が始まったと伝えられます。合意の内容は「駐留する韓国軍の年内撤退」と「国内でのキリスト教布教の禁止」の二つとされています。
読売新聞はこれを社説に取り上げ、朗報ではあるが、不透明な部分があると指摘しています。ほんとうに2条件だけなのか。年内撤退は事件発生前からの規定方針であり、布教禁止については交渉の初期段階から提起されていた。韓国が身代金の支払いに応じたのではないかという見方もある。
「テロリストとは取引しない」
という国際的原則を破り、
「譲歩した」
という誤解を生む恐れがある、というわけです。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070829ig91.htm
どんな具体的な交渉が行われたのか、裏取引があったのかどうか、はいずれ明らかになるでしょうが、今度の事件では、このブログ(メルマガ)で何度も指摘してきたように、歴史や現実を省みず、観念的に自分のあらまほしき幻影をしゃにむに追い続ける韓国人の国民性が浮かび上がったのと同時に、韓国には政教分離原則があるのかという大きな疑問が沸いてきたように思います。
まず第一点目です。東西文明を結ぶアフガンはシルクロードの要衝に位置しています。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が滞在していた時代は仏教の時代でしたが、いまは国民のほとんどすべてがイスラムです。
コーランには
「神を持たぬ異端者にムスリムを支配する権利はない」
と書かれてありますが、いかにイスラムが異教徒の支配を嫌うかは、1838年、イギリスの侵入に始まる第一次アフガン・イギリス戦争で、カブールが陥落し、国王が降伏したあとも、ゲリラ戦でついに一万六千人のイギリス人を全滅させたという歴史からうかがえます。
ボランティアという形でアフガンに入った韓国人キリスト教徒たちは、そのような歴史をどこまで理解していたのでしょうか。信仰に熱心なのはけっこうなことですが、キリスト教伝道に限らず、ともすると相手を省みないやり方が、移民の国アメリカですら大きな反発を招き、悲劇が生じたことはよく知られているところです。その教訓が生かされているのかどうか。
アフガンでのボランティア活動といえば、ペシャワール会の中村哲医師が思い出されます。1984年から活動を開始し、パキスタン、アフガニスタン両国にいくつかの病院を運営し、年間16万人の患者を診察しています。そのほか1000カ所以上の水源を確保する事業を継続しています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
というのも、人々が苦しんでいるのは何十年と続いている戦乱だけではないからです。これまた何年も続く大干魃で国民の半数以上が被災したのはつい最近のことです。ヒンズークシ山脈にふる雪の量が目立って減り、雪解け水の激減は耕地を砂漠化させ、百万人単位の飢餓を発生させました。
ペシャワール会の用水路工事が始まったのは2003年で、今年上旬、第一期13キロが完成したと伝えられます。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r123.html
中村医師は、拉致された韓国人と同じクリスチャンです。危ない目にも遭っています。十数年前には診療所が襲撃されました。
「死んでも撃ち返すな」。
職員たちに報復の応戦をやめさせ、そのことで人々の信頼の絆を得たといわれます。いまでは説教の機会さえ与えてくれる。中村医師は
「イスラムの方が心が広い」
と語ります。
日本の援助団体の草分けであるオイスカでも同じような話を聞きました。オイスカが最初に農業指導員を送り込んだのがインドでしたが、折悪しくインド・パキスタン戦争が火を噴きます。
両国の帰属争いが続くパンジャーブ州で農業指導をしていたオイスカ・マンがいました。日本大使館は帰国命令を出しましたが、帰るに帰れません。第一、大使館との連絡すらつきません。
「あなたのことは私たちが守る」。
砲弾が飛び交うなか、オイスカ・マンを守り抜いたのは現地の人たちでした。住民にはムスリムもいれば、ヒンドゥー教徒もいましたが、両方がこのオイスカ・マンを守ったといいます。それほど、現地にとけ込み、深い信頼関係を築いていたのです。
今回の韓国人拉致事件から浮かび上がる第二の問題は、宗教団体ではない大統領府が「布教の中止」を約束し、韓国の宗教界が布教方法についての反省を表明していることです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90672&servcode=400§code=400
韓国の憲法は第20条で、
「すべての国民は、宗教の自由を有する」
「国教は認められず、宗教及び政治は、分離される」
と定めているようですが、「布教活動中止」を政府が合意し、宗教界がこれを歓迎するかのような態度を示しているのは、憲法の原則に抵触するのではないかと疑われます。しかし、伝えられるニュースからはそうした発想も見えません。
韓国政府が日本の靖国神社、あるいは閣僚の参拝に無遠慮に、政治的に干渉するのは、やはり同じように大原則としての法的規範意識がそもそも薄いからではないか、との疑いがあらためて持たれます。
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