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マザー・テレサ没後10年の追悼式 [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年9月9日日曜日)からの転載です

マザー・テレサ(神の愛の宣教社会HPからⒸmotherteresa.org)

motherteresa.jpg
 イギリスのBBCが伝えるところによると、マザー・テレサの没後10年にあたる先週の9月5日、インド・コルカタ(カルカッタ)にある、マザーが創立した「神の愛の宣教者会」の墓所で追悼式が行われ、スラム街の人々など数百人が参列したそうです。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6979228.stm

 またAFPによれば、宗教宗派を超えた追悼式典に、イスラムやヒンドゥーの聖職者がそれぞれの祈りを捧げたそうです。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2277598/2095119

 マザーは1910年、現在のマケドニアに生まれました。インドの貧しい人たちのために精力的な活動を展開し、79年にノーベル平和賞を受賞し、96年にはアメリカ名誉市民となりました。97年に亡くなったあと、わずか6年後という異例な早さで2003年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって福者に列福されました。

 熱心な崇敬者は「スラムの聖者」といわれるマザーが「聖人」に序せられることを願ってやみません。カトリックでは、「聖人」に叙せられるかどうかは、神ご自身が「奇蹟」によって証明すると考えられています。AFPによると、マザーが福者とされたのは、あるインド女性がマザーの奇蹟によってガンが治ったからで、さらに聖人に叙せられるには二度目の奇蹟が必要だとされています。

 ちなみに、日本およびアジアで最初の聖人である「二十六聖人」の場合、殉教から7年後の慶長8(1603)年に京阪地域のキリシタンから「列聖」の嘆願書が提出され、1616年に教皇庁の調査が始まり、それから十数年後、「殉教者」のためのミサを挙げることが許可され、「福者」に叙せられました。しかし聖者とされたのは殉教からじつに265年後の1862年でした(レオン・パジェス『日本廿六聖人殉教記』昭和6年)。

 なぜそんなに時間がかかったのか。フランシスコ会トマス・オイテンブルク神父の『十六〜十七世紀の日本におけるフランシスコ会士たち』によると、17世紀初頭の教皇庁は多くの列福訴訟を審議中で、多忙を極めていたのだそうです。けれども二百数十年を経て、日本が安政元(1854)年に門戸を開き、同6年に宣教師の再入国を許可した結果、「列聖」が促進されたのだと説明しています。

 つまり、日本が鎖国から開国へと転換したことが、殉教から二百年以上も経ったあとの「列聖」の理由だというのですが、果たしてそれだけなのかどうか。

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