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ノーベル賞、東シナ海、イスラム法学者。 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月13日土曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「朝日新聞」10月12日、「ノーベル平和賞にゴア氏ら。環境問題への取り組み評価」
http://www.asahi.com/international/update/1012/TKY200710120261.html

 これで環境ビジネスの進展に弾みがつくということでしょうか。

 ゴア氏らが主張している気候変動説が科学的に正しいかどうかは別問題だろうし、地球温暖化の原因については科学者の間で諸説があるようです。実際、ノーベル賞委員会のミュース委員長は「論争は覚悟の上での決断だった」と語っています。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071013i101.htm

 しかし早くもゴア氏は「世界的に意識を高める好機」と意気込んでいます。化石燃料を主要エネルギー資源とするの産業の時代から環境ビジネスの時代に大きくシフトしていくような予感がするのですが、いかがでしょうか。


2、「朝日新聞」10月12日、「中国人民解放軍交響楽団、初来日し、都内で公演」
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200710120292.html

 記事によると、反中団体の妨害を懸念して、チケットの一般販売を避け、ほとんどが招待客になったとありますが、誰が招待されたかについては触れていません。


3、「日本経済新聞」10月13日、「韓国、省庁の記者室閉鎖」
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20071013AT2M1201K12102007.html

 記事は、政府批判を繰り返す大手紙の取材力を弱めることを狙ったとの見方も多い、と指摘しています。

 大統領選挙は目前ですが、ときあたかも大統領の元側近が職権濫用疑惑で逮捕されました。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20071012AT2M1201G12102007.html

 それにしても、中央日報に到っては、大統領を「北朝鮮のオウム」呼ばわりしています。感情が先に立ってしまっては、権力と新聞の対立は激しくなるばかりでしょう。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=91923&servcode=100§code=110


4、「北海道新聞」10月12日、「東シナ海・ガス田共同開発、海域調整進展なし。日中局長級協議」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/54481.html

 両国にとって何がネックなのか、ものごとの本質を、外務省の官僚は理解していないのではないでしょうか。

 8、9年前、日韓首脳会談で「お詫び」を繰り返していたころも、やはりそうでした。当時の担当者に「歴史の何に対して、謝罪するのか」と聞くと、「併合時代、日本は感謝されるようなことをしたのか。反省すべきことが多かった」といい、「創氏改名」をあげていました。

 「創氏改名というのはどういう歴史だと考えるのですか」と重ねて聞くと、「韓国には祖先崇拝の深い伝統があるのに、それを憐れむことなく強制した」とこたえていました。通俗的な歴史理解です。

 たとえば在日の研究者で、金英達さんは、「創氏」とは朝鮮の家族制度を「家」制度に再編しようとしたのであり、朝鮮の「姓」を廃止しようとしたのではない、という研究を発表しています(『創氏改名の研究』)。

 そこで、「在日の研究者はあなたのような理解には否定的ですね」と外務官僚にいうと、黙ってしまいました。金英達の名前も知らないようでした。

 キャリアの外務官僚が東シナ海のガス田の実態や沖縄トラフについて、十分な知識を持たずに、中国との話し合いをしているのではないか、と私は想像します。もし私の想像が当たっているなら、間違いなく国を誤ることになるでしょう。


5、「しんぶん赤旗」10月13日、「世界各地のイスラム法学者、キリスト教指導者に平和共存のよびかけ」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-13/2007101307_01_0.html

 キリスト教指導者からは歓迎の声が出ていると記事は伝えています。

 arab newsの記事はこちらです。
http://www.arabnews.com/?page=4§ion=0&article=102422&d=13&m=10&y=2007


6、「産経新聞」10月9日、「正論 日中国交正常化35年。日本の『秀才外交』の大失敗」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071009/plc0710090249001-n1.htm

 「日本外交には、戦前戦後を通じて一大欠点がある。原則がなく、相手の原則に振り回されるのである」とはまさにその通りでしょうし、「中国が台湾との断交を迫るなら、せめて一度は破談にして帰国すれば良かった。これで日本は信義に厚い国という実績が残せた」「『中国は一つ』は中国と蒋政権の立場である。日本は『どの国とも友好を貫く』と言い続ければ良かった」はさすがの見識だと思います。


7、「朝日新聞」10月9日、「キューバやボリビアで式典。チェ・ゲバラ没後40周年」
http://www.asahi.com/international/update/1009/TKY200710090051.html

 遺骨を埋葬した霊廟に関係者が次々に花を捧げたのだそうですが、死者に献花する儀礼は中南米地域の先住民の文化なのか、それとも大航海時代にヨーロッパからもたらされたのか、それともさらにそのあとに伝えられた文化なのでしょうか。

 ヨーロッパのキリスト教社会ではもともと死者に対する儀礼はないといわれます。面白いことに、草場安子さんの『現代フランス情報辞典』には、キリスト教の諸聖人を記念する11月1日の万聖節に、フランスでは墓参する習慣があり、この日に菊の鉢植えが供えられる。菊の花は1789年に日本からもたらされた」と書かれてあります。

 草場さんに問い合わせたところ、さらに興味深い情報が得られました。どうやらちょうど日本の幕末のころ、つまり日本の廻国でヨーロッパにジャポニスムの芸術様式が一世を風靡したころ、菊の花と同時に供花の文化が日本から伝えられたのではないかというのです。

 日本では『源平盛衰記』にも供花・供華の文化が記録されるほど古い儀礼文化といえますが、花環や花輪となると明治期にヨーロッパから逆輸入されたのではないかと想像されます。

 というのも、読売新聞のデータベースで見ると、同紙に「花環」「花輪」の記事が載ったのは、セシル・ローズの葬儀にイギリス皇后が花環を贈ったことを伝える明治35年4月6日の紙面が最初で、海外のニュースでした。

 国内ニュースでは伊藤博文の国葬に大隈重信から花輪が送られたという明治42年5月の記事が最初ですが、花環の故事来歴を考える上で見逃せないのは、大正元年9月に連続して掲載された「敬弔と花環」と題する読売新聞の「社告」です。

 同年7月に明治天皇が亡くなったあと、読売の委託販売部は、バラやダリアなどで造られた花環の販売を手がけました。社告は花環の意味をこう説明しています。「欧米の慣例にならって、家屋に花環をつるし、奉送敬弔の意味をいっそう深くするため」。つまり、今日、葬儀などで目にする花環は外来文化だということになるのでしょう。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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