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ダライ・ラマ、神嘗祭、政教分離。 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月17日水曜日)からの転載です


◇今週から、週刊の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。下記のmelma!のページを開き、アドレスをご登録の上、ご愛読いただければありがたいです。

第一回のテーマは「天皇陛下のお稲刈り」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「時事ドットコム」10月17日、「米大統領、ダライ・ラマと会談。中国の抵抗押し切る」
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007101700079

 折りしも中国では党大会の最中。アメリカ議会による勲章授与式には大統領は夫人とともに出席するようです。

 続報に注目したいと思います。


2、「伊勢志摩経済新聞」10月16日、「全国から集まった新米を伊勢神宮に奉納」
http://iseshima.keizai.biz/headline/287/

 15〜17日は伊勢神宮で神嘗祭(かんなめさい)が行われています。
http://www.isejingu.or.jp/whatsnew/detail.php?uid=26

 神嘗祭は伊勢の人たちが「大祭り」と呼ぶ、一年でもっとも重要な祭りとされます。

 3日間にわたって、外宮(げくう)、内宮(ないくう)の順に、それぞれ夕刻と深夜の2回、今年、神田でとれた新穀の大御饌(おおみけ)が供えられます。

 最終日には、天皇が皇居内の水田で育てられた稲の初穂が、両宮の内玉垣に懸税(かけちから)として捧げられ、正午には勅使(ちょくし)が両宮に天皇からの幣帛(へいはく)を奉ります。皇居では、この日の午前、神嘉殿(しんかでん)南庇で天皇が神宮の方角に向かって遙拝(ようはい)されます。

 日本で一番古い歴史書である『日本書紀』は、皇室の祖神である天照大神(あまてらすおおかみ)が保食神(うけもちのかみ)から五穀の種子を与えられた、と記していますが、神嘗祭の起源はこの神話にあるといわれます。

 また、第11代垂仁(すいにん)天皇の時代に皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢国を巡幸されたおり、鶴がくわえていた霊稲を大神に捧げたのが神嘗祭の始まり、とも伝えられます。

 神宮の祭りは天皇の祭りであり、稲の祭りです。


3、「京都新聞」10月16日、「平和への誓い新た、1900人黙祷。左京で府戦没者追悼式」
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007101600097&genre=C4&area=K1D

 黙祷をささげ、行政の代表者が式辞を述べるという無宗教的な公的追悼式の歴史を考えるとき、まず最初に例としてあげられるのは、大正12年の関東大震災後の追悼式典です。

 東京市役所が発行した『東京震災録』(大正15年3月)には、次のように記録されています。

 ──府市合同の追悼式の式場は、天幕にて345坪、納骨堂は56坪のバラック建てで、正門が新設され、大震災死亡者追悼式場の額が掲げられていた。式場納骨堂には黒白だんだら幕の装飾が行われ、式場正面には「大震火災死亡者之霊位」と書いた大木牌を安置し、前面に祭壇を設け、供物や生花などが供えられた。犠牲者の遺骨は前夜、仏教連合会の僧侶が読経する中、徹夜で大甕(おおがめ)70に移され、各区行政順に併納、府下の分は位牌(いはい)を納めた。

 また、追悼式の式次第は次のようなものでした。

一、開式(振鈴)
一、奏楽(陸軍戸山学校軍楽隊)
一、東京府知事追悼文
一、東京市長追悼文
一、総理大臣追悼文
一、東京府会議長追悼文
一、東京市会議長追悼文
一、一同礼拝(奏楽)
一、閉式(振鈴)
一、退場(奏楽)

 当時の新聞報道は「大法要」と表現していますが、宗教者の関与もなく、宗教儀式も採用されておらず、無宗教の儀礼として行われています。

 今日、この時代を「国家神道の時代」ととらえ、政教分離が不完全であり、現行憲法の政教分離主義は戦争の反省の上に立って戦後、確立された、といういう説が流布していますが、間違っています。

 宗教専門紙の「中外日報」などを見ると、当時の宗教者たちは行政が「宗教儀式抜き」の追悼式を行ったことにきわめて不満でした。しかも49日が過ぎて間もないのに、市の役人は納骨堂に飾られていた仏具などの撤去を強引に迫りました。

 怒った僧侶たちが市役所に押しかけると、吉田助役は「宗教団体が弔祭を行うのは感謝するが、それは納骨堂以外で随意にやってもらう方針で、市で必要な場合には取り払ってもらいたい」と木で鼻をくくったような態度で、仏教関係者はますます憤慨した、と伝えられているほどです。

 この納骨堂がいまの東京都慰霊堂ですが、ここで仏式の法要が都の外郭団体が主催して、完全な仏式で行われるようになったのは戦前ではなく、戦後になってからのことです。

 くり返しになりますが、戦前は政教分離主義が守られず、戦後になって確立されたという俗説はまったくの間違いなのです。


4、「民団新聞」10月11日、「地方参政権。世論を喚起し、好機生かそう」
http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=17&category=3&newsid=8839

 記事によると、民団は11月7日(水曜)に都内で永住外国人の地方参政権付与法案早期成立を要求する全国決起大会を開くようです。街頭デモや国会陳情も行われ、2001年6月以来の大規模行動だそうです。

 与野党伯仲国会、福田内閣の柔軟姿勢をチャンス到来と見て、運動を再構築するスターチラインと位置づけているようです。

 外国人にも参政権が与えられるのは理想でしょうが、特定の外国勢力に引きずられた先のアメリカ下院の慰安婦決議などを見れば、理想主義だけでは済まされないのではないでしょうか。

 といっているうちに、今週金曜日の夜に放映される日本テレビの政治バラエティ番組「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」では、外国人参政権問題が取り上げられ、その是非について、視聴者も参加する投票が行われるのだそうです。
http://www.ntv.co.jp/souri/program/index.html

 しかし常識的に考えるなら、ものごとの順序として、日本での外国人参権賦与という理想を追い求めることより、まず先に、隣の中国や北朝鮮で民主主義の基本である普通選挙権を認められることの方が、大切なのではないでしょうか。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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