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寛仁殿下、島原の乱、靖国神社。 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月22日月曜日)からの転載です


◇先週から、週刊の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
 下記のmelma!のページを開き、アドレスをご登録の上、ご愛読いただければありがたいです。
 ご感想もお待ちしています。

第1回のテーマは「天皇陛下のお稲刈り」でした。
http://www.melma.com/backnumber_170937/



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「FijiSankei Business i」10月22日、「中国政府、三峡ダム批判に反論。環境との関係否定」
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200710220027a.nwc

 「水質に問題はない」「土砂崩れは以前から頻繁に起きている」「ダムは環境や住民の生活を向上させている」というのですが……。


2、「AFPBB News」10月22日、「ローマ法王、異宗教間サミットで『人類の和解』呼びかけ」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2301288/2270037

 昨日からナポリで始まった異宗教間サミットで「それぞれの相違点を尊重しつつ、世界平和と人類の和解のために尽力する」ことを呼びかけだそうです。

 バチカン放送局はこちらです。
http://www.radiovaticana.org/japanese/japnotizie0710c/japvisitanapoli071021.htm


3、「時事ドットコム」10月21日、「『皇室はストレスの塊』、三笠宮寛仁さまが米紙と会見」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007102100107

 オリジナルはニューヨーク・タイムズです。かの有名な東京支局長のインタビュー記事です。
http://www.nytimes.com/2007/10/20/world/asia/20tomohito.html?_r=1&oref=slogin

 時事の記事は、ストレスの多い皇室の内情などを明かされたと伝えていますが、朝鮮日報は「皇室の存在理由は食べて寝ることの反復」だと「過激」に発言されたと「過激」に伝えています。
http://www.chosunonline.com/article/20071022000006

 なるほどそういう報道が繰り返されれば「ストレス」は重なるかも知れません。


4、「時事ドットコム」10月22日、「室町時代加わり新たな『時代祭』」
http://www.jiji.com/jc/p?id=20071022180525-5641227

 京都の時代祭は、平安遷都1100年を記念し、桓武天皇をまつるお宮として明治28年に創建された平安神宮のお祭りです。
http://www.heianjingu.or.jp/03/0101.html

 これまでは室町幕府を開いた足利尊氏は「逆賊」だとみなされ、室町時代は時代絵巻から外されていたのだそうです。


5、「くまにちコム」10月19日、「宗派超え鎮魂の祈り。天草市で殉教祭」
http://kumanichi.com/news/local/index.cfm?id=20071021200018&cid=main

 島原の乱の犠牲者を追悼する、昭和31年から続く催しだそうです。

 ところで、島原の乱はしばしばキリシタン一揆と考えられていますが、そうではないという見方があります。

 以前、島原を取材したとき、ちょうどその年、島原半島文化賞を受賞された郷土史家の志岐茂夫さんのお話は新鮮でした。乱の舞台である原城跡へと向かう車中で、志岐さんはこう語りました。

「NHKの「堂々日本史」が取材に来たときも話したのですが、私はキリシタン一揆ではなくて、農民一揆だと考えています」

 370年前の寛永14(1637)年10月、キリシタンを取り締まる島原藩の代官が殺害されたのを機に、島原各地の農民がいっせいに蜂起しました。神社仏閣に火を放ち、藩主松倉氏の居城・島原城下に乱入して城を包囲したのでした。

 幕府が鎮圧に乗り出し、4万5000人の大軍を仕向けると、一揆勢は原城に籠城しました。原城は有明海に突き出た周囲3キロの天然の要塞で、かつては有馬氏の支城でしたが、藩主が松倉氏に代わり、一国一城の制によって居城が島原城に移ったあとは廃墟となっていました。一揆軍はいちばん高いところに教会を建て、指令を出しました。

 難攻不落の原城に対して、幕府軍は二度の総攻撃を加えましたが、数千人の死傷者を出し、指揮官である板倉重昌までが戦死します。代わって司令官となった松平信綱は戦法を兵糧攻めに切り替え、降伏を呼びかけました。

 ここで注目すべきなのは、交渉に伝われた矢文です。一揆勢の矢文の多くはキリシタン解禁を求めるものでしたが、それとは異なる内容の矢文が昭和30年代に瀬戸内海の小豆島内海(うちのみ)町の壺井家で発見されたといいます。一揆の指導者には内密に送られた矢文で、「太平の世を騒がして申し訳ない。一揆は領主・松倉長門守の酷い政治に抗議してのこと」と記されていたのでした。

 島原は稲作に向かない火山灰の畑地です。そこへ20年前に移ってきたのが松倉氏で、新興外様大名の意気込みと見栄で小大名にしては立派すぎる島原城を築いたのです。そのため農民を絞り上げ、4万石の領地なのに、2倍以上に税を取り立てたといいます。さらに寛永11年以来続く凶作と飢饉が重なりました。百姓一揆は当然の結果でした。

 籠城すること80日。取り囲む幕府軍は12万。一揆勢の食糧も武器も底をつきました。最後の総攻撃が加えられたのは寛永15年2月末。原城は陥落し、一揆勢3万7000人は老若男女の別なく皆殺しにされたといわれます(『堂々日本史 4』など)。

 もうひとつ指摘しなければならないのは、プロテスタント国・オランダの果たした役割です。

 島原の乱後の寛永16年にポルトガル人の居住・来航が禁止され、徳川幕府の鎖国制度は完成します。カトリック勢が締め出されたあと、残ったのはプロテスタント国のオランダですが、なぜオランダだけが通商相手となり得たのでしょうか。

 じつはカトリック国であるポルトガル、スペインの侵略的意図をさかんに吹き込み、両国との貿易停止を幕府に働きかけていたのがオランダだったといいます。バタビア(インドネシア)に本拠地を置くオランダは宗教と経済を分離し、対日貿易の独占を図ったようです。

 そのオランダにとって島原の乱はまたとないポルトガル追い落としのチャンスであり、幕府の要請にしたがって階上から一揆勢を砲撃すらしています。やがて幕府がポルトガル船の来航を禁止したとき、バタビアのオランダ総督府では盛大な祝賀会が催されたといわれます(『NHK歴史発見13』など)。

 志岐さんによると、いまでも原城跡のそこかしこから乱で命を落とした人たちの遺骨が出てくるのだそうです。そんな話を聞きながら、海に沈む大きな夕日を眺めていたのを昨日のことのように思い出します。

 ついでながらこちらもどうぞ。禁教の時代とされる江戸時代のもうひとつの側面が見えてくるはずです。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/gion_matsuri.html


6、「北海道新聞」10月22日、「検定審論議せず。『集団自決』軍強制削除、文科省」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/education/56279.html

 記事によると、教科書検定審議会は「この記述をめぐる論議をせず、同省の原案通りに検定意見をまとめた」。「同省が教科書会社に検定意見を示す際『軍命令がなかったとの説が一般的になっている』と、定着している学説に反する説明をしたことも分かり、今回の検定のずさんさが浮き彫りになった」。また、日本史小委員会には近現代史専門の委員が4人いるが、「沖縄戦に詳しい委員はいなかった」のだそうです。

 記事は「ずさんな検定」を強調していますが、問われるべきなのは文科省だけか、といえば、そうではないだろうと思います。

 ご参考までにこちらを。
http://web.mac.com/saito_sy/iWeb/SAITO%20Yoshihasa%20Website/08D5FC1D-C6C9-11DA-B337-000A95D44250/6647E084-DF79-11DB-901F-000A95D44250.html


7、「Turkish Daily News」10月19日、「Japanese MPs Visit controversial shrine」
http://www.turkishdailynews.com.tr/article.php?enewsid=86312

 トルコの新聞が、AFPを引用し、靖国神社の秋の例大祭に67人の国会議員が参拝したことについて、近隣諸国と緊張関係にある、第二次大戦の250万人の戦死者と14人の指導的戦争犯罪者を崇拝する神社と説明しています。

 オリジナルのAFPの記事はこちらです。
http://afp.google.com/article/ALeqM5hW0sQwqgbUJ4B_RQR9xgE7gVs9Sw

 靖国神社について海外で伝えられているニュースは不正確なことが目立ちます。これらの記事も、同社が明治維新以来の殉国者を合祀していることを見落としています。この記事からはまるで「侵略戦争」を肯定する、いかにもエキセントリックなカルト神社のように読めます。

 同様に「14人の戦争犯罪者」も正確ではありません。いわゆるA級戦犯がまつられているといわれるのは、「正論」の論攷などに何度も書いてきましたように、東京裁判で絞首刑になった7人、受刑中に死亡した5人、それと公判中に病死した2人の死を、日本政府が一般戦没者と同様に公務死と認めたからです。

 未決中死亡者の2人は「有罪」を宣告されたわけではなく、正確には「犯罪者」ではありません。むろん神社が戦争犯罪を神聖視し、戦争犯罪者を崇拝しているわけでもないでしょう。

 靖国神社はこのような誤解や曲解をただそうと努力はしているのでしょうが、現実にはマスメディアを通じて、不正確な情報はどんどん拡散しているようです。


8、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」10月22日、「『三下四上』の旧態依然たる総主流派人事は江沢民派の巻き返し、太子党の勝利。中央委員204名のうち、107名が新人というのが唯一の救いではあろうが」
http://www.melma.com/backnumber_45206_3870281/

 共産党の新人事は、期待した共青団がまったく伸びず、逆に太子党が大きく躍進することになりました。胡錦涛にはカリスマ的なリーダーシップがなく、今後、5年、胡錦涛政権はレイムダック化する可能性が高まった、と宮崎さんは分析しています。

 保守派が巻き返したとなれば、困ったことに、歴史問題をめぐって、いつでも対日関係が火を噴く可能性がある、ということになるのでしょう。とすれば、「相手の嫌がることをあえてする必要はない」などと、相手任せで鷹揚に構えてばかりはいられないということにもなります。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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