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ハロウィーン、金大中事件、殉職自衛官追悼式。 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月31日水曜日)からの転載です


◇今月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
今週発行の第3号のテーマは「女性天皇が認められない理由」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/

「軍事情報」にも紹介されました。ありがたいことです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000049253/109083417.html

宮崎正弘先生の「国際ニュース・早読み」にも取り上げていただきました。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3875805/



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「AFPBB News」10月30日、「アジアで受容されはじめたハロウィーン」
http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2304853/2296699

 欧米の宗教行事だったハロウィーンが、アジアでもビジネスチャンスととらえる産業界やパーティー好きな人々の間で人気が高まっている一方で、ハロウィーンの魅力はビジネスチャンスや娯楽のみならず、死後の世界や超自然現象に関心を持つアジア人の本質と一致する、という指摘がある、と記事は伝えています。

 記事によると、香港在住の文化アナリスト・Vittachi氏氏は、 「欧米ではお化けは悪い者とされてきた。しかし、アジアの文化においては、古くからお化けの存在はとても大きく、人々の親しみも深い。アジアでは、お化けが人間の味方や友人となることさえある」と語っているというのです。

 ハロウィーンが最近、日本などで急速に浸透しているのは、ハロウィーンがアジア人の本質と一致するのではなく、欧米の宗教行事とされているハロウィーンがキリスト教以前の、アジア世界と共通する祖霊信仰の上に成り立っているからではないかとも指摘できます。

 ハロウィーンは元来、2000年以上前の古代ブリテン島に住んでいたケルト人の祭で、秋の収穫を祝い、冬の訪れを前に悪霊を追い払う意味がありました。ケルトの暦では10月31日が大晦日に当たり、その晩、死霊がやって来ます。悪霊から身を守るために仮面をかぶり、魔除けの焚き火をたいたのが今日のパレードの起源で、アメリカにはアイルランド系移民が持ち込んだといわれます。

 死霊が訪れるケルトの祭りといえば、クリスマスも同様です。19世紀イギリスの小説家チャールズ・ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』で、イブの晩に主人公の家を訪ねてくるのは、天使でもサンタクロースでもなく、むかしの仕事仲間の幽霊たちでした。

 ケルト人たちは、大晦日の晩に死霊が家々を訪ねてくる、と信じていました。そして、日本人もそのように信じてきました。かつて、一年の節目である大晦日に人々は各家でいみごもりし、祖霊の訪れを待ちました。たとえば『常陸国風土記』には、祖神がいみごもりしている家を訪ね歩くという筑波郡の物語が載っています。

 この記事のように、ハロウィーンを「欧米の宗教行事」と断定しない方がいいかも知れません。


2、「日経ネット」10月30日、「韓国大使、高村外相に『遺憾の意』表明、金大中事件で」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071031AT3S3001Z30102007.html

 駐日韓国大使が金大中事件での日本の主権侵害について、「遺憾の意」を表明したと記事は伝えていますが、記事よりも目をひくのは共同配信の写真です。大使は卑屈ともいえるほど低姿勢です。

 一枚の写真がものごとの本質をじつに雄弁に物語る場合がありますが、これと逆のケースが6年前の平成13年5月にありました。

 韓国外相はこのとき日本大使を呼びつけ、日本の「歪曲に満ちた」中学歴史教科書に対する36頁にわたる公式の再修正要求案と備忘録を手渡したのでした。

 取材班にとり囲まれ、カメラの放列を前にして、韓国外相は背筋をいっぱいに伸ばし、日本大使に向かって文書を片手でつき出しています。一方の日本大使はいくぶん身をかがめながら、両手をうやうやしく差し出して、押し頂いています。大使の振る舞いにはまるで上司から「厳重注意」を受ける部下のような卑屈さがありました。

 しかしほとんど報道されなかった要求の中味は、日本による「植民地支配」を「搾取」「侵略」として一刀両断にする韓国の公式的歴史理解をくっきりと浮かび上がらせるもので、歴史の客観的追究というよりは政治要求というべきものでした。

 今回の「事実上の陳謝」は主権侵害に対してのものでしたが、なぜそのような所業におよんだのか、およばざるを得なかったのか、については明らかにされないのでしょうか。


3、「日経ネット」10月27日、「首相が自衛隊追悼式に出席」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071027AT3S2603627102007.html

 殉職自衛官の追悼式に出席した首相は「尊い犠牲を無にすることなく」と挨拶した、と記事は伝えています。

 市ヶ谷の防衛省内にあるメモリアルゾーン(慰霊碑地区)は戦時に命を落とした戦死者ではなく、殉職者の追悼施設です。自衛隊が参戦したことはないのですから、いわずもがなです。

 犠牲者を悼むことはもちろん大切ですが、訓練中の事故などの殉職者の追悼はしても、「相手の嫌がることをあえてする必要はない」としたり顔をして、戦争で亡くなった殉国者の慰霊には及び腰のように見えます。

 戦前、30年にわたって靖国神社の宮司をつとめた賀茂百樹が昭和7年4月に「国家の生命と靖国神社祭神」と題して、ラジオ講演をしたことがあり、その講演録が残されています。

 賀茂宮司が当時の最先端のメディアであるラジオを使って講演することになったのは、いまの時代からするとたいへん意外なことに、当時、靖国神社に対する誤解に基づく批判があったからでした。

 どんな誤解かといえば、警察官や鉄道員など、命を危険にさらす職業がほかにもあるのに、靖国神社はこれらの殉職者は対象とせず、軍人ばかり祀っている。偏狭な制度である。靖国神社の武勲神社に対して、文勲神社をおこして、不公平のないようにして欲しい、という声があり、署名運動が起きようとしていた。しかも賛同者の名簿には名士の名が並んでいた、というのです。

 驚いた賀茂宮司はラジオ講演まですることになったのですが、「軍人であろうとも、靖国神社には平時の殉職者はまつられていない」と講演で説明しています。八甲田の雪中行軍をはじめ、おびただしい数の殉職者がいるが、いっさい祀られてはいない。日本国民にして国難に殉じたもの、国家危急のときに自分の命を国家の命に継ぎ足したものがまつられるのだ、と説明するのでした。

 戦時の戦死も平時の殉職も同じ死に変わりはないけれども、戦時の戦死や負傷は不意の怪我ではない。覚悟の上の結果であり、その覚悟と結果が合祀の資格となる、というように賀茂宮司は語っています。

 しかし終戦から半世紀以上が過ぎたいま、逆に覚悟の死を遂げた者たちの慰霊は民間任せにされています。


4、「萬晩報」10月29日、「結局、賞味期限って何なの!!」
http://www.yorozubp.com/0710/071029.htm

 賞味期限は誰が決めるのか? じつは製造者が決めることになっているんだそうです。期限内なら味を保証します、という程度のことのようですが、その根拠はどこまで客観的であり得るのか。食品衛生法が生まれたのは戦後の食うや食わずのときで、占領軍の命令で施行された、と指摘しています。

 先日、北海道の苫小牧に行きました。例の偽装事件が起きたところです。そばまで行きながら、うっかりして社屋などをしかと見ることはできませんでしたが、アイデアマンで、人間として信用のある人だった、という、ちょっと意外な人物評を耳にしました。それなら、なぜあんな事件を起こすことになったのでしょう。

 あちらこちらで偽装事件が明らかになっていますが、じつに興味深いことに、病気になったというような話はまだ聞きません。食品衛生法ができたころとは異なり、冷凍技術などさまざまな技術も進歩しています。どこかの国のように、「毒を入れた」という事件とは違います。

 古典落語の「ちりとてちん」は賞味期限などとっくに切れて、毛(かび)の生えた豆腐を知ったかぶりの男に食べさせる話ですが、伴さんの友人は、古くなった豆腐を食べて、案の定というべきか、お腹をこわしたのだそうです。

 賞味期限は確かにあるのですが、それが法に基づく賞味期限と一致するとは限りません。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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