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信仰を忘れた聖職者たち ──性犯罪、献金横領、そして政治的暴走と目を覆うばかり [キリスト教]

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信仰を忘れた聖職者たち
──性犯罪、献金横領、そして政治的暴走と目を覆うばかり
by 木下量煕+斎藤吉久
(「正論」平成19年11月号)
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▢1 投票日当日の政治講演ミサ

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 参院選投票日当日の平成19年7月29日、さいたま市のカトリック浦和教会(司教座聖堂)で行われる聖日ミサに、多くの信徒たちが注目しました。埼玉、栃木、群馬、茨城の四県で構成されるさいたま教区の最高責任者であるT司教が、ミサの説教を利用して政治講演を行うとの情報が走ったからです。

 教会の教義(カテキズム)は、政治に直接介入することは聖職者ではなく、信徒の任務だと教えていますが、過去40年、司教らはこの教義に反し、反天皇、反ヤスクニ、改憲反対の政治活動を展開しています(雑誌「正論」2、5、6月号掲載の斎藤吉久論攷)。

 事情通によると、聖職者による政治的暴走の出発点と指摘されるのがここ浦和の初代司教で、4代目のT司教も以前から憲法9条改正反対、教育基本法改正反対などの政治運動に関わっています。

 今回の騒動は6月上旬、同教会の信徒(奉仕委員会)が

「共同宣教司牧についてミサで話してほしい」

 とT司教に願い出たのが発端です。日本のカトリックは司祭の数が減少し、教会によってはミサを上げられないという深刻な悩みを抱えています。このため複数の教会を広域的に囲い込み、司祭が掛け持ちしてミサを上げられるようにする「共同宣教司牧」が推進されていますが、教会法に基づくわけでもなく、手探りが続いています。聖なるミサをどうやって守るか、信徒にとって無関心ではいられません。

 6月下旬、T司教から奉仕委員会に快諾の連絡がありました。しかし日取りは投票日当日、そしてテーマは「平和について」。T司教が書いた自民党改憲草案批判を含む、司教協議会がまとめた政治文書の

「コピーを用意するように」

 との指示もあり、奉仕委員は仰天しました。信徒のブログを通じて情報が流れると、

「公私混同」
「職権濫用(らんよう)」
「神への冒涜(ぼうとく)」

 との批判が県外からも寄せられました。

 奉仕委員は信仰的要求が受け入れられなかったことに落胆すると同時に、カテキズムに反する政治講演がミサの秘跡を侵し、信仰の共同体を政治組織化することを恐れました。しかも、もし特定の候補者や政党に投票を促す内容なら、投票日当日の選挙運動を禁止した公職選挙法に違反します。奉仕委員はT司教に再考をうながす交渉を再三、試みました。しかし面会すら実現しません。奉仕委員の心配を伝え聞いたT司教から

「説教のあとに質疑応答の時間を設けよう」

 との逆提案もなされましたが、それではますます政治講演です。事態が打開できないまま、その日を迎えました。

 結局、信徒の祈りが通じたのか、30分足らずの説教は、冒頭、数人の子供たちに

「戦争はイヤだ」

 と連呼する詩を朗読させたあと、150人ほどの信徒たちに、

「配布した司教団メッセージを読んでください」
「投票に行きましょう」

 と呼びかけるものにトーンダウンし、奉仕委員はホッと胸をなで下ろしました。

 信徒が求めているのは聖職者との対立ではなく、信仰の導きですが、聖職者は聖なる求めに応えようとしない。いみじくもこの教会ではミサのたびに三択クイズで子供が聖堂内を走り回るというお遊びが繰り返されているといわれ、静謐な祈りの館は賑やかな劇場か集会場と化しています。

 この日も司教はミサ開始直前にジーパン姿で現れました。説教の事前準備も、肝心の宗教的基本知識も不十分で、十字架の前を横切るときに頭を下げもしない。説教のあとは駐車場で喫煙。それでいて政治に走る。キリストの弟子の後継者と位置づけられ、教皇と直結する司教のこの現実は、信徒の不信感をいやが上にもかき立てずにはおきません。


▢2 カトリシズムの荒廃


 司教たちの政治的暴走より深刻なのはほかならぬ信仰の衰微で、これこそが暴走の原因です。そして信仰の衰退は日本の教会に限った現象ではありません。

 日本でいち早く「カトリシズムの荒廃」を指摘したのは、信徒でもある澤田昭夫・筑波大学名誉教授でした。著書の『革新的保守主義のすすめ──進歩史観の終焉』(PHP研究所、1990年)によれば、全世界から2000人を超える聖職者が集い、「教会の現代化」をテーマに協議した第2バチカン公会議(1962〜65年)以後、「開かれた教会」が世界的に標榜されました。

 しかし実際は社会的抑圧者の視点で神学する「解放の神学」の妖気(ようき)に当てられ、会議の精神をかたって冒険主義に走り、改革ではなく革命的変革を試みる勢力が世界に広まりました。これが諸悪の根源で、カトリックの神髄である典礼、礼拝が非神聖化され、俗化され、秘跡の意義は見失われ、それらへの畏敬の念が失われた、と澤田氏は指摘します。

 先駆けはオランダで、66年に開催された全国司教会議以降、ローマの指示とはお構いなしに典礼、教理教育、司牧を自由に進め、その結果、バチカン会議の精神を掲げながら、まったく別物の教会と信仰が生まれました。

 アメリカでは76年に全国大会が開かれ、

「教皇にはアメリカへの介入権はない」

 とし、

「教会は伝統と手を切り、大衆運動団体に変質せよ」
「体制に抵抗せよ」
「人間化された社会主義的ユートピアを建設せよ」

 というスローガンを採択します。進歩派と反体制派が運営する、まさに革命大会でした。

 しかし、やがて「開かれた教会」は魅力を失い、ミサの参加率が低下し、多くの司祭が還俗しました。教会は取り壊され、レストランや映画館にとって代わられ、修道会もまた没落の運命を歩み、修道者の召命は減り、修道者が万単位で退会した、と澤田氏は報告しています。

 いま教会は信仰と組織の建て直しを進めています。先頭に立っているのは教皇ベネディクト16世です。

 2007年6月、教皇はブラジルを訪問しました。報道によれば、教皇はルラ大統領に宗教教育の実施などを要請し、純潔、禁欲の重要性、金銭執着、欲望の過剰などを排するカトリックの伝統的価値観の重要性を野外ミサで4万人の青年たちに説きました。

 ブラジル初の聖人フレイ・ガルバンの列聖式に臨み、400人の司祭たちに教会の再建を呼びかけ、世界最大の規模を持つラテンアメリカ・カリブ司教協議会では増大する貧富の格差を強調し、共産主義と資本主義の双方を批判するとともに、中南米で生まれた「解放の神学」は時代遅れと指摘し、福音宣教の強化を訴えた、と伝えられます。

 全世界11億人の信徒の半数がこの中南米地域に居住し、とくにブラジルには世界最多1億5000万人の信徒がいるといわれますが、近年はプロテスタントへの改宗や棄教が増え、1980年には国民の9割近くいた信徒が2000年には74%まで急減していると伝えられます。そうした教会の衰退への危機感が教皇を司牧訪問に駆り立てたのでしょう。

 しかし教皇の努力をまるであざ笑うかのようなニュースがこの直後に飛び込んできました。

 アメリカのロサンゼルス大司教区は7月、マホーニー司教は、多数の聖職者が数十年にもわたって信徒の子供たち508人を性的に虐待していた事実を認め、総額6億6000万ドル(約800億円)を支払うことで被害者らと和解したというのです。全米各地の教会で虐待事件が発覚し、和解が成立している中で、最高額の和解額といわれます。同教区は関連施設の売却や保険金などで巨額の和解金を捻出する、と伝えられます。

 なぜこうした不祥事が噴出するのか。じつはカトリックはまだしもで、プロテスタントの場合はさらに目を覆う惨状が繰り広げられています。たとえば、500年前の宗教改革期にカトリック教会から離脱、独立したイングランド教会(イギリス聖公会)を母教会として世界に広がるアングリカン・コミュニオンの現実を見てみましょう。


▢3 口火を切ったアメリカ聖公会


 2007年1月、アメリカのフォード元大統領の葬儀のミサが歴代大統領の参列のもと、ワシントン・ナショナル・カテドラルで行われました。

 市街地を見下ろす丘に建つ同カテドラルは

「全国民のための教会」

 と位置づけられるアメリカ聖公会の大聖堂で、独立戦争から間もないころの政府建設計画に

「祈り、感謝、葬儀などの国家目的に使用される教会」

 として創設が予定されていたほど、古い歴史があります。

 日米開戦後、聖堂では月例ミサが始まり、Holy Spirit ChapelはWar Shrineとして機能しました。ニクソン大統領時代の聖堂外陣完成式典には、旧宗主国イギリスの元首でイングランド教会の首長であるエリザベス女王や同教会の首座であるカンタベリー大主教が出席しました。歴代大統領の就任ミサもここで行われます。6年前の9.11同時テロ犠牲者を悼むミサも行われました。

 このようにアメリカ国家および国民の歴史と深く関わるアメリカ聖公会ですが、いま教勢の衰退という苦悩のただ中にあります。

 1967年には380万近くあった信徒数が、20年後の88年には220万人台に落ち込み、その後、回復の兆しが見えません。原因は、祈祷書が現代化され、女性が司祭や主教に叙任されるなど伝統が失われたこと、その一方で、政治的発言の多い教会の説教を信徒たちが敬遠した結果ともいわれます。

 しかも考えられないような事件や事故が頻発し、教会内は荒れ放題。組織は分裂し、教会内教会といわれる分派組織さえ生まれました。かつては信徒数、財力ともに有力だったアメリカ聖公会はいまやお荷物とされ、首座主教から2007年9月を期限とする最後通牒を突きつけられてさえいます。

 何しろ1994年には唯一神信仰にはあるまじき「異教礼拝」「多神教礼拝」が行われました。レズビアンの女性司祭ヘイウォードの司式で「ソフィア礼拝」なるものが捧げられたのは、ほかならぬ伝統あるマサチューセッツ州ケンブリッジの神学校でした。教会による家父長制支配からの解放を目論むフェミニストが持ち込んだのです。同神学校はいまやフェミニスト神学の牙城です。

 また、同じ年にサンフランシスコ主教座聖堂で開催された「女神の復興」と称するフェミニスト会議では、ヒンズーの女神、聖母マリア、黒いマドンナ、エジプトの女神イシスなどに礼拝が捧げられました。フェミニストのなかには「父と子と聖霊」ではなく「母と娘と聖霊」の三位一体を主張し、

「天におられる父─母よ」

と「主の祈り」を唱える人たちもいます。

 翌95年には大事件が起きました。

 1月半ば、やはりマサチューセッツ教区の最高位聖職者、61歳のジョンソン主教がピストル自殺を図ります。原因は秘書ら複数の女性との性的虐待を含む婚外性交渉と推測されています。その2週間後には、全米の財務責任者エレン・クックによる220万ドルに上る横領が発覚し、教会は上を下への大騒動に巻き込まれ、夫の牧師は辞任しました。

 けれども、かつて沖縄で長年にわたって司祭・主教を務めたこともある、アメリカ聖公会の最高責任者ブラウニング総裁主教は連続する不祥事に対する釈明すらしませんでした。このブラウニングこそ、

「教会はすべての人に開かれている。1人の落伍者も出してはならない」

 という聞こえのいい原則を掲げ、伝統を否定して女性主教を実現させ、今日の混乱を導いたのでした。

 翌年の96年にはカリフォルニア教区の主教スウィングが諸宗教の統合組織を作りました。

「国連(theUnited Nations)があるのだから、宗教統合(united religions)があってしかるべきだ」

 という宗教多元主義の組織化に他なりません。その一方で、司祭がブラジルから連れてきた少年たちと教会で性儀にふける様子が同じ年、男性雑誌「ペントハウス」にスクープされています。

 98年には修正主義者(revisionist)のイデオローグ、ニューアーク教区のスポング主教が、世界の主教が一堂に集うランベス会議を前に「新しい宗教改革のための12のテーゼ」を発表しました。

「有神論は死んでいる」
「キリスト教神学は破綻している」

 などと教会の教理と聖書の権威を否定しています。

 2003年には妻子がいる50代の同性愛者ロビンソンがニューハンプシャー教区の主教に叙任されました。州法の改正で同性愛者の結婚が合法化されたことから、ロビンソン主教はパートナーと「結婚」することにもなりました。

 神が一組の男女を夫婦とし、三位一体の神の内的な生命を映し出す婚姻の秘跡を高位聖職者みずから破るこの事件以後、教会を離れる信徒や、聖公会を離脱する教会が増え、離脱しないまでも教区への分担金を拒否する教会が急増し、多くの教会や教区が財政困難に陥りました。

 なかには「破産しそうだ」と悲鳴を上げる主教もいます。

 さらに2006年6月のアメリカ聖公会総会で、修正主義者といわれるキャサリン・ショーリ夫人が女性として初の総裁主教に選出されたころから混乱に拍車がかかりました。夫人は就任直後の礼拝で

「母なるイエスは新しい被造物を生み出されます」

 と説教したのをはじめ、聖書の権威や教会の信仰の根幹になる教理を否定する発言を繰り返し、スポングらの忠実な弟子として振る舞っていますが、

「同夫人の下では職務を遂行できない」

 と離脱する教会が続出しています。

 最近ではベニソン兄弟がお騒がせの舞台に登場しました。弟のカリフォルニア教区司祭ジョンによる少女虐待と兄のペンシルベニア教区主教チャールズによる献金の乱用が教会を賑わしています。

 そのほかインターネットの世界では、教会離脱、財政逼迫、あるいは離脱した教会の財産帰属をめぐる訴訟の情報が引きも切りません。それほど混乱が常態化しているのです。

 こうした現状に対する憂慮の声や批判は当然で、世界中に7000万人を超えるといわれるアングリカン・コミュニオンの中で唯一、急成長し、5000万人の信徒を誇る、アフリカ諸国を中心とする第三世界の聖公会は聖書の権威を重視する立場から、アメリカの惨状に厳しい批判を浴びせています。

 たとえばウガンダのオロンビ大主教は2007年7月、「アングリカニズムとは何か」という論文を発表しました。

「ほとんどの人はアングリカン・コミュニオンの危機を否定しない。だがその危機の性質が何かは分かっていない」。

 同性愛、一夫多妻、離婚、復讐の論理と戦い、殉教者までも出してきた母国の教会の歴史に立脚して、聖書と伝統から離れた先進国の信仰を非難しています。

 オロンビ大主教が指摘するように、改善の兆しは見えません。

 カンタベリー大主教はイングランド教会では霊的中心ですが、世界のアングリカン・コミュニオンに対する指揮監督権を持ちません。聖公会には世界のコミュニオンを拘束する普遍的な教会法や教義もありません。

 イングランド教会の首長であるイギリス女王は国内はともかく、他国の聖公会に対して法的な影響力を行使し得る立場にはありません。

 聖公会ではあくまで聖書と伝統の2つが、不文律としてコミュニオンの構成員の信仰を育んできました。改善が困難な原因はここにあります。

 それでも社会変化の少ない時代や、イングランド教会のように均質性の高い社会の教会では、大きな問題は起きなかったのですが、現代のような激動期に、社会の均質性が破られ、なおかつ多様性や包括性では許容しきれなくなったとき、教会の一致が揺らぎ、あるきっかけからコミュニオンに亀裂や内紛が生じる危険性があります。

 アングリカン・コミュニオンはまさにそのような危機に直面し、前述したようなカルト化の可能性さえ指摘されるほど苦悩しているのです。


▢4 日本聖公会の憂鬱


 時代の波は日本にも押し寄せました。この30年、日本聖公会はうち続く事件・事故にさいなまれています。

 2007年4月7日付の「キリスト新聞」は教会内の性的虐待事件2件を取り上げましたが、このうちの一件は80年代に日本聖公会京都教区内、奈良県下の教会で起きたものです。

 加害者のH司祭(牧師)は当時、京都にある牧師養成機関の教授で、同時に教区の最高責任者である主教の諮問に答える地位にあり、教会関連の教育機関の代表者をも務める、教会組織の中枢にいる高位聖職者でした。

 被害者である教会員の少女は、裁判記録などによると、11〜16歳までの多感な時期に、本来、神の言葉が語られる教会の礼拝堂や牧師館で、司祭から「大人になる儀式」と称して無体な虐待を受けたうえに、脈絡のない聖書の引用で呪縛をかけられ、口止めされていました。

「姦淫するなかれ」

 と聖書は教えていますが、「強姦以外のさまざまな性的虐待行為」(「牧師の性的虐待事件を考える」=「福音と世界」新教出版社、2006年11月号)が行われたといいます。

 被害者が成人後、警察や家族、司祭の妻に相談したことから事件が発覚し、司祭の妻は司祭に聖職者を辞めさせることを約束、司祭本人も被害者の父親に謝罪文を書いています。PTSD(心的外傷後ストレス障害)が昂じ、被害者が鎮痛剤などを大量服用して自殺未遂を図ったときには、搬送先の病院で司祭は被害者の父親に土下座したといわれます。その後、教区機関が退職を決定し、司祭は赴任先の教会を引き払いました。

 ところが、被害者の詳細な手記を教会関係者が読んだことが転機となったのか、H司祭は一転して事実無根を言い出します。そして、その言い分が丸呑みされ、京都教区はわずか10日で退職を撤回、司祭は復職しました。

 司祭および京都教区当局のこの不誠実な対応に怒った被害者の父親は2001年7月、奈良地裁に損害賠償請求の民事訴訟を起こします。一審は被害者側が敗訴、しかし二審の大阪高等裁判所は被害者の訴えを全面的に認め、慰謝料500万円満額の支払いを命じ、最高裁は上告を棄却、05年7月、原告全面勝訴が確定しました。なお事件は時効の成立で刑事事件としては立件されませんでした。

 事件の際立った特色は、由緒ある教会として認められ、立教大学や平安女学院などの著名な教育機関や聖路加国際病院など多くの社会事業施設を傘下に持ち、社会的評価の高い教団の中で起こり、しかも教団が終始、組織的に加害者に加担し、事実を隠蔽(いんぺい)してきたことです。

 加害者側は裁判で

「被害者には虚言癖・妄想癖がある」

 と主張し、教会関係者は偽証まがいの証言をくり返して、事件を葬り去ろうとしました。京都教区の責任者は、

「事実無根」

 と言い張る加害者の主張を鵜呑(うの)みにし、原告勝訴の高裁判決のあと、

「判決に憤りを感じる。強く抗議する」

 と声明文を出し、その後、新たに4人の女性が同様の被害を訴え出、マスコミが報道すると、京都教区主教があわてて記者会見し、謝罪するという醜態までさらしています。

 そればかりか、係争中の03年に行われた京都教区の主教選挙に、H司祭が立候補し、当選しなかったとはいえ最高得票を得ています。恥を知らないのはH司祭本人だけではありません。事件現場の教会を母教会とする信徒のネット配信やマスコミ報道による社会的指弾を浴びながら、教会は組織としての毅然たる対応をいまなお怠っています。

 悔い改めによる救いを信徒に教えながら、聖職者自身は悔い改めを拒み、責任を回避しています(京都教区の対応を糾す会HP。http://www.geocities.jp/asshor15/seikoukai.htmlなど)。

 事件はまだほかにもあります。

 沖縄では1950年代に信徒たちとアメリカ人宣教師たちが沖縄戦で戦死した20万人を超える兵士や民間人の鎮魂のためにと建設、献堂した諸魂教会(All Souls’Church)が十数年前、売却、移転されました。やむを得ない事情があるのならまだしも、50億とも、それ以上ともいわれる高額な土地取引には国土法違反の疑いがかけられ、裏世界とのつながりも噂されています。

 聖公会の広報紙「聖公会新聞」で疑惑を報道した編集長は独裁国家の言論弾圧さながら、口封じのため解任されました。編集長は解任後、教会を告発するリポート「諸悪の根源は主教制──日本聖公会の内幕」を世に問いましたが、教会は梨(なし)の礫(つぶて)です。

 東京教区ではバブル期に港区の一等地にあった歴史ある修女会の敷地が300億ともいわれる高値で売却され、郊外に移転しました。この世の一切を捨てた修道者が大金を所有してマモン(富)を礼拝しているがごとき振る舞いは信仰の躓きとなっています。

 また7年前には教区財務主事による1億円近い献金の横領が発覚し、刑事告発されるという事件が起きましたが、京都の事件と同様、臭いものに蓋をするような沈静化が図られています。

 聖公会の由緒ある女子校で校内不倫を繰り返していた聖書の教師が聖職に志願したのを教会当局はすべて承知のうえで受理し、また同性愛(ゲイ)を公言している妻子持ちの男性が司祭に叙任され、そのあと名前を女性名に変えたという事例も聞かれます。

 一方で、聖職者たちの社会問題への関心は高く、マスコミ報道に流されるまま、アパルトヘイト反対、戦争反対を機関決議し、政府に決議文を送り続けてきました。けれども中国共産党の一党独裁や北朝鮮の暴政、スーダン・ダルフールの虐殺には口をつぐんでおり、公正さを欠いています。

 天皇制には批判的で、昭和天皇が最晩年、病床にあったとき、全国の聖公会を取り仕切る管区事務所は

「天皇のために祈るな」

 という趣旨の通達を事務方の最高責任者である総主事名で出していますが、母教会のイングランド教会が女王陛下を首長と戴き、戴冠式などの国家的行事が国教会の方式で行われることなどへの批判はありません。

 靖国問題もしかりで、執拗な批判が繰り返される半面、イングランド教会が戦没者のために祈りを捧げていることは無批判に受け入れられています。論理が一貫しません。

 教会では音楽会など各種イヴェントが花盛りで、ボランティア活動も盛んですが、教会で配布される印刷物に信仰的内容は稀薄です。信仰を失った共同体に大小の不詳事が頻発すれば、信仰を求める信徒ほど離れていきます。そのうえさらに少子高齢化の波が襲えば、底力がない教会はひとたまりもありません。


▢5 宗教を語るは宗教家にあらず


 キリスト教は規範意識の高い宗教です。その規範はヒエラルキーとしての所与の規範です。人間の世界を超えた天上の世界に連なるヒエラルキーがキリスト教の規範です。キリスト教の信仰は人間の思想的営為の末にたどり着いたのではなく、神与・神定のものであって、人間が信仰の根幹たるヒエラルキーに手を加えることはできません。

 もしその禁を犯せば、相対主義・世俗主義・人間中心主義への坂を転がり落ちることになります。ヒエラルキーを失えば、説教者は神を語ることができなくなり、信仰とは無縁の政治的アジテーションに走り、説教は個人的体験談や自慢話に堕することになります。

 いきおい聖職者は福音宣教ではなく、会議やボランティア活動、付帯事業に精を出し、自分が素人であることも忘れて、学校経営や社会事業に心血を注ぎます。時代遅れの左翼イデオロギーを吹き込まれ、弱者救済の幻想に駆られ、神不在の傲岸(ごうがん)不遜な政治活動にうつつを抜かす。

 逆に、自分に正直な人はアイデンティティを失って鬱状態になり、自殺を図ったり、聖職者の道を離れることもあります。そして教会は溶解していくのです。

 カトリック教会にはまだ可能性があります。聖書のほかに、世界に普遍的な教会法と、教理を詳述したカテキズムがあり、伝統と教理を体現する最高権威としての教皇がおられ、明示的な形で強固なヒエラルキーがあるからです。信仰の規範を前提にした論戦を教会内で交えることも可能です。

 しかし宗教改革時、国王ヘンリー8世の離婚問題を機に成立した聖公会は、これらを捨て去ってしまいました。そのツケがいま、信仰を押しつぶす世俗化の荒波となって教会に襲いかかっています。以前からアメリカ聖公会の内外でanything goes(何でもあれの)教会と酷評されているほどで、遅まきながら、「聖公会契約(Anglican Covenant)」作成の作業が始まり、アングリカン・コミュニオンに普遍的な教会法を制定しようという前向きの意見もありますが、いまさら、との印象はぬぐえません。

 かくまでに旧教、新教ともキリスト教会は病んでいますが、信仰が地に墜ちているのはキリスト教に限りません。

 昨年の春、マスメディアは、いまや「世界遺産」となった比叡山延暦寺の高僧たちが、指定暴力団の歴代組長の法要が営まれた「問題」の責任をとって、辞任したことを伝えました。「新組長の威力誇示と資金集めが目的」と見る警察が前日、中止を求めましたが、寺側は

「大規模な法要を直前に断れない」

 と判断し、法要は予定通り営まれたのでした。

 仏教界では30年前、

「暴力団の資金集めなどに利用される葬儀・法要は拒否しよう」

 という共同声明を出しているといいます。警察が法要を「威力誇示、資金集め」と見なし、暴力団を追いつめようとするのは警察としては当然ですが、宗教者はなぜ葬儀・法要を「拒否」しなければならないのか。誰であれ、等しく回向(えこう)を手向けるのが仏教者の務めのはずです。高僧たちは、一視同仁、分け隔てなく死者を弔う仏教精神をこそ主張すべきで、「共同声明」を根拠とした引責辞任は宗教的態度とはいえません。

 むしろ聖職者として問われるのは、高僧たちが法要の場で参列した九十人の暴力団関係者に何を語ったのか、でしょう。不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)という在家の五戒について講話し、一切衆生を教え導く僧侶の務めを果たしたのかどうか。

 文化庁発行の『宗教年鑑』では統計上、65万人にもおよぶ宗教家(教師)が日本全国にいることになっていますが、「宗教の時代」といわれる今日、宗教家の名にふさわしい宗教家にめぐり会うことはじつに至難です。

 宗教家自身が宗教精神を失い、宗教を語ることを怠っているのではないか、という疑いを抱かせる典型例として思い浮かぶのは、地球環境問題が人類共通の課題となっている今日、自然を慈しみ、ものを大切にする「もったいない」という日本の伝統的精神文化を世界に伝え、広めたのは日本の宗教家ではなく、環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した、ケニア出身の環境保護活動家ワンガリ・マータイさんであり、靖国参拝で一部の宗教者たちにきわめて不人気な小泉首相だったという皮肉な事実です。

 マータイさんは日本のジャーナリストによるインタビューで「もったいない」という日本語と考え方を知り、深く感銘し、小泉首相との会談で

「世界に広めたい」

 と語りました。首相もまた愛知万博(「愛・地球博」)の開会式で

「『もったいない』を万博を通じて広めたい」

 と述べ、キャンペーンが展開されたのです。

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