SSブログ

政教分離、教科書検定、ほか。 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年11月8日木曜日)からの転載です


◇先月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
今週発行の第4号のテーマは「女性天皇を認めなかった明治の皇室典範」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/

「軍事情報」にも紹介されました。ありがたいことです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000049253/109083417.html

宮崎正弘先生の「国際ニュース・早読み」にも取り上げていただきました。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3875805/



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「苫小牧民報」11月7日、「市有地を神社に無償貸し付け」
http://www.tomamin.co.jp/2007/tp071107.htm#t5

 記事によると、6日の苫小牧市議会で市の土地が市内の6つの神社に無償で貸与されていることが取り上げられ、

「政教分離の基本原則から、神社に無償で貸し付けるのは正しい在り方か」

 という渡辺満氏(共産)の指摘に対して、市側は

「不適切な状態」であることを認める答弁をしたのだそうです。

 北海道ではすでに、砂川市の市有地ある(あった)神社2社が反ヤスクニ派の標的にされ、訴訟に巻き込まれています。

 このうちの一社は、市発祥の地・空知太(そらちぶと)に鎮まる空知太神社です。この地方最古の社ともいわれ、移住してきた開拓民は必ず参拝し、成功を祈願したとされます。

 境内には当時の総代理人や農会長、郵便局長などを歴任した開拓功労者の碑や明治期の道路開鑿工事で犠牲になった囚人たちを慰霊する記念碑などが建っていますが、宗教法人ではない、神職も常駐しない、住民らに守られてきた村の鎮守です(『砂川市史』など)。

 入植から百年、地域の守り神はなぜ係争の対象となったのでしょうか。

 歴史的に見ると、全国に約8万社あるといわれる一般の神社の場合、これはお寺も同様ですが、明治維新後、上知令によって社寺境内地が国有化されました。

 空知太神社の場合は、裁判の判決文などによると、明治25年ごろ、開拓民たちが五穀豊穣を願って、いまは小学校がある隣接地に祠を置いたことに歴史が始まります。その後、北海道庁に境内地約3000坪の御貸下願を提出して認められ、神社が建てられます。神社の維持管理は地域の青年たちが当たりました。

 最初から公有地にあったのでした。小学校が建設されたのは10年後です。

 新たな展開は終戦後のことでした。国家管理の廃止で、一般の神社は国有境内地の払い下げを受けましたが、空知太神社はこの制度変革に洩れてしまったようです。昭和23年ごろには小学校の拡張計画が持ち上がり、隣の神社境内地に白羽の矢が立ちました。境内地を学校用地にするには神社の移転先を確保する必要があります。そこに現れたのがEさんでした。近接する私有地が無償提供され、神社は移転しました。

 ところがEさんには固定資産税などの負担が残りました。そこで28年、Eさんは砂川町(当時)に境内地寄付の願い出をし、翌年、町議会は土地の受け入れと境内地を無償で使用させることを議決します。こうして公有地内の神社という現在の構図が生まれました。

 さらに45年になって、今度は境内地とその周辺地(北海土地改良区の所有、のちに市の所有地になる)を建設用地として、町内会館が空知太部落連合会によって建てられます。併行して神社は改修され、会館内に祠が遷されるとともに、鳥居が建てられました。市はこの会館建設などに補助金を支出しています。

 反ヤスクニ派の運動家が、靖国神社とは直接結びつかない、この神社に目をつけ、立て続けに裁判闘争を仕掛けてきたのは、平成10年ごろのことでした。一連の小泉靖国参拝訴訟の次に狙い撃ちにされているようで、この神社以外にも、長野・信州大学構内神社について訴訟が起こり、北海道ではほかの神社へ飛び火、拡大しそうな気配があります。

「公有地内の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」というのがその言い分です。

 地元紙の報道によれば、10年秋、「市有地に神社があるのは政教分離違反」として滝川平和遺族会が空知太神社に関する公開質問状と抗議文を市に提出しました。翌年2月には同遺族会会長と中国帰還者連絡会活動家の2人が、

「市民祭りの際に同社で神事が斎行され、公費が支出されているのは政教分離違反」

 と主張し、さらに15年末には

「神社に市有地を提供しているのは違憲」

 として監査請求します。しかしいずれも言い分が認められなかったことから、16年春、2人は神社の撤去を求める住民訴訟を札幌地裁に起こします。

 札幌地裁は18年3月、

「宗教施設があることを知りつつ、市が土地を取得した目的は宗教的意義を有する」

「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を所有させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」

 などとする判断を示し、祠などの撤去を勧めました。二審の札幌高裁も19年5月末、

「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」

 との判決を下しました。市側は

「会館建設で宗教性が失われている」

「市有地利用の目的はもっぱら世俗的」

 などと主張しましたが、

「同神社は宗教施設」

「施設での神式行事は宗教的行為」

 と認定されたのでした。

 判決はいずれも目的効果論に立ち、公機関の宗教との関わりが全面禁止されているわけではないと断りつつ、実質的には国家の宗教的中立性ではなく、無色中立性を求める絶対分離主義に近い厳格な判断をしているようです。小さな祠でも宗教施設であり、公有地内にあるならば違憲だというのなら、とくに北海道では未公認神社がかなりの数に上るようですから、判決の影響は少なくありません。

 神社だけではありません。

 東京都慰霊堂では都の外郭団体が主催して、仏教教団持ち回りの慰霊法要が営まれています。長崎の二十六聖人記念館および巨大レリーフは宣教団が市有地に建てたもので、記念館は土地の無償使用が認められ、市に寄贈されたレリーフの前では野外ミサが挙げられます。岩手県奥州市の後藤寿庵廟では教会が主催する祈願祭に市長が参列し、ご祝儀を支出しています。

 このほか、公営墓地・斎場も、緩やかな政教分離主義の立場で認められていることが、絶対分離主義に立てば、違反と判断せざるを得なくなるでしょう。

 憲法学者の小嶋和司・東北大学教授(故人)は、こう語っています。

「民間信仰の表現としての地蔵や庚申塚が公有地の隅に存することも容認しないほど、憲法は不寛容と解すべきであるのか。それなら、キリシタン顕彰碑の設置も違憲で、社寺の祭礼行事のための行動交通規制も問題となろう。それで『信教の自由』を保障する憲法の精神は損なわれず、公共団体もその設置目的を十分果たすことになるのであろうか。純粋な徹底的『政教分離』要求が適当な社会生活を保障するとは考えがたい」

 空知太神社訴訟を起こした2人のうち、平和遺族会会長は前年の市長選に共産党推薦で立候補しているそうですが、今度の苫小牧の問題では共産党市議が火付け役のようです。神社への市有地貸与を違憲だとする主張は、信教の自由を保障しようという発想とは異なる、公的空間からいっさいの宗教性を排除し、宗教伝統を破壊しようという無神論的な政治的発想と結びついているのではないでしょうか。


2、「読売新聞」11月7日、「永住外国人への地方参政権要求、韓国民団が決起大会」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071107i415.htm

 記事によると、鄭進(チョン・ジン)団長は「地方参政権の獲得は住民の権利。一日も早く国会で法案成立を」などと述べ、各政党の出席者に要望書を手渡したそうです。


3、「時事ネット」11月8日、「米で心臓移植の意向。ポーランドのワレサ元大統領」
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007110800014

 記事によると、熱心なカトリック教徒のワレサ氏は、

「わたしが恐れるのは神。そして妻も少しだけ」

 とジョークを交え、手術への不安を否定したそうです。手術の成功を祈ります。


4、「日経ネット」11月7日、「『文科省は検定意見撤回を』、沖縄戦記述で教科書執筆者ら」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071107AT1G0702707112007.html

 記事によれば、執筆者らは

「検定は内容も手続も正常ではなく、撤回すべきだ」

 という声明を発表したのだそうです。

 要するに、検定をやめ、自由に教科書をつくらせよ、という要求でしょう。そこまでいうのなら、記事も匿名ではなく、どういう人たちが要求しているのか、明記すべきではないでしょうか。

 自由に教科書を作れるなら、それに越したことはないでしょうが、誤字・誤植はもちろん、およそ歴史家が書いたとは思えない、間違いだらけのような白表紙本などを見れば、いかに画餅に過ぎないか、一目瞭然でしょう。

 たとえば三省堂の『日本史A』の白表紙本、130頁には、

「また、冷戦の進行とともに、岸信介ら残りのA級戦犯は、裁判にかけられずに釈放された」

 とあり、案の定、

「説明不足で理解しがたい表現」

 との意見を付され、削除しています。

 実教出版の『日本史B』の白表紙本、209頁には、

「男女というあらかじめ決定された性差(ジェンダー)ではなく」

 という記述があり、

「誤解するおそれがある」

 と指摘され、

「社会的につくられた男女の性差(ジェンダー)にとらわれることなく」と書き換えています。

 これらを見れば、現在の教科書はかならずしも豊かな知識と深い見識のある歴史の専門家が書いているわけではないことが分かります。

 歴史のエキスパートでなくても教科書編纂に参加でき、添削や校正までしてもらえるいまの制度は、逆に恵まれているとさえいえます。目の前で続いている騒動は論外として、教科書を正常化するに必要なのは、この記事で執筆者らが主張するように、検定をやめることではないでしょう。そうではなく、歴史の知識はいわずもがな、広い視野と教育的情熱をもったほんものの歴史家が教科書を編纂することではないかと思いますが、いかがでしょうか。


5、「日経BP」11月6日、「マスコミが書かない『イラク情勢の好転』、古森義久」
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/61/

 意外や意外、イラクの治安状況が好転してきたのだという。テロや戦闘による戦死・戦傷が減っているのですが、その背景にはスンニ派が基本方針を変えて、米軍やイラク政府に協力するようになったことが挙げられているのだそうです。


6、「中国新聞ニュース」11月7日、「皇居・宮殿にはじめて盲導犬、伝達式の受賞者とともに」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200711070344.html

 秋の叙勲で旭日双光章を受賞した元京都視覚障害者協会長の福島慎一さんが伝達式のために、盲導犬ルカといっしょに宮殿「豊明殿」に入りました。陛下は福島さんの手を握りながら、ルカの様子をたずねられ、ルカは式の間、福島さんの脇できちんとお座りしていたと記事は伝えています。


7、「朝日新聞」11月7日、「教科書訂正申請、『文科省は受け入れを』。執筆者が声明」
http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200711070327.html

 教科書の執筆者たちの集まりが7日、

「学問的・教育的良心にもとづいた訂正申請を文部科学省は受け入れるべきだ」

 とする声明を出したのだそうですが、集団自決を「軍の強制」だとすることが「学問的・教育的良心」に基づいているのか否か、が問われているのではないのでしょうか。

 この記事でも、日本史小委メンバーの波多野澄雄・筑波大副学長(国際関係史)が取材に対して、

「最近の学説は集団自決が広範囲で起き、日本軍の強制がすべての原因とは言えないという証言を考慮している」

 との理由で検定意見に異論を唱えなかったと説明したと書いています。

「強制」を認めることが学問的、教育的なのか、認めないことが学問的、教育的なのか。

 記事によると、検定に関する文科省の審議会は、専門家からも意見を聞き年内に可否を判断する方針だそうです。

 蛇足ですが、波多野副学長は検定後、

「今度は日本軍と集団自決のかかわりがあまりになくなっていた。学校で使われる前に訂正されるのは適切だ」

 と話している、と記事にありますが、そうでしょうか。

 たとえば、『高校日本史B』(実教出版)は、「第8章 大日本帝国の展開 15日本の敗戦 15年戦争は何をもたらしたか」で、検定前は

「この過程で日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いをさせ、八百人以上の犠牲者を出した」

 とあったのが、

「日本軍は県民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したりした。また、日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いが起こった」

 と修正されました。

 強制性は削除されましたが、軍の関与の事実は認めています。


 以上、本日の気になるニュースでした。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。