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戦没者追悼記念日、拉致問題、海づくり大会。 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年11月11日日曜日)からの転載です


◇先月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
先週発行の第4号のテーマは「女性天皇を認めなかった明治の皇室典範」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/

「軍事情報」にも紹介されました。ありがたいことです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000049253/109083417.html

宮崎正弘先生の「国際ニュース・早読み」にも取り上げていただきました。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3875805/



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「BBC NEWS」11月11日、「Nation poised to honour war dead」
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7089225.stm

 今日11月11日はイギリスでは Remembrance Sunday(戦没者追悼記念日) で、午前11時から沈黙の祈りに包まれました。

 多くの国民的惨禍をもたらした第一次大戦の休戦協定発効が1918(大正7)年11月11日の午前11時だったことから、毎年この日に近い日曜日が国をあげて戦没者に謝意を表する日と定められ、ロンドンの中心にそびえる、ただ「The Glorious Dead(英霊)」と刻まれただけの記念碑セノタフ(Cenotaph)を会場に式典が行われ、「2分間の沈黙(A two-minute silence)」(=黙祷)に続いて、元首たるエリザベス二世が花環を捧げました。

 日本では、近代国家成立後、国に一命を捧げた戦没者を慰霊する国家的中心施設として靖国神社が明治2(1869)年に東京招魂社として創建されましたが、イギリスでは国家的な施設が整備され、式典が実施されるようになったのは、この半世紀後、第一次大戦後だったようです。

 セノタフは、1919年7月の講和記念式のために、ロイド=ジョージ首相(1863〜1945)の要請で建てられたのですが、そのときは木と漆喰(しっくい)製で、一時的なものでした。やがて恒久的施設の建設を望む国民の声が高まり、イギリス政府を動かし、内閣は英霊を追悼する戦没者記念碑の「再建(re-erect)」を決定したと当時の新聞に書かれています。

「二分間の沈黙」は、最初の戦没者追悼記念日(休戦記念日。Armistice Day)を数日後に控えて、国王ジョージ五世(1865〜1936)が国民に「二分間の停止(Two Minutes' Pause from Work)」を要求したのが発端でした。

 11月7日付のタイムズ紙にその要請文が載っています。

──わが臣民へ。
 来る11月11日(火曜日)は、最初の休戦記念日である。それはすなわち、4年にわたる世界規模の惨劇が終わりを告げ、権利と自由の勝利が記された日である。
 偉大なる解放の記憶、および解放を成し遂げるためにを命をなげうった人々を永遠に記憶にとどめることを、帝国中のわが臣民すべてが強く願っていると私は信じる。
 この感情の普遍的表現の機会として、休戦が発効した11月11日の11時に、わずか二分間、普段の行動を完全に停止することを強く希望する。
 その間、このことの実行が不可能なごくわずかな例外を除いて、すべての仕事(作業)、すべての音、すべての交通機関を止め、完全な静寂の中で、すべての人々は思いを英霊への敬虔な追憶に集中させよ。
 手が込んだ組織は必要なかろう。
 それぞれの事情に合わせて容易に決められる合図に従い、何事であれ、仕事や余暇をよろこんで中断し、沈黙と追憶の簡素な儀式で一体化できると私は信じる。

 こうして国王の呼びかけに応じて、仕事の手を休め、交通機関を停止させ、沈黙の祈りを捧げる戦没者追悼の儀礼は始まったのです。

 なぜこのような儀礼が始まったのか、よく分かりませんが、7年前の大正元(1912)年に行われた明治天皇の御大喪での「三分間の沈黙」ときわめてよく似ていることには驚かされます。何か関係があるのでしょうか。もしかして、日本の追悼儀礼がイギリスに影響を与えたということがあるのかどうか。

 1919年11月12日付のタイムズ紙は、第一次世界大戦休戦一周年で大群衆による感謝の祈りに包まれ、花に埋まった前日のセノタフのようすを次のように描写しています。

──花輪がセノタフの台座にたちまち積み上げられた。花屋が作り出しうるもっとも高価な供花から地味な花束まであらゆる花がある。騎馬警官はバッキンガム宮殿から花輪を携えてやってくるゴッドフリー=フォーセット卿とウィグラム大佐のために道を空けなければならなかった。花輪は月桂樹の葉と黄色い永久花の花束で作られ、幅の広い深紅のリボンが結ばれて、国王陛下直筆のカードが添えられていた。
「英霊をしのんで。国王と王妃より。1919年11月11日」
 11時15分前、ロイド=ジョージ首相は、献辞が添えられた赤いバラの花輪をセノタフにおいた。
「亡くなった人々に、私たちがより多くの生を享けているという感謝のささやかな印。D・ロイド=ジョージ」
 もうひとつ注目すべき花輪は、白いバラと白いユリ、白いヒース(エリカ)で構成されていた。フランス軍の水兵と兵士が捧げたもので、以下の言葉が添えられていた。
「フランス共和国大統領から、名誉の戦場にたおれたイギリス軍水兵と兵士に」
 一方、ロンドン市長の公邸マンション・ハウスでは、感動的かつきわめて宗教的な野外礼拝が行われた。
 11時までの15分間、救世軍本部バンドが市長公邸のバルコニーで演奏し、その間、交通はほとんど完全に止まった。何千という人々があらゆるところから集まり、群衆はどんどんふくれあがる。市長が公邸のバルコニーに姿をあらわす。
 11時15分前、救世軍バンドが讃美歌「わが魂を愛するイエスよ」を演奏し、巨大な群衆が歌い出す。歌声が街々に広がり、あたかもロンドンの町が歌っているかのようだ。
 さらに感動的なのは「主よ、みもとに近づかん」の歌である。そして数千の人々がすばらしい讃美歌を歌い始めた。
 すぎにし昔も きたる世々も
 主はわが助けぞ わが望みぞ
 花火が打ち上げられ、時計台の時計が11時を告げると、ロンドン市長は両手を挙げて、沈黙を命じた。救世軍兵士が「軍葬ラッパ」を演奏する。敬虔で感動に満ちた停止、その間、多くの涙が流れた。二分間が経過し、救世軍バンドが聖歌を演奏する。救世軍中将がバルコニーで短い祈りを捧げる。最後に国歌が演奏された。

 いまではセノタフの儀礼はイギリス国教会が関与していますが、この年のロンドン市長公邸での礼拝は救世軍が執り行っていることが注目されます。救世軍は19世紀後半にイギリスのメソジスト派牧師夫婦が設立した軍隊風の伝道組織です。

 以上のようにして始まったイギリスの戦没者追悼の儀礼は、イギリスの宗教伝統にのっとり、きわめて宗教的に国を挙げて行われています。

 戦没者追悼の儀礼としては日本の方がはるかに歴史が古いはずですが、置かれている状況の違いに愕然とするのは、私だけでしょうか。日本では宗教伝統に基づいて追悼儀礼を行うことをしてはならないと、一部とはいえ、ほかならぬ宗教者自身が主張しているのですから。

 イギリスの戦没者追悼についてはこちらをどうぞ。
http://www.bbc.co.uk/religion/remembrance/


2、「東京新聞」11月10日、「中国で先天異常が急増。環境汚染の影響指摘」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007111001000380.html

 中国のメディアによると、「先天異常の子が30秒に1人誕生し、状況は年々悪化している」のだそうです。


3、「東京新聞」11月8日、「拉致解決へ支援できず。3月、安倍氏見解を封印」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007110801000477.html

 安倍首相が慰安婦問題に関する強硬姿勢を修正したのは、「このままでは拉致問題で日本を支援できなくなる」と駐日大使が警告したからだというのです。

 さっそく韓国の中央日報は「アメリカの圧力」と伝えています。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=92724&servcode=200§code=200

 外圧に弱いという欠点を見透かされ、北朝鮮の戦略にはまったということでしょうか。高笑いが聞こえてきそうです。

 味をしめたのか、慰安婦たちはオランダのほか、欧州議会にも対日謝罪要求決議をするよう訴えているようです。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007110700089

 東亜日報は、涙ながらの慰安婦の告白が「欧州議会を泣かせた」と伝えています。
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007110801618


4、「福井新聞」11月11日、「陛下、『外来魚繁殖心が痛む』。琵琶湖畔で異例のお言葉」
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news4/article.php?topicsid=9&pack=CN&storyid=53277

 琵琶湖で開かれた豊かな海づくり大会に出席された天皇陛下は、外来魚の異常繁殖に言及するお言葉を述べられました。


5、「朝日新聞」11月11日、「光明皇后の衣裳、現代なら? 奈良でファションショー」
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200711100065.html

 記事によると、「聖武天皇の妻で社会的弱者を救済した光明皇后に光を当てる催し」なのだそうです。「天皇の妻」という表現が何とも朝日的といわれる所以でしょうか。

 図書館側の説明はこちらです。2010年は平城遷都1300年で、さらに天平の華、光明皇后の1250年遠忌だということから、さまざまなイベントなどが開かれているのだそうです。
http://www.library.pref.nara.jp/event/koen.html


6、「MNS産経ニュース」11月11日、「福島香織。さまよえる中国式『民主』」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071111/chn0711110301001-n1.htm

 先月の党大会の政治報告で、胡錦涛は何度も「民主」を繰り返したが、どうやら「デモクラシー」ではないらしい。中国には「4つの民主」があるというのだから、驚いてしまいます。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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