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イスラムの怒りはなぜ収まらないのか、ほか [イスラム]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月3日月曜日)からの転載です


◇10月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
先週発行の第7号のテーマは「白酒と黒酒──新嘗祭に捧げられる2種類の神酒」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「AFPBB News」12月2日、「テディベアに『ムハンマド』で禁固刑の英語教師の恩赦求め英上院議員がスーダン入り」
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2320409/2421265

 テディベア事件が沈静化しないようです。イスラム教徒のイギリス上院議員がスーダン大統領への面会を求めています。

 スーダンのイスラム教徒たちの怒りはなぜ収まらないのでしょうか。以前、デンマークで起きた風刺漫画事件のとき、複数のイスラム教徒に取材したことがあります。

 そのときの話を総合すると、第一にイスラム教ではユダヤ教やキリスト教と同様、唯一神が信仰され、偶像崇拝が禁止されます。偶像禁止は「万物を創造した絶対唯一で無二の超越者」への信仰から導かれ、時空の創造者であり、時空に拘束されないアッラーを具象化することは不可能であり、具象化は信仰に反するとされています。

 ユダヤ教やキリスト教と異なるのは、偶像崇拝の禁止がより徹底していて、具象的な宗教的絵画や彫刻までもが禁止されていることです。キリスト教世界ではイエス・キリストを題材に絵画や彫刻、映画などが作られますが、イスラムではムハンマドを具象化することは認められていません。30年前に中東で製作された『ザ・メッセージ──砂漠の旋風』はムハンマドを主人公にした唯一の映画といわれますが、ムハンマド役の俳優は登場しません。

 日本でも10年ほど前、大手出版社がムハンマドを漫画にし、そして事件が起きたことがありました。

 当時の報道によれば、小学生向けの学習漫画『世界の歴史』シリーズの第7巻「イスラム帝国と預言者マホメット」に、ターバン姿のムハンマドが描かれていました。イスラム団体が「信仰を傷つける」と抗議し、同社は謝罪の上、出荷を取りやめ、流通していた約1000部を回収しました。7巻は「西ヨーロッパの成立とカール大帝」に差し替えられました。

 イスラム教はイスラム教徒への教えであって、異教徒にまで遵守を求めるべきではありません。実際、イスラム教徒が異教徒に禁酒の戒律を要求したりはしませんが、「ムハンマドは別」のようです。

 コーランに登場する24人の預言者の中でもっとも偉大な最終預言者と信じられているからです。信仰告白の「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはその使徒である」が端的に示しているように、ムハンマドを最後の預言者と信じることはイスラムの信仰の神髄です。ムハンマドへの信仰が「表現の自由」という、いわばキリスト教文化圏の思想によって侵されることに、イスラム教徒は耐えられないのです。

 ましてやムハンマドが中傷されることはとうてい許されないのです。

 約20年前、イギリスの作家サルマン・ラシディがムハンマドの生涯を題材にした小説『悪魔の詩』を書きました。イスラムへの揶揄がちりばめられていたため、イランのイスラム指導者ホメイニは「ムハンマドとイスラム教を冒涜した」として「死刑宣告」をしました。イタリアでは翻訳者らが襲撃され、日本でも翻訳した大学教授が何者かに殺害されるという事件が起きました。

 先述した日本の出版社の事件では、版元が折れて、事態は理性的に収拾されましたが、ラシディはいまなお警察の保護下にあるともいわれます。

 しかし、風刺漫画事件もそうでしたが、いくらイスラムの教えを分析しても、抗議行動の激しさは説明しきれないのではないかと思います。なぜなのか。

 イスラム教徒による破壊といえば、アフガニスタン・バーミアンの仏教遺跡爆破が思い起こされます。世界最大の石仏はイスラム原理主義政権タリバンによって数年前、完全に破壊されました。しかしイスラム教が偶像を禁止しているとはいえ、破壊を教えているわけではないことは、エジプトのスフィンクスがイスラム時代にも守られたことから理解されます。つまり破壊行為は宗教的理由では説明できません。

 スーダンでの事件は今後、どこまで発展するのでしょう。もしかすると、何か別の要素が見えてくるかも知れません。


2、「MNS産経ニュース」12月2日、「米情報機関、中国の核戦略開発を過大評価。ニクソン政権時」
http://sankei.jp.msn.com/world/america/071202/amr0712021913002-n1.htm

 過大評価がニクソン訪中、関係改善へとつながった、ということでしょうか。逆にいえば、当時、中ソ対立の恐怖におびえていた中国は、ニクソン政権に「過大評価」させることにまんまと成功したということなのでしょう。

 相手が見えずに対応を誤ることは人間の常ですが、国際政治の世界では取り返しの付かないような失敗を犯すこともままあります。大量兵器があるとして、アメリカがイラク攻撃に踏み切ったのもそうでしょうし、かつて占領軍が「国家神道」を「軍国主義、超国家主義」の主要な源泉と見て、被占領国の宗教に干渉してはならないとする国際法に違反し、神道撲滅運動に血道を上げたのも、「国家神道」を過大評価していたからなのでしょう。

 占領軍は、「国家神道」が狂信的宗教であり、その中心施設こと靖国神社だと本気で考えていたようです。日本にやってきたアメリカ人はどれほど狂信的なのか、見定めようと、昭和20年11月の臨時招魂祭・合祀祭を従来の形式でやるよう求めました。自由に泳がせてみて、その結果から存廃を判断しようというのでした(小林健三ら『招魂社成立史の研究』昭和44年)。

 軍楽演奏をすることなど心配する向きもありましたが、結果はまったく逆で、「たいへん荘厳でよかった」と好評でした。

 さらにこんなこともありました。直会の席で、ダイク准将は「職員は何人いるか?」「職員に召集はあるのか?」と聞いたといいます。

 「靖国神社の職員でも、何らの特典はなく、一般と同じように普通の兵卒として応召がある」

 どうやらアメリカは靖国神社の職員が戦争指導の中心にいるものと本気で考えていたようです。神道指導者が世界的戦争を直接、指導する立場にいたのだとすれば、それこそ国家神道です。

 しかしそんな事実はまったくありません。こうして占領軍は自分たちが風車に立ち向かうドン・キホーテであったことを知ることになったのでしょう。

 占領前期には駅の注連縄や門松までも撤去したのに、占領後期になると、そのような神道敵視政策はとられなくなり、松平参議院議長の参議院葬は神式で行われ、吉田茂首相の靖国参拝も認められるようになったのでした。

 しかしなぜ占領軍はドン・キホーテを演じてしまったのか、は謎のまま残ったのです。ニクソンはなぜ誤ったのか、と同様、大きな研究テーマです。


3、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」12月3日、「M15(英国情報局保安部)が銀行に警告、『中国国有企業の金融活動に警戒せよ』」
http://www.melma.com/backnumber_45206_3921192/

 中国が各国に政治的謀略資金をばらまいている、というのでイギリスの特定銀行に対して、異例の警告を発したのだそうです。

 各国とも警戒に努めているようですが、日本は無防備です。イージス艦まで見せようとしたのですから。

4、「MNS産経ニュース」12月2日、「対中円借款に感謝。唐家セン氏」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071202/chn0712021829003-n1.htm

 温家宝は「感謝」しなかったが、立場の異なる、そして日本よく知る唐家センは「感謝」の言葉を述べた。心憎いばかりです。

 それにしても何人もの大臣が連れだって訪中し、昔の政治家と会談してどうするつもりなんでしょう。他に会ってくれる要人がいないんでしょうか。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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