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知られざる「さば」の行事 [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月4日火曜日)からの転載です


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斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.8
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第8回「知られざる『さば』の行事」−明治時代まで1000年以上続いた天皇の祈り−


▼飢えた民が1人でもいるのは申し訳ない

 古代から明治時代まで、じつに1000年にもわたって続いた、「さば」と呼ばれる皇室の行事があるのをご存じですか。

 「さば」の行事は、毎食ごとに行われました。天皇は食膳でまず、かたわらに置かれたお皿に1品ずつ料理をとりわけ、そのあとはじめて召し上がりました。

 この国はわが子孫が統治すべき地である、と皇祖・天照大神が命じたとする精神を重んじ、自分が治める国に飢えた民が1人でもいるのは申し訳ない、という思いで、名もない国民のためにこの行事を続けられたのです。

 「さば」は一般には、漢字では「生飯」などと書き、インドのサンスクリット語(梵語=ぼんご)だといわれます。仏教に由来する行事とされ、仏教辞典などを見ると、食事のときに少しの飯粒をとりわけて鬼界の衆生(しゅじょう)に施すこと。あまねく諸鬼に散ずるために「散飯」。最初に三宝(仏法僧)、次に不動明王、鬼子母神に供するところから「三飯」という──などと書かれています。このため明治になって、伝統文化を重視する立場から「さば」の行事は廃止されたようです。


▼仏教起源ではなく日本伝統の習俗

 けれども、もともと日本の伝統行事だとする見方もあります。戦前、30年にわたって靖国神社の宮司をつとめた賀茂百樹(かも・ももき)は、梵語で仏教起源とするのは正確ではない、と否定しています(『神祇解答宝典』)。江戸時代末期の儒学者の随筆には、古人が食を神に供えた遺風を後人が偽っただけのことである、と書かれてあり、必ずしも仏教起源とはいえない、というのです。

 賀茂はさらに続けて、こう語ります。

 ──中国でも、古人は飲食のときにそれぞれの料理から少しずつとりわけて器の間においた。これはその昔、最初に飲食をした祖先をまつり、その歴史を忘れないためであるともいわれる。

 いまでも地方の人は食前におしいただいてから、箸をつける。これは日本古来の風儀なのだ。

 「食べる」の古語「食(た)ぶ」は「賜(た)ぶ」に由来し、「神と君より食を賜(たまわ)る」という意味である。天皇も稲の初穂をまず神にささげ、その残りを頂戴する、と神社の祝詞(のりと)にも書かれている。

 「さば」はかつては皇室でも神社でも行われたが、これは食事を尊ぶ日本の古い習俗で、そのために仏教の「生飯」と習合したのである──。


▼皇祖と天皇と国民の一体化

 人は食によって命をつなぎます。しかしそれは栄養学的、物質的な意味にとどまりません。私たちの祖先は、食事は神々によって生かされている人間と神との共食の神事だと考えたのでしょう。

 その意味で、皇室の「さば」は仏教的な施しや供養というよりは、皇祖と天皇と国民の一体化を象徴する儀礼といえます。皇祖と天皇と国民の命が「さば」の行事によって一つにつながる。ここに君民一体の政治的宗教的理念と実践があるのではないでしょうか。「さば」の行事には、皇祖と国民と生命を共有するという天皇の精神が貫かれています。そのような行事を日本の天皇は人知れず1000年以上も続けてこられたのです。

 歴史をふり返れば、たとえば敗戦後の占領中、きびしい食糧事情にあったのは皇室も例外ではありません。昭和天皇は当時、「1000万人餓死説」が出るほどの国民の窮乏を心配され、御所での食事のときに1品か2品を選び、「今日はこれだけいただこう」と皇后さまとお話になり、満足されたといわれます。

 戦争中、空襲で宮殿が焼けたとき、「これでやっとみんなと、同じになった」と語られたと伝えられる昭和天皇ですが、国民の喜びだけでなく、憂いや苦しみ、そして命をも共有しようとするのが天皇なのでしょう。


 参考文献=『仏教大辞彙3』(龍谷大学編纂、富山房、大正5年)、村瀬之煕『#(禾へんに丸)苑日渉(げいえんにっしょう)』(日本随筆全集1、国民図書、昭和2年)、賀茂百樹『神祇解答宝典』(肇国神祇聯盟、昭和17年)、葦津珍彦『天皇──昭和から平成へ』(神社新報社、1989年)、岸康彦『食と農の戦後史』(日本経済新聞社、1996年)など



((((((((読者の声)))))))))))

◇埼玉の佐藤雉鳴様から。

 <日本の伝統的な神祭りは食の儀礼、つまり命(いのち)の儀礼です>

「新嘗祭」という言葉には恵みに感謝する、謙虚で荘厳な響きがありますね。一方勤労感謝の日はいかにも人間中心で合理主義的設計生産主義が過ぎ、傲慢で、恵みに感謝には程遠い感じがします。新嘗祭を農業に偏しているという意見もありますが、そうではないと思います。まさしく<命(いのち)の儀礼>です。すばらしい表現です。アメリカ・カナダでは感謝祭として祝日があり、ホワイトハウスでは七面鳥にからむ儀式もあると聞きました。GHQの身勝手な圧力による祝日法にはあきれるのみです。

「天皇」に関連する、どうしても馴染めない言葉がいくつかあります。

「何々の何々天皇」独裁的な方法で組織を統治していて悪事を働いた高級官僚や企業のトップを、大新聞やテレビが「何々の天皇」と言ったりします。例えば「防衛省の守屋天皇」、こういう見出しや文章を読む度に嫌な思いをするのは私だけではないと思います。天皇はもちろん独裁者ではありませんし、背任行為をなした輩に擬するなどもっての外です。咎める法律がないことにアグラをかいて、何々省の「天皇」とか何々業界の「天皇」というのは度が過ぎているとしか思えません。

罪あらばわれを咎めよ天津神、民はわが身の生みし子なれば(明治天皇の御製)

「天皇制の擁護」という言葉にも疑問が残ります。国民が天皇(制)を擁護など、畏れ多い話です。歴史上、国民を擁護して下さったのはいつでも天皇であられたことは歴史が示しているところです。我が国の学者・知識人はこんな用語に違和感は無いのでしょうか。「国体護持」なら感じは悪くありません。しかし「天皇制の擁護」は乱暴だと思います。この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く、だから良いのでしょうか。思い上がった表現としか考えられません。

「賃金格差」市村真一京大名誉教授はかつて、賃金はもと賃銀であり格差は同様に較差であったのだから、元へ戻したら良いという意味のことを書かれていました。見識とはこういうことですね。格差は社長と一般社員というように等級などの違いのはずです。差があって当然です。今世間で言わんとしている格差は較差、同基準での差異のはずですからこれも直してほしいと思います。格差是正は絶対的平等論であり、無秩序への道でしかありません。もっとも、アナーキスト達の牛耳るメディアだから当然と言えば当然ですが・・・。



◇長崎の石田雅博様から。

 政官汚職、民間企業の数々の不正、そして、相次ぐ痛ましい殺人事件など、連日、報じられる悲惨なニュースに接するたびに、この国の道義・道徳は、遂に墜ちるところまで墜ちたかといふ暗澹たる思ひを重ねてゐるのは、私ばかりではないだらう。

 しかし、このやうな社会にあつて、毎週、このメールマガジンで解き明かされる天皇・皇室の真の御姿は、今の日本を絶望の淵から救ふ一筋の光になる、と私は信じて疑はない。古来、「国平らかに、民安かれ」と神々に祈られ、御親ら神話の世界を体現されてきた天皇陛下の御存在とそのお働きは、薄れつつあるわが国の精神文化の源流であることに、あらためて思ひを致すことができる。

 斎藤氏の取材力と筆力、見識は卓越してゐる。読者に分かりやすく問題を提起しながら、天皇・皇室をめぐつて蔓延する、いはれなき誤解を一つひとつ、見事に解いてゐる。

 聞くところによると、このメールマガジンは、やがて一冊の本にまとめられるといふ。一人でも多くの人々の心に触れ、日本人が本当の日本人に立ち返る原動力になる。今の荒んだ世の中で、これ以上に意義のあることがあるであらうか。



◇西宮の河野定男様から。

 日本国憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と書いてあるにもかかわらず、その統合の象徴たる陛下が実際に日常どのように国民に関わっておられるのかというようなことについては、学校教育によっては殆どなにも教えられていない。戦後教育を受けた福田首相にしても同様であろう。

 こういう現状下で、氏が始められた「誤解だらけの天皇・皇室」のシリーズは、統合の象徴たる天皇についての常識を持ち合わせていない大多数の国民に対し天皇・皇室に関する情報を提供するものであり、その教育的観点から見て、意義は大きいと思う。

 氏の狙いは、天皇の国民統治の根本が「政治的権力や軍事力ではなくして、神々をまつる祭りと祈りの持つ霊的な力」(Vol.1)であることを具体的な史実で示していくことであろう。実は、天皇原理が政治的権力や軍事力ではないことを国民は、具体的なことは知らなくでも、肌で感じ取ってはいるのである。だからこそ毎年正月の一般参賀に多くの人々が集まり、また昭和天皇の崩御に際しては大多数の国民が自発的に喪に服したのである。天皇・皇室の存在を疎ましく思っている国民は、ごく一部の特殊な思想の持ち主以外にはいない。このような天皇・皇室に関する国民感情はどこから来るのかを、解りやすく解説することが、このシリーズにおける氏の役割であろう。

 これまでのシリーズで、私は多くのことを学ばせて頂いた。宮中の稲作は、昭和天皇によって始められたこと(Vol.1)、皇子の帝王教育の書である順徳天皇による「禁秘抄」に「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす」と書かれていること(Vol.5)、大嘗祭の「申詞」の内容紹介(Vol.5)、新嘗祭における粟の意義(Vol.6)、新嘗祭に捧げられる白酒と黒酒について(Vol.7)、などである。

 「尊皇」が近代日本の国家原理であったことを忘れてはならない。この国家原理を今後も変える必要は全くない。日本という国の安定は、万世一系の天皇を国民統合の象徴と仰ぐことによって保たれているからである。ところが、この国家原理をくつがえしかねない「事件」が小泉首相、福田官房長官のもとで起こったのである。平成17年11月の皇室典範有識者会議の「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」とする(小泉首相に対する)報告書(Vol.3)がそれである。私がこの報告書を「事件」と呼ぶのは、女性天皇(具体的には愛子天皇)が誕生する事態になれば、そこで皇統は途絶えてしまうと考えるからであり、もし悠仁親王殿下のご誕生という慶事がなければ、この報告書に基づいて、女性・女系天皇に途を開く皇室典範改正がなされる可能性が大であったからである。氏は、Vol.3、Vol.4で正しく女性・女系天皇が認められないことを指摘されてはいるが、やや突っ込みが足りない感は否めない。

 皇室典範有識者会議の出した「報告書」の危険性について、鋭く詳細に論じているのは、筑波大学教授の中川八洋氏である。中川氏の「皇統断絶」(平成17年、ビジネス社)、「女性天皇は皇室廃絶」(平成18年、徳間書店)、「悠仁天皇と皇室典範」(平成19年、清流出版)を読めば女性天皇容認がなぜ皇統廃絶に至るか、また皇統廃絶を意識的に望み、その方向に導こうとる勢力があることが、明解に論じられている。これらの書を、「誤解だらけの天皇・皇室」の愛読者に推薦する次第である。




((((((((「天皇・皇室の一週間」)))))))))))


11月30日(金曜日)

□12月23日、天皇誕生日の一般参賀の要綱が発表されました(時事通信)。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007113000058

 くわしい要綱は宮内庁のホームページに掲載されています。
http://www.kunaicho.go.jp/17/d17-01.html

□秋篠宮さまが42歳の誕生日をお迎えになりました。それに先立って、妃殿下とともに記者会見に臨まれ、陛下のご公務の負担を減らす必要がある、とお話しになりました(朝日新聞)。
http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY200711290371.html

 記者会見の内容は宮内庁のホームページに掲載されています。
http://www.kunaicho.go.jp/akishino/akishino-kaiken-h19.html


11月29日(木曜日)

□天皇、皇后両陛下が東京・豊島岡墓地を訪れ、5年前に亡くなった高円宮さまの墓前で拝礼されました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/071129/imp0711291052000-n1.htm

□秋篠宮妃殿下が都内で開かれたセーブ・ザ・チルドレンのチャリティーにお出ましになりました(共同通信PRワイヤー)。
http://prw.kyodonews.jp/open/nfrelease.do?r=200711293473


11月28日(水曜日)

□秋篠宮殿下は京都で開かれたアジア学術振興機関長会議に出席され、お言葉を述べられました(京都新聞)。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007112800091&genre=G1&area=K10


11月27日(火曜日)

□天皇皇后両陛下は東京の九段会館で開かれた日本遺族会60周年記念式典に出席され、お言葉を述べられました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/071127/imp0711271056000-n1.htm

 陛下のお言葉は宮内庁のホームページに掲載されています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/okotoba-h19-01.html#izokukai60


11月26日(月曜日)

□天皇皇后両陛下は来日したベトナム国家主席夫妻のための宮中晩餐会を主催されました(日経ネット)。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071127AT1G2603P26112007.html

 晩餐会での陛下のお言葉は宮内庁のホームページに掲載されています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/okotoba-h19-01.html#191126bansan


 日経の記事では、陛下はお言葉で、稲作や漢字の使用など両国の共通点を挙げられたとなっていますが、宮内庁のホームページを見ると、雅楽の歴史にも言及されたようです。

 いまのベトナム中部にかつて、チャンパ(林邑)という国がありました。宮中に伝わる雅楽林邑楽は僧仏哲によって日本に伝わり、東大寺開眼法要でも奏されたといわれます。

 古代インドシナ半島と日本列島との関係は、現代の私たちが想像するより、はるかに近かったものと思われます。

 たとえば、遣唐使・阿倍仲麻呂は帰国途中で遭難し、ベトナムに漂着。その後、唐がベトナム地域を治める最高ポストに任じられたという歴史もあります。

その統治機関が置かれていた王城ではないか、と推測される広大な遺跡がハノイで出土したのは4年前のことでした。

 あまの原ふりさけみればかすがなるみかさの山にいでし月かも

 は、大陸に渡った仲麻呂が望郷の思い絶ちがたく詠んだと伝えられます。

 仲麻呂は結局、日本に帰国することなく、宝亀元年(770)、長安で亡くなります。『続日本紀』という歴史書には、その9年後に来日した唐からの使者によって死去が伝えられ、光仁天皇は、没落して葬礼もままならない仲麻呂の遺族に賜り物をなさった、と記録されています。


11月24日(土曜日)

□高円宮妃久子さまが都内で開かれた高円宮杯第59回全日本中学校英語弁論大会の決勝大会に出席されました(読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071124ic21.htm


11月22日(木曜日)

□高円宮妃殿下が第26回JAPANTEX2007の開会式にお出ましになりました(オンライン・インテリア・ビジネス・ニュース)。
http://online.ibnewsnet.com/news/file_n/gy2007/gy071122-01.html


11月21日(水曜日)

□平成14年に亡くなられた高円宮さまの5年式年祭が行われました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/071121/imp0711211838001-n1.htm


 墓所祭が行われた豊島岡墓地についてMNS産経ニュースが説明の記事を載せています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/071121/imp0711211926002-n1.htm


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